「ゴスペル日記 3 」~旅立ち~
「ゴスペル日記 3 」~旅立ち~
進路が「大学進学」から「スティービーワンダーになる!(アメリカ音楽留学)」に変更になってから、
1996年に高校をなんとか無事?卒業したわけだが、、
しかし、親にせっかく大学行けって言ってもらってるのに
それを完全にシカトして、
アメリカで音楽なんてフザケタこと(本人は本気だが)親に反対されるのは当然わかっていたし、
しかもまさかそのお金を出してくれなんて頼めるわけもなかったので、
何も言わず、ひたすらバイトしまくりで貯金する計画を立てた。
何といっても最初はどうしても吉牛で働きたかった。
言わずと知れた牛丼屋の老舗「吉野家」である。
というのも高校生時代、いつも土曜日(午前で終了)の下校時に友達と吉牛で食べて帰るというのがお決まりのパターンとなっていた。
「土曜 牛の日」とかバカなこと言いながら。。
いま考えりゃこのときからすでにオヤジギャグである。
今は他にも牛丼屋とか安い焼肉屋もいろいろあるが、
当時は高校生が自分の小遣いで腹いっぱい食える「肉」といったら牛丼しかなかったんだよね。
そんな吉野家でいつか働いてみたかったからだ。(というよりまかないの牛丼が目当て)
そこで近所の吉牛へ行き、客として特盛ツユダクを食べた後、会計時おもむろに
「ここで働かせて下さいっ!! 何でもやりますっ!!」
とデカい声で言った(←空気読めよっ!)
すると、たまたまその接客してくれた店員がそこの店長だった。
店長 「君、いくつ?」
私 「あ、もうすぐ19っす!!」(←18って言えよ!未成年には変わりねぇから)
店長 「履歴書とか持ってきてる?」
私 「リレキショってなんすか?」
店長 「・・・・・汗」
完全にアホだと思われたに違いないが、
近々求人募集を出す予定だったらしく、
ラッキーにもその後ワリとすんなり雇ってもらえた。
仕事中は本当にトロくてしかられてばかりだったが、
挨拶だけはしっかりやろうと心がけた。
そしてそれも全てボイトレだと思い、声を張りまくって
「いらっっしゃーせー!! 並 いっちょ~~! あざーしたー!!」
しばらくは夕方~夜で入っていたが、
すぐに深夜~早朝のとにかく時給がUPする時間帯に転向。
週7日でほとんど休日無しで働きまくった。
吉牛時代の笑い話はたくさんあるが、それはまたの機会に。
何の資格もない自給900円そこそこのアルバイターのブンザイで、
「毎月20万円貯金計画」という無謀な目標を立てる。
とにかく死ぬ気で働いた。。ときに死んだw
「このくらいできなくて、アメリカで何が出来る?」 と自分に言い聞かせて・・・。
結果、半年足らずで親の扶養から外れる。
そして一年弱でそこそこの金額に達する。 まぁ実家暮らしだったのもあるが。。
「よし!これで行ける」(←アサハカ)
しかーーし!! アメリカ大使館に申請した肝心のF-1ビザ(主に語学留学生用のビザ)が発給されなかった。。
ぬぉぉ~~~マジか~~~~!!!???
やっぱ最終学歴がヤバ過ぎたか?? (あながち)
*じつはこの時期、アメリカ大使館でいろいろ事件があり、ほとんどの方が発給されなかったそうです*
しかたなく長期留学を一時断念。
う~~ん、それでもやはりどうしても行きたいっ!!
そこで調べてみると、観光扱いで最長90日滞在できることを知る。(←気付くの遅っ!!)
んじゃとりあえずそれで行ってみっかと思い、下見気分で辞書も持たずに初のアメリカ大陸へと出発する19歳。1997年9月27日であった。
しかしこの後、下見どころではなくなる事態になってゆく
・・・・・・つづく
2006年01月28日に書いたもの
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