あのとき合格通知を手にしていたら
「もし、あさちゃんが大学受験に1年で受かっていたら出会ってなかったよね」
「いや、そもそも高校受験で志望校に受かってたら出会っていなかったよ」
受験で“合格をもらうこと”を成功と言うのなら、
私は、ことごとく受験に失敗している。
高校は第3志望の学校だったし、大学は現役では受からなかった。
友達と一緒に志望校に行けなかった。
目標を達成できなかった。
私なりに一生懸命頑張っても、結果を得られなかったことにコンプレックスがあった。
*
昨晩日記を書きながら、お風呂上がりの夫に
「2年前の今頃は、お互い住んでるところが遠かったから2週間に1回くらいしか会えてなかったんだよ!覚えてる〜?」と言ったことから、「もしもの話」に発展した。
「もし、あのとき更に転勤になっていたら、今一緒にいれていないかもね」
「たしかに!」
私たちは共通の友達のおかげで出会った。
「もし〇〇と同じ講義を受けてなかったら、絶対に出会うことはなかったよね」
「あのとき、飲み会に行ってなかったら、紹介してもらってないよね」
もしもを遡っていくと、「高校受験で私が志望校に受かっていたら、出会っていなかった」というところまで辿り着いた。もっと過去の選択も影響しているだろう。生まれた時から、ずっと選んできているのだから。
*
夫と出会ってなければ、
別の人と結婚していたのか、
まだ実家にいたのか、
憧れのワーホリに旅立っていたのか、
今違う幸せもワクワクもあっただろう。
もし、別の選択をしていたら、今の幸せはない。
一つでも違う選択をしていたら、全く別の人生だっただろう。
選ぶことは、どちらかを選ばないことでもある。
これからも私は選ぶし、選ばない。
「こっちを選んでよかった」と思える生き方をしたい。
「違う方を選べばよかった」と思いながら生きていくのは嫌だ。
選んだ自分を幸せにしていきたい。
いつも今が1番幸せだと思って生きていきたいよね。
結婚して1年くらい。
毎日一緒にいることが当たり前になっていたからこそ、
「もし、一つでも選ぶ道が違ったら今一緒にいなかったのか〜」と思うと、目の前に夫がいるのに、ちょっと寂しい気持ちになった。
当たり前じゃなくて、有り難いこと。
いつも忘れないことはむつかしいけれど、たまには思い出したいなと思った夜でした。
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