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父親が「ヤコブ病」と診断された

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#指定難病

私の隣で 眠るように

12月24日 パパが天国へ行く。56歳だった。

午前2時まで父の隣で起きていたが、呼吸が落ち着き安定したため、安心して隣で寝ることにした。

午前3時30分ごろ目覚めた。寝息が聞こえないので心配になり、顔をのぞいた。呼吸をしていなかった。父は、静かに息を引き取っていた。

最期の時、隣にいることができたが、その瞬間を確認することはできなかった。父は、きっと私が眠ったのを確認して、安心して自分も眠

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2日ぶりの再会

12月9日 2日ぶりに父親と再会する

この二日間、叔母が大阪から来ていた。今まで会えなかった分、施設に泊まって父親と時間を過ごしたいとのことだった。私はちょうど友達との約束もあったので、二日間父親から離れることになった。

2日ぶりに父親を見ると、逃避していた現実が一気に戻ってきた感じがした。妹の家族に会って笑顔でいる父親の写真が送られてきていたので、もしかして表情や認識のレベルが回復していたり

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家族のエゴで生きてもらうこと

家族のエゴで生きてもらうこと

12月6日 激しい手足の動きが戻ってくる。

父親は最近、以前のように何かの拍子で手足が大きく動くというよりは、突発的に呼吸筋がけいれんを起こすことの方が多くなっていた。しかし今日は、何度か手足も大きく動かし、ベッドから落ちそうになることもあった。こんなに大きい全身の動きは、もう一週間近く見ていなかった。これを見た祖父母はショックを受けたようだが、私は嬉しかった。まだこんなに動けるんなら、もうしば

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天候と体調

天候と体調

12月4日 久々に父親が笑顔を見せる。

朝の9時ごろ、父親が上体を起こそうとしていた。私はベッドに乗り上げて父親の両脇に手を入れ、せーのの合図で父親の上半身を起こした。ちょうど抱きかかえて座るような姿勢になり、父親は私の肩越しに青空を見ていた。

天候によっても、体調はかなり変化する。病状が右肩下がりなのは変わらないが、その中でもムラがあるのだ。特に晴天の日は機嫌が良いことが多い。

この日も朝

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施設の人びと

12月2日 安定剤を中止する。

父親は、今日もほとんどの時間を眠って過ごしていた。

ミオクローヌスの動きもだんだん小さく、少なくなってきたので、夜間の安定剤は必要なくなった。夜中に起きてしまうことも無くなり、ぐっすりと眠れているようだった。逆に言えば、夜中にあれだけ寝たのに、昼間も夕方もほとんど眠っていた。

父親が出す声もだいぶ小さくなった。以前は部屋の戸を閉めていても、声を出せば遠くから看

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書くことがなくなる寂しさ

書くことがなくなる寂しさ

11月30日 点滴を中止する。

父親は、格段に起きている時間が減った。反応もあまりないので、それに伴ってここに書くことがなくなってきた。とても寂しいことだと思う。介護拒否や、本人に病気を宣告するかについて悩んでいた時期が懐かしくなった。懐かしいと言っても、まだほんの2週間前の話なのだが。

父親の腕は点滴の管が通っているにもかかわらず、勝手に激しく動いてしまっていた。抜けてしまったり、漏れてしま

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孫に会う日

孫に会う日

11月29日 妹が子供を連れて施設に会いにくる。

朝、布団がめくれて、父親の足が見えていた。私は唖然とした。骨と皮しかなくて、骸骨のようだった。腕も、今まで何度も点滴を挿し直したため、いたるところに内出血ができていた。痛々しい紫の痣が、また私を「このまま点滴を続けていいのか」と考えさせた。

今日は昼から、伯母や従弟、祖母が施設に来ていた。従弟は頻繁に父親の顔を見ているわけではないので、変わり果

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笑顔

笑顔

11月27日 妹が23歳の誕生日を迎える。

妹は、この世で唯一の私の本当の理解者だ。

今まで歩んできた道は全く違うが、家庭に結びつくことにおいての立場は、私と同じだからだ。具体的に言えば、同じ父親と母親を持ち、両親の離婚を経験し、それに付随する色々と不便だったことも共有した。祖父母をはじめとする親戚それぞれの良いところと悪いところを、感じたままにお互い話し、理解しあってきた。お互い大人になって

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「要介護5」に対して家族ができること

11月26日 父親のためにできることが極端に減ったことに気付く。

10月半ばに受けた要介護認定調査を受けた時点では、要介護2の状態だった父親は、11月に入った時点ではすでに要介護5の状態まで進行していた。認知機能が低下し、食事や排泄などにおいて介助が必要な場合が要介護2、完全に寝たきりの状態が要介護5だ。

要介護認定とは、認知機能・運動機能・日常の生活動作などにおいて、どの程度の介護が必要かを

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自分の時間を持つこと

11月23日 久しぶりに大学時代の仲間に会う。

朝、父親はまた大きく暴れてしまった。その後突然以前の父親のような表情に戻り、上体を起こそうとした。私の方を見ながら、少し笑ったような困ったような顔をして、なにかを伝えようとしていた。しばらくして、父親は久しぶりに言葉を話した。途切れ途切れでとても時間がかかったが、それはしっかり文章になった。

「ぜんぶパパがわるい」

こんな状態になっても、父親は

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施設の方針と対立する

施設の方針と対立する

11月22日 施設の方針と家族の方針が対立する。

今日は父親が大きく暴れることはなくなった。父親が好きだったアース・ウィンド・アンド・ファイアーの「In the Stone」を一緒に聞いて、とても穏やかに楽しむような表情を見せていた。小学生の時に口ずさんでいたら、担任に「よくそんな曲知ってるね」と言われたことを思い出した。

この施設に決めた理由の一つに、いつでも家族が出入りし、寝泊まりすること

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施設に移る日

11月20日 父親が施設に移る。

朝9時に施設の介護タクシーが迎えに来た。リクライニング車椅子で車に乗り、出発した。父親は外の景色を見たり寝ていたりして、心なしか楽しそうな表情をしていた。2週間ぶりに外の空気を吸って、リフレッシュした感じでスッキリとした表情だった。この顔が見られただけで、外に連れ出した甲斐があったな、と思った。

この日の夜、不随運動で興奮した父親が、86歳の祖父と82歳の祖

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主治医のことば

11月19日 自分のことを、はじめて主治医に相談する。

私は、相手の立場や職業をわきまえず、なんでも自分の話をする人が嫌いだ。例えば、叔母が医療の専門である医者に「家族がいなくなると思うと本当に辛くて眠れなくて、睡眠薬を飲んで寝てるんです。」話したとき、正直すごく無駄な時間だと思った。誰彼構わず自分の弱いところを見せるのも、無意味だと思っている。

朝の回診の際、「病気の原因は5年前の離婚である

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本当の孤立

本当の孤立

11月18日 「原因はお前たちだ」をまた繰り返される。

父方の親戚は、病的なまでに考えが古く、甘く、目先のことしか見えない時がある。1人が、ではなく、全員が、だ。それは、そういう家の中で、そういう常識で育ったのだから、当たり前だった。

父親はそれに気付いていて、なかなか抜け出せなかった。抜け出す気もなかった。母親は、父親とその家族との様々なことが我慢できずに出て行った。私は母親と仲が良く、父親

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