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ひっそり、心地よいもの

 今週はバタバタしている。子どものクラスが学級閉鎖になってしまい、自宅でオンライン授業をしている。慣れない授業で子も親も戸惑う。幸い、パートナーがほぼ付きっきりで娘を見ていてくれるので、私はときどき呼ばれてトラブル対応する程度ではあるが。明日まではこの調子だ。

 次女のほうはここのところ、毎朝、自分の自転車に乗って保育園へ向かう。補助輪と補助ハンドル付きのかわいい車体を私が押して、次女が行き先をコントロールする。朝は気温もずいぶん下がってきて快適だが、自転車を押して歩くと汗ばむぐらいの運動になる。運動不足の私にはちょうどいいだろうか。

 絵を描くことについては、また新しい取り組みをしている。これまで人物を中心としたイラストレーションばかり描いていたが、だんだんと絵に意味を持たせるのが重いなと感じるようになってきて、あまり強い意味がないほうがいいのではないかと思いはじめた。それで、抽象画のようなものを描いている。

 意味のない文字や脈絡のない形を描いていると、無心になれて気持ちいい。思考の余地を挟まないような。これまで抽象的な絵は、見るのも描くのもあまり好んではこなかったが、やってみると楽しいものだ。

 心境の変化は、ここ最近の「絵を描くAI」の広がりも影響している。AIが精巧な絵を無数に作り出せる時代のなかで、私が絵を描く意味はなんなのか、ということを考えていくと、「絵を描くという行為そのものを楽しむこと」に、よりフォーカスしていくほうがいいのかなと思い至った。

 楽しい描き方を探していたら、抽象画になってきた。イラストレーションというよりは、ファインアートなのかもしれない。noteのみんフォト用に描く絵も続けながら、こういう新しい表現も取り入れていけたらいいなと思う。いずれまた、どんどん描きたいものも変わっていくのだろう。

 メンバーシップもはじめたいなと思いつつ、もう9月も半ばになった。最近は「ひっそり活動したい」という気持ちが強くなり、noteを書く手が止まりがちだった。それもあって、ひっそりと日々の創作活動のことを書けるメンバーシップがあるといいのかなと思っている。鍵付きの日記帳のような。

 そんなことを考えながら、またどんどん日々だけが過ぎていくのだろう。

いつも見てくださったり、イラストを使ってくださってありがとうございます。いただいたサポートは、子どもたちのおやつになります。