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覚書_61

「完全無職」

久方ぶりのnoteの更新。
実は数日前に、通っていた職業訓練校の修了式があった。

無職ながら職業訓練校の学生、という肩書に助けられていたのだけど
11月1日から完全無職になってしまった。
とは言え、1日はハローワークに行って面接の練習をした。

こんなに就活に一生懸命になるのは、20歳の新卒の頃以来かもしれない。
私は当時都内の服飾系の専門学校に通っていて、もちろんアパレル業界への就職を希望していた。
普通の就活と違うのは、アパレル業界の就活は私服で行うのが当たり前。
メイクも髪型も自由。都内のアパレル企業はもちろん、遠いところだと岡山まで試験を受けに行った。総合職や販売員だと違うのかもしれないが、私は技術職、パタンナー志望だったので就活はなかなか骨が折れた。
毎日実技試験の練習のためにパターンを引いていたことを覚えている。

結局、父に病気が見つかってしまい、私は9月には沖縄に帰ることを決め、就活は終わった。帰沖してから初めて受けたショップに採用が決まり、あっという間に働き始めた。

それから今に至るまで何回か転職しているけれど、知人の誘いで転職することが多かったし、いつでも父の病院に呼び出しされても大丈夫なように融通の利きそうな職場を選んでいた。
父が亡くなってからは、県外へ出てみたくて派遣会社を通してリゾートバイトをしてみたり、無駄に職歴を増やしていた。
ワーホリに行くために、スマホの販売員をしてお金を稼いだ時期もある。

本気で仕事を探したのは、ドイツから帰ってきてからだ。
けれど、在宅の仕事を中心に探していたので最終までリモート面接だった上、フリーランス契約だったので、これもいわゆるちゃんとした就活じゃない気がする。

そして色々経ての今、初めてちゃんとした就活をしている。
スーツも買ったし、パンプスも用意した。
面接を受けた会社まで、訓練校の最寄り駅から歩いてみると
思いっきり靴擦れして足が痛い。
靴があっていないのか、単純にパンプスに慣れていないだけなのか。
週明けにはまた面接があるので、パンプスを履かないといけないのかと今から憂鬱だ。パンプスを履きこなしている全女性を心の底から尊敬する。

ハロワの面接練習の時に驚かされたことがある。
担当してくれた職員さんは、長年民間企業の人事で採用に携わっていた人だ。
その方が言うには「これまで沢山の人を見てきたけど、誰一人として面接にリュックできた人はいない」ということだ。
その数日前に私はボロボロのリュックを見かねて、新しいビジネス用のリュックを注文していた。
しかしそれを聞いてしまったからには、面接に持っていくための肩掛け鞄を買わねばなるまい。帰りにショッピングセンターに寄って、鞄を探した。
初めての経験に胸が躍る。A4サイズがすっぽり入る女性用の鞄を購入し、早速後日、それを携えて控えていた面接に挑んだ。

訓練校やハローワークのおかげで、常識を知ることができて、本当に感謝している。

あとは、どうか就活が成功しますようにと願うばかりだ。
今回で最後の転職にしたい。
もう、市販の履歴書に私の職歴は収まらない。

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