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「ママでなくてよかったよ」8歳で旅立った我が子が教えてくれたこと

3分で読める『致知』の感動する話

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「残念ながらがん細胞が
 骨髄まで入り込んでおり、
 余命は早くて年内かもしれません」
 
 シングルマザーとして育ててきた
 6歳9か月の我が子重信の病状
 について、担当の先生から
 残酷にもそう告げられたのは
 1993年秋のことでした。

 一か月後、小さな身体への
 抗がん剤投与が始まりました。
 重信は痛みに耐えかね、
 治療の拒否、看護師への
 挑発的な態度を続けます。

 ある日、彼は私に訴えたのです。

「ママ、本当の僕の病気はなに? 
 注射とか薬とかものすごく
 辛いんだ。なんでこんな
 思いしないといけないの?」

 必死に尋ねる彼に、
 これ以上事実を隠し通す
 ことはできませんでした。

「よく聞いて。シゲくんの病気は
 がんといって、とても怖い病気なの。
 ママも先生も、治ってもらいたい
 から注射したりお薬を飲ませてるの。
 シゲくんに生きてほしいもの」

 咄嗟の判断でそう口にしていました。
 
 彼は大きなショックを受け、
 しばらく泣きじゃくった後、
 落ち着きを取り戻し、
 こう言ったのです。

「ママ、ぼくがんばる。
 絶対に死なないもん! 
 教えてくれてありがとう」

 告知した罪悪感が私を苦しめました。
 辛い検査で、つんざくような
 悲鳴と泣き声を耳にし、
 親として代わって
 やることのできない無力感。

 けれど、
 その私を励ましてくれたのが
 7歳になったばかりの、
 ほかならぬ我が子でした。

 ぐったりとベッドに
 横たわる彼を見て泣く私に、

「ママでなくてよかったよ」

 と言うのです。
 点滴に繋がれた手を伸ばし、
 私の頭をなでながら。

 辛抱の大切さ、労わり…
 私のほうが彼に教わる
 ことがたくさんありました。

 私は仕事を調整し、一緒に
 過ごす時間を増やしました。

 仕事でへとへとになって
 見舞う私に、自分のベッドで
 仮眠を取らせてくれたり、
 親子の密度の濃い時間が
 流れていきました。
 
 一時期は順調な回復を
 見せた重信でしたが、
 残念ながら一年後に再発。
 病状は日に日に深刻に
 なっていきました。

「またママに会いたいなあ。
 ぼく、ママのことが
 心配で死にたくないんだ」

  
 残された時間の中で、
 彼が語った言葉は、
 いまも心に残っています。

 それから少したって最期の
 夜は病室で添い寝を許され、
 重信は私の腕の中で8年の
 短い生涯を終えました。
 
・  ・  ・  ・  ・  ・

 2000年、重信との闘病の 日々を綴った
「ママでなくて よかったよ」を上梓しました。

 たった6歳の子供への告知。
 いまでこそ一般的ですが、
 1993年当時では 
 考えられないことでした。

 このことはメディアでも
 大きく取り上げられ、

「小さな子に残酷だ!」

 など多くの非難を受けました。
 私は社会に一石を
 投じてしまったのです。

 告知は、してもしなくても
 悔いが残ることだと思います。
 告知は本来、医師、患者、
 家族の三者が立ち会って
 行われるべきものだといいます。

 私は一人で彼にがんで
 あることを告げてしまいました。

 正しい在り方を知っていれば
 違った方法を取った
 かもしれないといまは思います。

 写真を整理していて
 気づいたことがあります。
 告知の前と後で重信の表情が
 まるで違っているのです。

 告知前は不安で視点が
 定まっていない表情。
 告知後はすべてを
 見通しているかのような腰の据わった表情。

 肉眼では分からなかった表情の
 変化を、私のカメラは捉えていたのです。
 
 私は、告知はするかしないか
 ではなく、いかに行われる
 べきかが大事だと思います。

 患者さんとお医者さんの信頼関係が
 築かれた上での告知であれば、
 たとえ小さな子供であっても
 大きな励ましになります。

 私たちは残された時間の中で
 悔いなく、楽しい思い出を
 たくさん共につくることが
 できたのですから。

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「八歳で逝った 息子に支えられ」
森下純子(もりした・じゅんこ)
 
『致知』2009年12月号 連載「致知随想」より

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