薄い塩素の香りを、プールの香りと呼んだ日
プールの後は決まって国語だった。そんな気がする。
プールカードの印鑑を忘れると授業に出れなくなってしまうから、母親のポーチから印鑑をこっそり抜き取ったり、筆致を精巧に真似てサインを書いてみたりした。
もともと水泳を習っていたから、そこまで水泳は苦手でもなかったように思う。でも大した記憶なんてもう無いし、出涸らしがほんの少しだけこびり付いている。入水前のシャワーが死ぬほど嫌いであったこと、水着姿の異性とか、ラップタオルの内側をするりと抜けていく生温い水の感触とか、プールが終わった後指先に残った塩素の香りだとか。
プールの後は国語だった。決まって国語だった。たぶん。扇風機の切り替えレバーを最大強度まで跳ね上げ、自分の方へ顔が向くのをずっと待っていた。
一方通行の強風が前髪と教科書の端を撥ね付ける。
意中の生徒が目の前に座っていて、身長の低かった自分はほんの少しだけ背を伸ばし、うなじにこびり付いた髪の毛を視界に交えながら、まじまじと黒板を見つめていたのだ。
雨が降った後の街の匂いは、一定量の憂鬱を誘発する。その香りをぺトリコールと呼ぶらしい。
大人になるということの定義はよく分からないけれど、いつの間にか見なくなってしまった飛行船のことを思う時、きっと大人になってしまったんだと思うと共に、ちぐはぐな感情が羅列して止まない。
まだ二十歳では無く、もう二十歳なのだ。
知識を詰め込む度に賢くなったのだという錯覚に襲われるけれど、ひとつ覚えてひとつ忘れて、覚えていることより忘れていることの方が多くなる。