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読書感想文「ビデオゲームの美学」松永伸司

VTuber文化を哲学の領域から研究されている山野弘樹さんがTwitterで紹介していた「ビデオゲームの美学」。最近、映画以外の領域を掘り下げることで新しい映画の見方ができるのではと模索している中、この本は重要な一冊になるに違いないと購入してみました。実際に読んでみると難解なところも多いが、面白い発想の宝庫でありました。軽く感想を書いていきます。

ゲームと映画の体験の違いについて

ニーチェやハイデッガー、アーレントなどといった哲学者の本を読むと前提となる知識が必要だったり、理論運びが複雑だったりしてなかなか読み込むのが難しい。しかし、「ビデオゲームの美学」はどのように哲学的思考をしていくと良いのかをの道筋がはっきりとしていて分かりやすい。山野弘樹さんの「独学の思考法」を事前に読んでいたので、そこで言及されている思考アプローチと類似の手法が取られていたのですんなり入ってきた。

まず、「ビデオゲームの美学」はじっくりページを割いて研究における定義づけを行う。それは単語ひとつひとつにまで波及する。そのプロセスの中で今まで、ボンヤリとしていたものが明確になった部分がある。

それは何故、VTuberやメタバースとゲームの相性が良いのかといったものだ。先日、映画仲間がゴーグルを手にし、メタバースを体験した。その時の感想が「メタバースはゲームとの相性は良さそうだが、映画とは相性が悪いよね。宣伝で使うのは難しいのかな?」といったものだった。

確かに、それは薄々感じていた。VTuberの映画について語る配信をみても、「VTuberの配信」としての優位性がゲームと比べると弱い気がしていた。

本書では、ゲームによる体験を「受容」と定義し、映画や絵画を観る体験である「鑑賞」と線引きしている。美術の世界では、伝統的に静観的で無関心な態度として「鑑賞」という言葉が使われてきたが、ゲームの場合、能動的に参加する行為が含まれるため「受容」が相応しいとしているのだ。

このように考えた時に、能動的に世界に関わっていくメタバースや、対話に参加する。アクションに対して反応することで体験価値がつくVTuberの配信は「受容」しているものであることが分かる。

だからゲームとメタバースやVTuber(三次元のゲーム系YouTuberも含むだろう)との相性は良いといえる。一方で映画は「鑑賞」なので、体験の感覚が異なるから「相性が悪いのでは?」といった感想が生まれると言えるのであろう。ただ、映画に関しても「能動的に参加する」という「受容」に含まれる要素があれば、メタバースやVTuber配信の世界で面白い化学反応を引き起こすことができるであろう。

実際に、ぽんぽこチャンネルの動画「映画大好きVTuberが映画を再現したVR世界に入ってみた。【VRchat】」では、『君の名は。』や『インセプション』、『Curve』の世界を再現したVRChatのワールドが紹介されていた。映画の世界に能動的に没入するスペクタクルは応用できると考えられる。

例えば、ハリウッド大作公開前のプロモーションとして、その世界観を再現したワールドを作り、興味関心を増幅させることはできるであろう。また、短編映画との相性も良さそうだ。短編映画は、世界観を魅せて終わることが少なくない。その世界観の続きを味わえるような企画はどうだろうか?鑑賞から受容に変える体験価値の創造、短編映画で紡がれる断片的な世界を鑑賞者の手で補完していく作業の手助けとしてメタバースは使えないか。映画宣伝としてのメタバースへの関わり方のヒントとして「鑑賞」と「受容」の概念は助けになった。

のばまんの動画がなぜ面白いのか?

のばまんゲームスというYouTubeチャンネルがある。このチャンネルでは、のばまんさんがシミュレーションゲームをメインに、現実ではあり得ないようなことを冷静な語りと狂気的な笑いに包みながら作り出していく動画をアップしている。例えば、「一度入ったら絶対に出られない遊園地を作るプラネットコースター」では遊園地経営シミュレーターゲームを使って、ジェットコースターに乗ったら一生出られない空間を作り出し、拷問を行っている。

この動画の面白さを説明する上で、本書のフィクションならではの特徴が鍵となっていくる。ここではカフカの「変身」を例に、フィクションは新たな事柄を作り出すことができると説明されている。「グレゴール・ザムザは虫になった」要素をはじめ、「変身」を構成する要素は、それが書かれる以前は偽であった事象だ。しかし、「変身」の中では真となる。

ビデオゲームはトランプや将棋などといった伝統的なゲームとは異なり、ブラックボックス化された世界の中で動くことができ、時に目標や意図されたプレイを無視することができる。幕末志士が「スーパーマリオ64」で1UPキノコから逃げ回りながら赤コインを取る遊びをするように。

のばまんさんの場合、その特性を活かして、通常のゲームプレイで思いつかないようなフィクションを生み出す。現実はもちろん、ビデオゲームの中ですらあり得ないようなフィクションに驚き、面白さを感じると言える。

そして彼の場合、生み出した新たな事柄から別の概念を生み出すことで面白さを作ることがある。

例えば、宇宙シミュレーターゲーム「Universe Sandbox 2」を使った動画がある。のばまんさんは、1兆度の炎を地球にぶつけたり、無数の地球を太陽系に浮かべてみたり、ハトを光速の100,000,000,000,000,000,000倍の速度出地球にぶつけたりしている。そして、「地球がだめになる直前の色をしてますね。」とフィクションの中で真な発言をする。

そんな彼が、自動で小説を書いてくれるアプリ「AIのべりすと」で、土星の大きさの隕石を落として強制的に物語を終わらせようとする動画を作った。ここでは、AIが夢オチ、異世界転生話に置き換えることで物語を持続させようとする。それに対して彼は「ユニバースサンドボックスされているなこの主人公」とゲーム名を動詞として使う。これは「Universe Sandbox 2」において彼が生み出したフィクションを「凄惨な滅び方をしても何度でも復活できる様」という概念に置き換え、別のフィクションに適用した例と言える。

最後に

正直、一読だけではわからないことも多い本であったが、シングルプレイのビデオゲームに関する論考から映画やゲーム配信を読み解くヒントがたくさん得られました。本書は何度も立ち戻ることになるだろう。

「ビデオゲームの美学」概要

著者:松永伸司
出版:慶應義塾大学出版会
出版年:2018年10月30日(第1版)

ビデオゲームは芸術だ!

産業規模の拡大とともに、文化的重要性が増しつつあるビデオゲーム。
本書は、ビデオゲームを一つの芸術形式として捉え、その諸特徴を明らかにすることを試みる。スペースインベーダー、ドンキーコング、テトリス、パックマン、スーパーマリオブラザーズ、ドラゴンクエスト、電車でGO! ――多くの事例をとりあげながら、ビデオゲームを芸術哲学の観点から考察し、理論的枠組みを提示する画期的な一冊。

Amazonより引用


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