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デンマークに留学、帰国して4年以上たち、180度異なる価値観との葛藤をかえりみつつ「個…

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デンマークに留学、帰国して4年以上たち、180度異なる価値観との葛藤をかえりみつつ「個人の尊厳とは」を考えているアフカン男性。

最近の記事

自分たちに必要なものは自分たちで作るーー消費と幸福

私はデンマークに行く前に少しだけデンマークについて調べた。そのときに印象に残ったのは、なかなか新しいものを買わない、なるべく修理して使うという生活スタイルがある、ということだった。そのときは単に物価が高いのでやたらにものを買い替えることがしづらいのだろう、もしかすると購入に際して選択肢があまり多くなく、自分で工夫することを余儀なくされているのかも、などと思っていた。動画配信サイトで狭い住宅に工夫して住んでいる家族へのインタビューも観たりしたがやはり同じように感じたものだった。

    • 人に迷惑をかけるなというけれどーー日々の尊厳

      ときどき、この「迷惑」について記しているが、時間がたつにつれてその内容も多少変化してきているようである。 「人様に迷惑をかけてはいけない」これは小さいころによく聞かされてきた言葉である。また、自分の子供にもそのように言って聞かせることが多いのではないだろうか。自分もその両方であった。まったくそれがもっともであると一片の疑いもなく歳を重ねてきた。 デンマークに留学したからと言って、そこに疑いを持ったわけではない。どこの国のどんなコミュニティであっても「人様に迷惑をかけるようなこ

      • 自分に合わせる、周りに合わせる上下関係-日々の尊厳

        自分が何か周囲に合わせるように行動するのと、周囲の何かを自分に合わせようと行動することは、自分の日常の中でよくあることである。ほとんど無意識のうちに選択しているようにも感じる。周囲に合わせるときには自分の存在感というものはあまり感じられずに、良く言えば「周囲のためを思って自分を無にしている」、悪く言えば「自分に自信がないのであまり考えず」にいるかも知れない。また、自分に周囲を合わせようとするときは自分の主張を強く意識していて、良く言えば「自信をもって能動的に」悪く言えば、「人

        • 言葉が聞き取れたという途中の感覚

          私は5年前にデンマークのフォルケホイスコーレに留学したのをきっかけに、それ以来デンマーク語を練習し続けている。デンマーク語には日本語にない発音があり、アルファベットも馴染みのある26文字の他に3文字、見慣れない文字がある。さらに書いてある文字から発音が想像できない。私はデンマーク留学の直前に挨拶程度でもデンマーク語を使いたいと思いインターネットで簡単な練習教材を探してみた。そしてすぐに書くのは諦めて耳で聞いてそのまま口に出すだけの練習に決めた。それほどデンマーク語は「異次元」

        自分たちに必要なものは自分たちで作るーー消費と幸福

          戦略を立てる動機づけ

          なんの問題もストレスもない、安心しきった状態はそうそうあるものではない。私の過去を振り返っても大抵はいつも何らかの問題やストレスを抱えていた。生活のことも、仕事のことも、人付き合いのことも、考えだしたら何かしら問題があるような気がしてくるし、解決しなければならないような気がしてくるものだった。そしてそのことを考え出してしまうとそれはどんどん膨れ上がり、不安にかられたり、負の思考が渦巻くようなことになったりした。多分にこれは「脳のエネルギーのムダ使い」である。せっかく美味しく食

          戦略を立てる動機づけ

          「育てる」と「作る」

          人材育成という言葉がある。人間は社会的な動物であり、集団を作ってその中で役割を担うことでその集団が維持されてゆく。そのように集団の中の役割を担える人を「育てる」という言葉だ。育てるというのは育てられる対象(人)が中心にあって、その対象がうまく育つように環境を整えたり教育を施したりすることだ。そしてその対象(人)が育つ「ペース」が第一に重要である。 人づくりという言葉がある。先の人材育成という言葉と混用されている向きもあるようだが、人間社会の中で役割を担える人を「つくる」という

          「育てる」と「作る」

          書のような人生ーー日々の尊厳

          小中学生の頃には習字という授業があった。硯に水を垂らして墨をすり、筆に含ませて半紙に大きな文字を書く。はね、とめ、はらい、などいろいろに筆を使って「美しい文字」を書く練習だ。 私は得意ではなかった。 だいたい初めから水を入れすぎたのと、全部の水を墨汁のようにしようとして、一向に墨液がが濃くならずに書く時間が足りなくなるのが常だった。 ただ、模範の字が美しいと思ったし,そのような字が書けたらいいなとも思った。そして美しい文字が書ける友人を羨ましく思ったものだった。 ある時、美し

          書のような人生ーー日々の尊厳

          自分のためにやる、と思わなければ、長続きしない--日々の尊厳

          尊厳を守ることが大事だとことあるごとに述べているが、それは「他人の尊厳を守ることが大切で、そうしなければならないし、そうでなければならない」と思うこととは少し違う。たとえそのように思ったとしてもそんな状態は長続きせず、実際には疲れるだけになりそうである。むしろそれよりも「自分の尊厳が守られることが大切で、そうでなければならないし、そのためには自分がどのようにあるべきか、どのようにすべきか」と考えるほうがよっぽどその気になる。つまり、自分のために、である。 忙しい毎日の中で「自

