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ヤンテの掟ーー日々の尊厳

デンマークに留学して、授業で教わったり図書館で調べた興味深いものの一つにヤンテの掟(ヤンテローエン)というのがある。10の戒律が並んでいるが、どれも自分は優れていると考えてはいけないという、自分を戒める内容だ。
当初はこれが自分の傲慢さを戒めて、コミュニティの中でうまくやっていくための、いわば個人主義が暴走しないようにするものだと思っていた。現代は得意を伸ばすことも重要だから、少し古い考えかもしれない、とはフォルケホイスコーレの先生の言葉だ。
しかし確かにそうかもと思いつつも、何か少し引っかかるものを感じながら何年も経ってしまった。日本にいると、しばしば比較する文化というものを感じる。上下関係が厳然としている社会では常に自分を周りと比較して自分の「分」をわきまえければならない。それが習慣になると、比較無用なところまで比較するようになってしまう。社会的な役割に関する比較ではなく,個人的な優劣の比較である。多くの場合、そのような比較には意味がない、ナンセンスであると結論づけられる。特に多いと思われるのは、自分は他人と比べて劣っていると考える必要がないという文脈だ。
デンマークのヤンテの掟はその逆で、自分は決して優れているわけではないのだ!という。いかにも個人主義の国らしいと見えるだろうか。ただ私はこの「出る杭を打つ」ような言い回しが平等の国にしてはいかにも比較を強調しているように感じたのである。日本では「そんなところを比べなくてもいいよ」と言い、デンマークでは「比べてみなさい!優れてないから」と言っているようだ。
よくよく考えてみると、どちらも比べた結果がつまらない、つまり比較することそのものを戒めているように感じる。とすればそれに反して自分より他人が優れていると悩んだり自分は他人より優れていると傲慢に考えたりすることは実は同じことなのではないか。全く対極にあるような感情は実は同じところにあり,ナンセンスである。なぜナンセンスかというと、それは相手を認めていないからである。無用な比較をすることは、相手を認めない理由づけに過ぎなくなる。ヤンテの掟はそれを戒めているのではないか。
尊厳は互いに努力して守り合うものである。そのために第一に必要なことは相手を認めることである。信頼関係を築くのも、そのために対話を重ねるのも、相手を認めなければ不可能だ。ヤンテの掟がその大前提を示しているのであれば、それは全く時代遅れではない、普遍とも言えるものではないか。

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