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2022年読んでよかった本ベスト10

 2022年は読書に力を入れていた。社会人になると、読書する気力が起きなくなる。大学1年生の時、1日1冊読んでいた私ですら、ここ数年は1年に数冊読む体たらく。PR TIMESの記事によれば、社会人の45%は月に1冊も本を読まないとのこと。しかし、社会人6年目となり中間管理職的仕事をする中で、自分の中に哲学を持っておく必要性が出てきた。哲学を持っていないと、様々な部署から異なる意見がぶつかった時に潰される。確かに、私は年間500本以上映画を書き、500本近い記事を書いているので自分なりに哲学を持っていると思っていたのだが、仕事をする中で不足しているものを感じた。そこで、今年は、哲学書や理論書を中心に40冊程度読んでみた。

 哲学書は難しい。マルティン・ハイデッガーの『形而上学入門』は全然入門書ではなかったし、アリストテレス『形而上学はプログラマーにおける「クラス」や「カプセル化」、型の定義といった話に近いことをしていると考えたら腑に落ちるが、それでもとても難しかった。でも、難しいと感じながら自分なりに論を落とし込んでいく作業は本業でもかなり役に立ったし、映画ライターとしての活動にも流用できるものが数多くあった。そんな2022年に読んでよかった本を10冊発表していく。

1.技術への問い(マルティン・ハイデッガー/平凡社ライブラリー)

 マルティン・ハイデッガーといえば、『形而上学入門』や『存在と時間』が有名なのだが、どちらもとてつもなく難しい。彼の本の難しさは、ドイツ語やラテン語語源からの論展開と、独自の用語を生み出し、それを強引に翻訳したことによる飲み込み辛さから来ると思っている。ドイツ語もラテン語も未履修な私にとって彼の文はかなり苦戦を強いられる。しかし、そんな中でも読みやすかったかつ役に立ったのは『技術への問い』だった。

 特に、「集-立(Ge-stell)」の理論は目から鱗だ。自然を制御し、エネルギーを蓄える活動が産業革命以降、人間に適用され、人間を存在から見放し消費する運動が生まれたという理論は、公私さまざまな場所で思い当たる。例えば、論理的アプローチで心理的苦痛を踏み躙る経営層と現場との軋轢、能力主義に隠された罠、PV至上主義やSNSのフォロワー数がありがたがられる様は「集-立(Ge-stell)」理論を踏まえると共通した問題であることがわかるであろう。搾取の構図を知ることで次なる対策を練ることができる。その点で2022年、もっとも役に立った。

2.ビデオゲームの哲学(松永伸司/慶應義塾大学出版会)

 2022年は、にじさんじライバーの物述有栖が5時間に渡り心音を聴かせるASMR配信動画に衝撃を受けてVTuberを追っていた年であった。VTuber研究者である山野弘樹が推薦していた『ビデオゲームの哲学』は、アニメとVTuber動画を観る行為の違いを明確化するのに役に立った。

 映画や絵画を見る行為は、制作者が提示するものをそのまま受け入れる行為である。それを「鑑賞」と定義した際に、ゲームをプレイする行為を「鑑賞」と見做すことはできないと松永伸司は語る。ゲームは、プレイヤーの取る行為により、プログラムが応答する。インタラクティブなものであるとし、「受容」という単語を適用することで、映画や絵画を見る行為と差別化を図っているのだ。

 この理論をVTuberの配信に当てはめることでアニメを見ることとVTuber配信動画を見る行為による感触の違いが説明できる。VTuberの配信動画は、コメントによってアバターを介して配信者が応答するインタラクティブな活動である。例え、視聴者がコメントをせずに視聴したとしても、他の視聴者が代理的にインタラクティブなコミュニケーションを行うので、「受容」のメディアとしてVTuberの配信動画は位置付けられるのである。

 本書の理論は、東京国際映画祭で観たVRを使ったサスペンス『マンティコア』を読み解く上でも重宝した。

今回のベストには入らなかったが、VTuber研究として他に下記の本が役に立った。

・ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber(青土社)
現代思想2022年9月号 特集=メタバース(青土社)
メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界(技術評論社)
フィルカル Vol. 7, No. 2―分析哲学と文化をつなぐ(株式会社ミュー)
・VTuberスタイル 2022年7月号(アプリスタイル)

3.幻のアフリカ納豆を追え!―そして現れた〈サピエンス納豆〉(高野秀行/新潮社)

 『謎の独立国家ソマリランド』を読んで以来、高野秀行のクレイジージャーニー本を追うようにしている。今年は『語学の天才まで1億光年』が発売され、こちらも夢中になりながら読んだのだが、個人的に熱かったのは『幻のアフリカ納豆を追え!―そして現れた〈サピエンス納豆〉』だった。

 日本人は、外国人と食事デッキで対話する時、「納豆」をソウルフードとして勧めがちだ。しかしながら、納豆は決して日本だけのものではなく、韓国やブルキナファソ、ナイジェリアにも存在した。単純に、遭遇する機会がないので井の中の蛙、納豆=日本食の方程式が出来上がっているだけだったのだ。高野秀行は、実際に世界を飛び回りながら、納豆作りの現場に立ち会う。そして、味のレポートをしていく。納豆作りの話に留まらず、その国の伝統や文化に関して綿密に語っていく高野節が炸裂しており、職場でニヤニヤしながら熟読した。

