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チャーリーの「歌って生きていくサロン」Light
2020年5月5日 15:57
街行く人に「掘ったイモいじるなぁ!」 スーパーのレジ待ちで「掘ったイモいじるなぁ!」 郵便局で「掘ったイモいじるなぁ!」 腕時計を外してポケットに隠し、さも時計を持ってないかのように「掘ったイモ、掘ったイモ、掘ったイモ・・」・・・・ただのヘンタイである。しかしこのインチキ・イングリッシュが後に大活躍しようとはこの時点では知る由もなかった。 まぁそうこうしているうちにな
2020年5月2日 16:57
ゴスペル日記 4 ~上陸〜1997年 9月27日待ちに待った出発当日 、スーツケースなんてシャレたものはもっていなかったので、バスケ部で使ってたデカめのスポーツバッグに幾つかの服とスニーカーを詰め、そのとき買った一番安い航空チケットを手に出発した。 飛行機という乗り物に乗るのが人生で初めてであった。正直、当時の無知な19歳には、こんなデカい鉄のカタマリが空を飛ぶなんて俄に信じ
2020年4月30日 15:20
「ゴスペル日記 3 」~旅立ち~進路が「大学進学」から「スティービーワンダーになる!(アメリカ音楽留学)」に変更になってから、1996年に高校をなんとか無事?卒業したわけだが、、しかし、親にせっかく大学行けって言ってもらってるのにそれを完全にシカトして、アメリカで音楽なんてフザケタこと(本人は本気だが)親に反対されるのは当然わかっていたし、しかもまさかそのお金を出してくれなんて頼める
2020年4月29日 03:02
ゴスペル日記2 ~We are the worldとの出会い~2006年01月23日に執筆「そうだ、アメリカへ行こう 」 ・・・まるで昔のJRのキャッチコピーのパクりみたいではあるが、 中学一年生の時から歌いはじめ、「三度のメシより歌が好き」ってやつを地でいきながら本気で心からそう思ったのは高校2年の夏(1995年)だ。忘れもしない、それは期末テストも終わり、あとは夏休み
2020年4月28日 06:25
「ゴスペル日記1」ふと想った。 この思い出を何かカタチに出来ないだろうか? そう、念願叶って本場アメリカでゴスペル・シンガーになったのである。 「歌が好き」 はじめはただそれだけだった。 でも、 ただそれだけのことがどれだけ大切で どれだけ自分の今までの人生に影響を与えてきたか・・・ 歌、音楽、芸術を愛する同志にこの気持ちを伝えたい、分かち合いたい。 そんな想いか