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休まないと前に進めないーー日々の尊厳

若い頃は・・などという歳になってしまったが、若い頃は気力というものが無限に湧き出してくると思っていた。体力も、限界はあるが、バタンキューと一晩眠れば「リセット」されると思っていた。はずだ。はずなのだ。なぜはずなのかと言えば、そのようにすら思っていなかったからだ。健康は失って初めてその存在を知るという。私も健康なうちは気力や体力のことを意識したことはなかったようだ。
歳をとって気力体力が衰えたから、休まなくては進めなくなったのだと書きたいのではない。むしろ逆である。休まなくてはならない体になったからこそ前に進めることがわかってきたように思うのである。
別に年齢に関係なく「休みを取る」ことの重要性は盛んに言われている。きちんと休むことは生産性を上げ、精神衛生上にも良いと、頭ではわかっている。いるがしかし、「疲れてもいないのになぜ休むんだ?」という論理、いや感情は私の中でかなり支配的である。
休むというのは、現在の行動を止める。働いている頭と体を止める。そしてその働きを再び最大のパフォーマンスを出せるように回復させるということだ。つまり、止めるだけではない、回復という別の行動に移るのだ。それを強く意識させたのが、5年前のデンマークのフォルケホイスコーレ留学であった。言葉の通じにくい、頼れる人もいない中で自分だけが頼りの生活。バタンキューするまで突っ走ってはいけないことを強烈に意識した期間だった。それでも神経痛で歩けなくなったり3度も風邪で寝込んだりした。喘息が残って眠れないこともあった。そこを乗り越えられたのは、今まで気に留めなかった「回復」への集中だったのだと今は思う。
休むというのは、ブレーキをかけることである。見通しの良い空いた高速道路を時速100キロメートルで安定に走行していて、気分もいいし,天気も良い。にもかかわらず、ブレーキをかけてパーキングエリアに入り1時間ゆっくりと静かな気持ちで体操したりリラックスするのである。この行動に抵抗を感じるのは、おそらくこの先が見えていないからである。
この先3時間曲がりくねった山道が待っていることを知っていれば、もしくは予想していればただ体を休めるだけではなく他にも準備をすることだろう。むしろ積極的にブレーキを踏んで備えようとするだろう。
少し先を見て今の行動を決めることが重要なのは論を待たないが、充実して全開で走っている時は、先を見ていないことが多かったような気がする。アクセルしか踏んでいないのである。このことを「余裕がない」という。その意味で、フォルケホイスコーレはブレーキの使い方を教えてくれたのだと思うのだ。

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