4.スペクタクルの社会(ギー・ドゥボール/ちくま学芸文庫)

 全編白画面と黒画面の交差で描く『サドのための絶叫』に衝撃を受けて、ギー・ドゥボールを追っていた2022年上半期。哲学者である彼の名著『スペクタクルの社会』では、都市がシステム的に作られることへの問題点、観光もパッケージ化されることで本来の観光の側面が失われてしまう状況などを鋭く斬り込んでいく。スペクタクルに飼い慣らされた我々を捉えていく視点は、自分の中の批評ロジックにヒントを与えた。特に観光に関する部分は、世界遺産検定マイスター試験を受けるにあたり、世界遺産の周知とオーバーツーリズムの狭間にある葛藤を読み解く上で重要な理論となった。

5.言語が違えば、世界も違って見えるわけ(ガイ・ドイッチャー/ハヤカワ文庫NF)

 外国語で話すことは苦手なものの、言語学は大好きで、よく友人と語学デッキで話す。そんな私が「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」を好まないわけがなかった。特に、本書で痺れた視点に「すべての言語は同じ程度に複雑だ」というものがある。日本では、外国人が日本語で話す状況を表現するアプローチとしてカタカナ表記を使う。アメリカの映画でも、遠い国の部族が英語を使う場面では、カタコト感を強調する。では、その外国人の母語もカタコトなものになってしまうのか?それは「否」であるとガイ・ドイッチャーは語るのである。そして、外国語を使うことでカタコトになってしまう点について以下のような分析をしている。

外国語をしゃべろうとするならば、文法的ニュアンスも含めて何年も学んだ場合はべつとして、結局頼ることになる最後のサバイバル戦略がひとつある。それは、もっとも重要な内容以外はすべて捨て、基本的意味を伝えるために欠かせないもの以外はすべて無視して、事の本質だけに集中することだ。

p175より引用

 この慧眼と盲点を目にし、私に電撃が落ちた。そして、CINEMAS+に『MEMORIA メモリア』評を書く際に、この理論が役に立った。

6.羊飼いの暮らし──イギリス湖水地方の四季 (ジェイムズ・リーバンクス/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 今年の8月に世界遺産検定1級を取得した私。漢検、英検、仏検、映画検定など2級までしか取ったことがない私にとって初めての1級取得に涙した。せっかくなら、ラスボスを倒したい、その一心で12月にはマイスター試験を受けた。マイスター試験では、1,200字の論述試験があり、世界遺産の知識を総動員しながら、紛争やオーバーツーリズムに関する問いに対する見解を述べる必要がある。この対策で最も役に立った本がユネスコ世界遺産・持続可能な観光プログラムアドバイザーであるジェイムズ・リーバンクスが書いた『羊飼いの暮らし──イギリス湖水地方の四季』である。note企画#読書の秋2022課題図書に挙がっており知った本だが、これが目から鱗。

 ロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースにより注目されるようになったイギリス湖水地方は、その後ナショナル・トラストが一部管理するようになり、2017年には世界遺産に登録された。このような扱いが果たして良いのか、ジェイムズ・リーバンクスは疑問を投げかける。都市部の人間が観光として、イギリス湖水地方を消費してしまい、原住民に歩み寄れていない。そこで生産される畜産物よりも土産物に注力されてしまう観光ビジネスは、その地に住む者の存在を隠してしまうのではないか?

 学校を飛び出し、家業を手伝うも、やがて大学へ進学しユネスコ世界遺産・持続可能な観光プログラムアドバイザーになった彼が葛藤しながら語る、世界遺産の意義は「保護してやる」と無意識に傲慢となってしまう都市部の人間心理を暴き出しハッとさせられた。この視点は、マイスター試験における批判的に世界遺産保護を捉える時に威力を発揮した。

↑マイスター試験を一緒に受けたNao.U氏の読書感想文が渾身の力作になっていて、胸踊らされた。私に影響受けてnoteをやり始めた人、皆つよつよな文章を書いていて私ももっといい文章書けるように頑張りたいと襟を正す。

7.新映画論 ポストシネマ (渡邉大輔/ゲンロン叢書)

 今年、一番面白かった映画本。なんたって、ラヴ・ディアス『立ち去った女』からシネフィル勢から悉く無視されたまたは酷評された『映画 山田孝之3D』まで、多種多様な映画を引用しながら2010年代以降、変容していく映画の形について論じているからである。それは、稲田豊史『映画を早送りで観る人たちで語られる歪な映画の観賞方式とそれに適応するかのように現れたフォーマットを掘り下げていく上で有効なのは、もちろんVTuberのインタラクティブな視聴体験にも適用できるのではと思わせられる。

