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自分たちに必要なものは自分たちで作るーー消費と幸福

私はデンマークに行く前に少しだけデンマークについて調べた。そのときに印象に残ったのは、なかなか新しいものを買わない、なるべく修理して使うという生活スタイルがある、ということだった。そのときは単に物価が高いのでやたらにものを買い替えることがしづらいのだろう、もしかすると購入に際して選択肢があまり多くなく、自分で工夫することを余儀なくされているのかも、などと思っていた。動画配信サイトで狭い住宅に工夫して住んでいる家族へのインタビューも観たりしたがやはり同じように感じたものだった。ある意味、モノの溢れている国からモノが少ない国を見ている感覚である。消費大国の目線である。
ところがデンマークへ留学して帰国してからも4年間、色々と考えてきた今はだいぶそのとらえ方が異なっている。それは消費社会への反省を含むものであり、その中心にあるものは「わたしたちは人生まで消費しようとしているのではないか」という思いである。確かにデンマークは物価が高い。税金も高い、私が滞在したロンデという町は郊外にあったので、モノに溢れているという感覚もあまりなかった。だが暮らせないわけではない。必要最小限で揃っているという感じであった。重要なのはそれは社会の仕組みとして市民が自ら選び取ったものであり、自分たちの生活は誰かから与えられているのではない、自分たちが日々作り上げていると基本的に考えているようだということだ。
私は「幸福」についてのイメージが乏しい。それは人はそれぞれ欲しがるものが違うから、幸福を一般的に説明できない、というような浅い見解である。確かに幸福感を味わう瞬間は何度もあった。あったがそれを幸福な人生の一部にすべく理解することができない。それはどうも「消費する」だけの生活の中で人生が「作られて」ゆくと錯覚していたからだと今は思える。いや、私は「モノづくり」を仕事にしてきたし、決して消費だけしてきたわけではない、と抵抗してみても結局は「消費財」を作ってきたのである。自分に必要なモノを作ってきたのではなく他人に「消費させる」モノを作ってきたのである。
この違い。
自分や自分たちが必要とするものは「自分や自分たちでつくる」。それがまた自分の人生を良くつくることになる。これがすなわち「幸福」や「デモクラシー」と強く結びついていることに最近になってようやく気づくことができた。なるほど、ここまで来るともはや「幸福」と「デモクラシー」は同義に近い。デンマークでの経験は今なお私を育てているようだ。

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