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【大学生ブログ】会話の間を埋めるためだけに水を飲むのをもうやめたい

どれだけの人が共感してくれるだろう。少人数でご飯にいったとき、「無」の時間が訪れることがある。どんなに仲良い人といったとしても。気にしなければいいのだろうが、何人もいるのに誰もしゃべってないあの時間はやっぱり異様だし居心地が悪い。

そんなとき、喉が渇いていないのに水が入ったコップに手を伸ばしてしまう。認めるのも恥ずかしいが、「今僕は話題が思いつかないから喋ってないんじゃなくて水を飲んでいるから喋れないんですよ」感を演出するためだと思う。

1.空のコップを口に運ぶ不自然さ

実際、なんの意味もないことくらいわかっている。気まずさを乗り切るための自己防衛本能かなにかなのだろうが、ただの気休めだ。僕がコップに手を運んだところでたいてい「誰もしゃべらない」という状況は変わらない。テーブル上の水の総和が減るだけ。

コップに水が入っていればまだいい。ご飯屋で水を飲むという行為は何も間違っていない。問題は全く水が入っていない時。沈黙が訪れ、コップの残量を確認することもなく口に運んだ僕は、その重さで初めて水がないことを知る。取り返しがつかずコップを傾けてみるが、溶けかけの氷がガラスに当たる音のみがこだまする。この一連の流れのむなしさたるや。

あまりにもダサいので早急にやめたい。そのためにコップに頼らないため、「沈黙を受け入れる心の余裕」「沈黙が訪れる前に次の話題を考えておく頭の回転」どちらかを手に入れなければならない。

2.意味なき穴埋め言葉

沈黙のやり過ごし方は水だけでない。"意味なき穴埋め言葉"、具体的には「そうだよなあ難しいよねえ」「まあねえなんか大変だねえ」のような中身のない相槌、もっとひどいときには「あー--まあーそー-だねえーなんだかねえー-」とただ音を発しているだけのこともある。ただのノイズ。キャンセリングされて然るべきノイズ。

こうした「何もしゃべっていないのと同じ」言葉たちはもう自分の引き出しから捨ててしまいたい。

3.このnoteは"宣言”だ。

このnoteを書いた理由は1つ、今後自分がコップに頼らず、意味なき穴埋め言葉を使わない状況に追い込むことに他ならない。手の内を明かしてしまった以上、もうこれらが効力を発揮することはない。「あーやってるわこいつ」と思われるだけだ。

今日、この時間から意味のない穴埋めを辞める。このnoteは自虐でも日記でもなんでもない、"選手宣誓"だ。

多分これは僕だけの悩みではない。隣の席で似たような状況のなか、空のコップを必死に飲んでいる人を見たことがあるし、すごく親近感が湧く。どこかの会社の飲み会らしき場で「無」の時間にずっとジョッキを抱えていたあのスーツの男性、一緒に頑張りませんか。

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