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『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季』感想

#読書の秋2022 フォーマットを使ってコメント書きました。

 世界遺産「イギリス湖水地方」は、自然遺産に見えるが文化遺産である。18世紀以降、風景に絵画的価値を見出す運動「ピクチャレスク」の中で山や湖と庭園や公園の調和が作られたことが評価され、2017年に世界遺産登録となった。

 しかし、それは外部からもたらされたもので、代々イギリス湖水地方に住んでいた者からすると「造られたイメージ」に過ぎないと語る者がいる。ユネスコ世界遺産・持続可能な観光プログラムアドバイザーであるジェイムズ・リーバンクスだ。彼は自伝である『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季』にて、古くからこの地に住む者の目線から観光化する世界遺産の問題点を鋭く指摘している。

学校から逃げた「僕」は農業に没頭する

 ジェイムズ・リーバンクスは地元の総合中等学校に息苦しさを感じていた。「勉強ができること」は隠さなければいけない。連日、学校の備品が破壊され、生徒が自殺する劣悪な環境だったと語る。学校の外側では競争社会が待っており、人々は「普通」から逃れるように勉強したり労働をしていた。

 このゲームを馬鹿らしいと思った筆者は、家業である農業に逃げた。学校の先生は、学校を卒業して羊飼いになることは愚かだと言う。農業は低俗な仕事だと見下している。果たしてそうなのだろうか?彼らが思う、「普通」や「古臭い」仕事に対しての解像度が低いことを指摘する。確かに、文字を書けない者もいる。しかし、広大な湖水地方のどこにいても、土地を分析して目的地へ辿りつける。会った人との関係性や背景を深く理解している。子羊の売買には経済圏が生成されており、有利になるように立ち回る必要がある。決して単純労働ではないのだ。専門的な仕事なのである。彼は都市が形成する「競争」という名のゲームに乗らず、自分だけの道を模索することとなるのだ。

観光地化されることによる問題点

 イギリス湖水地方は、景観を守ろうとナショナル・トラストが土地の一部を所有するようになった。発端は、ロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースである。彼は1810年に鑑賞眼と遊び心を持つ者のために湖水地方を共有財産にしようとした。この視点が自然保護団体ナショナル・トラストの源流となっており、2017年には世界遺産となった。

 彼は、住民を無視し外部の人間が散歩するロマンティックな場所へと変えてしまったワーズワースを恨んでいた。観光地化された湖水地方。「お土産」は未来の価値となり、「畜産」は過去の価値へと追いやられた。世界遺産検定マイスター合格に向けて勉強している私にとって、この視点にギクりとさせられた。

蹂躙する側に立つ葛藤

 学校を飛び出し、農業の世界に没頭していたジェイムズ・リーバンクスは、思い立ってオックスフォード大学へ通うこととなる。ほとんど年中無休で働いていた彼にとって大学はヒマな場所であり、休みになる度に故郷へ帰り農業を手伝う。やがて、ユネスコで働くようになるのだが、彼は葛藤するようになる。

 上記のように文明が古き伝統を蹂躙している様子に疑問を抱いている彼が、ビシッとスーツを決めて様々な遺産を訪れ、調査をする。これは自分が蹂躙する側に立ってしまっているのではないかと思い始めるのだ。泥にまみれた状態になることで対等に文化と向き合えるのではと考えている。

「保護すること」に潜む加害性

 世界遺産の登録と保護の意義は何だろうか?個人が所属する文化だけでなく、世界中にある多様な文化について理解することが互いの尊重に繋がり平和をもたらす。また、地球の生態系を知り伝えることで、地球を人類共通の宝物として捉えることができる。つまり、世界遺産を保護することは、地球を守り後世へと伝えていく活動なのである。

  しかし、保護することは無意識に保護者が上位存在となり、主従関係が生まれてしまう。土地に住む個々が持つ真実よりも、保護者が集めた客観的事実により形成される「歴史」が優先されることがある。それにより、古くからその地に住む者の価値観と保護者が「あるべき姿」として与える価値観との間に軋轢が生じる。双方の領域を知るジェイムズ・リーバンクスが赤裸々に語る葛藤を通じて、「保護すること」に潜む加害性に気付かされたのであった。


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