          自分のためにやる、と思わなければ、長続きしない--日々の尊厳

          ヤンテの掟ーー日々の尊厳

          デンマークに留学して、授業で教わったり図書館で調べた興味深いものの一つにヤンテの掟(ヤンテローエン)というのがある。10の戒律が並んでいるが、どれも自分は優れていると考えてはいけないという、自分を戒める内容だ。 当初はこれが自分の傲慢さを戒めて、コミュニティの中でうまくやっていくための、いわば個人主義が暴走しないようにするものだと思っていた。現代は得意を伸ばすことも重要だから、少し古い考えかもしれない、とはフォルケホイスコーレの先生の言葉だ。 しかし確かにそうかもと思いつつも

          ヤンテの掟ーー日々の尊厳

          信頼関係ーー日々の尊厳

          私は4年前にデンマークのフォルケホイスコーレ留学から帰国して以来、尊厳というキーワードを常に頭に置いてきた。尊厳は「ある」というよりもむしろ「守られている」と表現した方がしっくりとくる。なぜなら尊厳は関係性の中で現れるからである。そして尊厳の現れる関係性は、信頼関係であると思っている。 信頼関係の日欧の比較については大変興味深いものがあるが、ここでは至極大雑把に「相手に対して安心できる関係」としておく。そして信頼関係を作る・築く方法は、どうも洋の東西を問わず同じようである。そ

          信頼関係ーー日々の尊厳

          休まないと前に進めないーー日々の尊厳

          若い頃は・・などという歳になってしまったが、若い頃は気力というものが無限に湧き出してくると思っていた。体力も、限界はあるが、バタンキューと一晩眠れば「リセット」されると思っていた。はずだ。はずなのだ。なぜはずなのかと言えば、そのようにすら思っていなかったからだ。健康は失って初めてその存在を知るという。私も健康なうちは気力や体力のことを意識したことはなかったようだ。 歳をとって気力体力が衰えたから、休まなくては進めなくなったのだと書きたいのではない。むしろ逆である。休まなくては

          休まないと前に進めないーー日々の尊厳

          我慢すべきか、せざるべきかーー日々の尊厳

          もう5年も前になる。デンマークのフォルケホイスコーレに留学して猛烈に燃焼して帰ってきた。58歳のときである。 面白いと感じたのは「デンマーク人は我慢しないよね」と日本人が言うことである。言われてみれば確かに我慢していないようにも見える。すぐ転職する、すぐ離婚する、すぐ・・・、我慢してその場にとどまろうとしていないように見えるのだと思う。ただ、デンマークには「柔軟な労働市場」という特徴があり、簡単に会社をクビになる。しかし失業保険が手厚く、その間に資格を取ってもっと高い給料の職

          我慢すべきか、せざるべきかーー日々の尊厳

          日本には「礼節を重んじる」という文化がある。自分の礼儀のルールを押し付けるのではなく、相手を尊重して自分の節度をわきまえ、居心地の良い関係を作ることだという。礼儀作法は大事だが、押し付けてしまっては礼節に欠くというわけだ。このことが教育に反映されていなければならないはずだ。

          日本には「礼節を重んじる」という文化がある。自分の礼儀のルールを押し付けるのではなく、相手を尊重して自分の節度をわきまえ、居心地の良い関係を作ることだという。礼儀作法は大事だが、押し付けてしまっては礼節に欠くというわけだ。このことが教育に反映されていなければならないはずだ。

          フォルケホイスコーレのファンである。(5)

          このところ、オンラインでフォルケホイスコーレに関係する、もっと大雑把に言えばデンマークに関係するミーティングに参加する機会が増えている。 フォルケホイスコーレとは、北欧の教育機関の一つである。17.5歳以上なら誰でも入学できるので、日本人にも人気のある場所である。全寮制で、概ね数ヶ月を1学期として、先生と生活を共にしながら学ぶ学校である。 ここに入学した経験のある日本人またはその話を聞いた日本人がフォルケホイスコーレの必要性を感じ、日本に導入しようと言う動きが広がっているよう

          フォルケホイスコーレのファンである。(5)

          対話を楽しむ対話ーー日々の尊厳

          3日間のデモクラシーフェスティバルが終了した。デモクラシーフェスティバルというのは北欧で始まった、一種のお祭りである。日本でお祭りといえば、神様をお祭りして一年の生活がつつがなく営めるように祈願し、その神様になにがしかの奉納をするということになるが、これにたとえて言えば、デモクラシーフェスティバルの神様とはデモクラシーつまり「個人を尊重し対話をベースとした信頼関係で結ばれた良いコミュニティのなかで幸福を感じながら人生を送る社会」となるだろうか。また、それを祈願して奉納するもの

          対話を楽しむ対話ーー日々の尊厳

          安心して話せるということーー日々の尊厳

          今年ももうじきオンラインのデモクラシーフェスティバルが始まる。デモクラシーフェスティバルとは対話を楽しむイベントである。対話というと口角泡を飛ばしケンケンガクガクやかましくて余程の体力と気力がないと参加することはかなわないし、できれば参加したくないといったイメージが私にはうっすらとあった。おそらく昔むかし社会の教科書にプラトンだとか哲学だとかそういった恐れ多い言葉の中に「対話」が混じっていたからだろうか。自分の中では「対話」とは知識の対象であり,現実の行動に結びついていなかっ

          安心して話せるということーー日々の尊厳