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人に迷惑をかけるなというけれどーー日々の尊厳

ときどき、この「迷惑」について記しているが、時間がたつにつれてその内容も多少変化してきているようである。
「人様に迷惑をかけてはいけない」これは小さいころによく聞かされてきた言葉である。また、自分の子供にもそのように言って聞かせることが多いのではないだろうか。自分もその両方であった。まったくそれがもっともであると一片の疑いもなく歳を重ねてきた。
デンマークに留学したからと言って、そこに疑いを持ったわけではない。どこの国のどんなコミュニティであっても「人様に迷惑をかけるようなこと」は慎むべきだと、逆に確信を持ったくらいである。そのくらい、この言葉には説得力があるように思える。
ところで、である。デンマークに留学して個人の尊厳というものをひたすら考える時間を得ることができ、その中でこれまで日々当然のこととして疑いを持ったことのない言葉に改めて向かい合ってみるということを体験したことで、帰国しても様々な言葉に向かい合ってみようという、ちょっとだけ生活態度が変化したことは事実である。今回は「迷惑をかける」という言葉が引っ掛かったというわけである。
「迷惑をかける」の意味を調べてみると、「自分のことで他人にいやな思いをさせること」というようなことが出てくる。また、「迷惑だ」という言葉は「相手のことで自分が嫌な思いをする」というように書いてあることが多い。どうやら相手(他人)がいないと成立しないものである。平等(対等)も尊厳もやはり相手がいないと成立しない。とすると、迷惑というのも同じような関係性の一つだという気がしてくる。
「相手に迷惑をかけるな」というのが「相手にいやな思いをさせるな」ということなら、相手に沸き起こる感情をコントロールせよ、になるのだろうか。「自分に迷惑をかけるな」というなら自分に沸き起こる感情を相手にコントロールさせよ、になるのだろうか。やはり相手がいる限りそんな一方通行のものではないように思う。つまり自分と相手があるときは、必ず双方が努力して守らなければならないものがあるということだ。カタログショッピングなどが普及して「一方的に注文する」ような生活に慣れてしまうと相手という「人」に対しても一方的な行動をとりやすくなってしまうのかもしれない。その習慣の中で「相手に迷惑をかけない」となると、自分の一方的な行動として何かが必要ではないかと感じてしまう。
しかし実際に必要なのは「双方が努力して守るもの」である。「リスペクトする」「尊重する」という言葉も聞かれるが、それらも「何か一方的な」行動のように感じる。実はその前に「お互いに受け止める」ということが大切なことだと思う。まさにそのことはデンマーク留学で身に染みて感じたことの一つである。

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