 例えば、『レディ・プレイヤー1』におけるユーザーが主体的かつ能動的に語りかける様子から紐解く「触覚的」な性質から映画の中のゲーム描写を読み解く様は、先述の『ビデオゲームの哲学』を映画側から捉えた視点となっており、より松永伸司が提示する論の理解へとつながった。

8.STEP RIGHT UP!...I'm Gonna Scare the Pants Off America(ウィリアム・キャッスル)

 今年は、某映画会社でコンサルタントをしたり、Gucchi’s Free School × DVD&動画配信でーた 現代未公開映画特集!のトークショーに登壇したりする関係でたくさんの映画関係者と直接お話する機会が多かった。なので、自ずと映画の体験価値をどのように高めていくのか?を考える年となった。映画業界は、2010年代後半から配信時代に負けないような映画館体験を作り出そうとしたり、サロン的コミュニティ作りに挑戦してきた。

 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』や『バーブバリ 王の凱旋』の応援上映は成功したものの、コロナ禍に入りこれらの活動は難しくなった。また、サロン作りもそこまで上手く行っているとは思えなかった。サロン作りに関しては、VTuber研究が役に立った。一方で、映画館体験として何ができるかを考える上でウィリアム・キャッスルの自伝『STEP RIGHT UP!...I'm Gonna Scare the Pants Off America』が役に立った。確かに、コロナ禍で行うには難しいところもあるが、3Dや応援上映だけではない彼のエンターテイメント精神には見習うところがある。例えば、ミスター・サルドニクスにおける、投票で結末を決める方式は約半世紀後に『ブラックミラー:バンダースナッチ』で実装されたが、この演出はITの力でもっと掘り下げられるのではないだろうか?半世紀以上前に実践されたアトラクション映画の実装過程を知ることで、2020年代の映画のあり方のヒントを得ることができた。

 そして、何よりも軽妙な語りで壮絶な映画人生を歩んだウィリアム・キャッスルの反省が映画化されていないことに驚かされる。マーティン・スコセッシ監督、トム・ハンクスorマイケル・キートン主演で映画化してほしいし、そもそもこんなに面白い本が邦訳されていないことにビックリだ!出版社の方、よろしくお願いします!

9.本心(平野啓一郎/文藝春秋)

 note企画「#読書の秋2022」課題図書ということで読んだのだが、想像以上に多くのテーマについて深く掘り下げていて興味深かった。最初こそは、ジョニー・デップ主演の『トランセンデンス』的、死んだ人がAIによって復活した状況下で本心が存在するのかを問う話だと思っていた。しかしながら、リアルアバターとして生活する様子からは『マルコヴィッチの穴』のような世界はすぐそばに来ていることが分かる。

 実際に、ロボットベンチャーのTelexistenceがコンビニの飲料水陳列作業をVR技術で遠隔に行おうとするソリューションを開発したり、VTuberの配信では視聴者が配信者に指示を出す光景が散見される。

 ユーザーがVRゴーグルをかけながら、物理世界にいるユーザーに指示を出すことで快感を与えるビジネスが出てもおかしくない状況なのは明白だろう。では実現した時にどのような問題が生じるのかを掘り下げており、これが面白かった。

10.泰平ヨンの未来学会議(スタニスワフ・レム/ハヤカワ文庫SF)

 キズナアイが「バーチャルYouTuber」と名乗り、活動するようになり栄えたVTuber文化。そして「メタバース」がバズワードとして社会に浸透していく2020年代。その前に作られたアリ・フォルマン監督のコングレス未来学会議』は『her/世界でひとつの彼女』と併せて再評価する必要のある作品と言える。

 『コングレス未来学会議』は、バーチャル美少女ねむ『メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』やU-NEXTで配信されている『バーチャルで出会った僕ら』で提示される「メタバースに住む」行為を体現しており、仮想世界の中でありたい自分になれる様、自分の観たいものや欲望の具現化を描いている。また同時に、仮想世界に生きることで、上位存在によって操作されてしまう様を批判的に描いていた。このように解釈してみたが、結局のところ未来学って何?という疑問が浮かんだので原作を読んでみた。そして腑に落ちた。

 未来学とはデヴィッド・クローネンバーグが形而上学を用いて数年~数十年後に現実化する仮想通貨やSNS、ノマドワーカーを定義していくこと、つまり「今」存在しない理論を詰めていくことで未来を予測する技術だと分かった。映画の場合、2013年の時点でアニメと実写のシームレスな合成自体はそこまで珍しい技術ではないので、「未来学」とは何かについては然程掘り下げることはしなかったのではないだろうか?アリ・フォルマンは、平野啓一郎が『本心』を書いたように、すぐそばに迫っている技術革新が現実化する時を見据えた掘り下げを行っており、作品に対する評価が高まった。

最後に

 2022年は他にも、メタバースの語源となった伝説的SF小説『スノウ・クラッシュ』やノーベル文学賞を獲ったアニー・エルノーの『事件』、年森瑛『N/A』、筒井康隆『パプリカなど面白い小説に出会えた年である。また、初めてフランス語の哲学書ポール・リクール『Réflexion faiteを読破できて充実した読書ライフを送れたと思う。

 2023年も面白い本に出会えるといいな。


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