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🤱【あなたの為を思って】という罠〜やり直し

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母にとって「子育て」は楽しいことではなかったのかな?
修行のようなものだったのかな?
私はね、子ども達の幼い頃を思い出すと、生命の危機もあったけれど、圧倒的に可愛くて楽しいことの方が多くて笑みが零れるんだよね。



小学1年生は8クラス、チャイムが鳴ったら休み時間。
ロッカーからいそいそと油粘土を出して捏ねていると「それはズコウの時間に使うからね」とカタヤマ先生に言われた。
ズコウって何だろう?
幼稚園のときは、休み時間に粘土で遊んでも良かったのに。



授業が進み、コクゴで初めてカンジを習った。
「さぁ、ノートにイチからサンまで書いてみましょう」。
きれいに書かなきゃと、定規で横線を1本引いたらイチ、2本引いたらニ、3本引いたら……カタヤマ先生がすぐ横に立っていた。
「字を書くときに定規は使わないのよ」誰も教えてくれなかったんだもの、知らんがな……



サンスウの文章問題。
今も線分図って教えてるのかな?
あれがどうしても理解できなかった。
「りんごが2つとみかんが3つ、全部でいくつ?」を、1本の直線を区切ったりまとめたりして表す。
5つになるのは解るのに、線で表す意味が解らない。



学校で解らないから、帰宅して母に教えてもらう。
あのね、頭が良い人と教えるのが上手い人は別物です。
「さっきも言ったでしょうっ‼︎」「どうして解らないのっ?」。
どうして解らないか解らないから教わりたいんだけど。
線分図は解らないけれど、母が激昂してくるのは判る。



2年はアサダ先生、カタヤマ先生に続いてまたおばさん先生。
もうズコウが絵を描いたり何かを作る時間だと知っている。
紙粘土で首振り人形を作っていた。
ピンク色のウサギ。
長い耳を頭に付けるのが難しい。
おしっこをしたくなってきた。
未だチャイムはなりそうにない。
頑張ったけど遂にダムは決壊。



「トイレに行きたい」という一言が、どうして言えなかったのか?
お漏らしするより遥かに恥ずかしくないのに。
母に物言うときビクビクする私は、カタヤマ先生にもアサダ先生にもよく似た感情を抱いていた。
何かやったら注意されるんじゃないか、思ったことを口に出したら怒られるんじゃないか、って。
ズコウの時間に「おしっこしたい」と言ったら、アサダ先生は怒るに決まってると思い込んでいた。



別のズコウの時間、画用紙に景色を描いていた。
Y君に「水色のクレパス貸して」と言われたときは使用中。
塗り終えてからY君に貸してあげようと思ったら席に居なかった。
「あ、空を塗るんだな」と思った私は、白い所を少しだけ塗ってクレパスを机の上に置いてあげた。



「皆んなちょっと顔を上げて。
キタノ君の画用紙に勝手に色を塗ったのは誰ですか?」とアサダ先生が訊く。
私がY君のだと思ったのはキタノ君の絵だった。
キタノ君は雲のつもりで、白いままにしていたんだ。



隠し通すほどの図太さはないから「私です」と申し出た。
理由を訊かれても、アサダ先生が母と重なって何も言えなかった。



家庭訪問や個人懇談で、母はカタヤマ先生やアサダ先生とよく話していた。
内容は判らない。
母はしょっちゅう「情けない」「お腹に戻して初めからやり直したい」「育て方を間違えた」と私の前で泣いた。
今のままの私は要らないの?
間違いは、もう治らないの?
それって子ども本人に言うことなの?


こんなメモを元に書いてる
エピソードがあり過ぎて
要らないことばっかり覚えてて
日々思い出してしまう自分が面倒くさい
書いたら「削除」してるのに増えて行く
全てを書くつもりはないけれど




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