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【小説17】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜喪失〜

全話収録(フィクション)⤵️

前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️


17.喪失

 前田麻子がデイサービスのリーダーになってからの2年間で、職員の4分の1程が入れ替わった。
殆どが夫の転勤による遠方への転居だ。
 今の管理者に不満は多々あるが、採用面接に麻子が出られるようにしてくれたのは功績だ。
既存職員が振り回されるようなミスマッチや短期離職が随分と防げた。
麻子が採用をプッシュした職員はご利用者、ご家族からも評判が良かった。

 「解りました。
残念だけど引き留められないわね。
管理者には私から伝えておきます。
もし気が変わったら、いつでも声をかけて下さいね」
給与の不満で転職するのは4人目。
こればかりは、麻子にもどうすることもできない。
 介護業界の平均給与は全業種平均より概ね4万円程度低いと言われている。
これは管理職もひっくるめた平均なので、実際の介護職員の給与は4万円どころかもっともっと低い。
その介護業界の中でも、低賃金なのが麻子が勤めている法人だ。
 安くても楽なら構わないという人も居るだろうが、高いホスピタリティを要求されるので気が休まることがないのだ。

 「それで了解したのか?
どうするつもりなんだ?
引き留める方法はなかったのか?」
どうして管理者はこういう言い方しかできないのだろう、とはもう思わない。
2年間の付き合いだ。
 「私には、賃金を引き上げることはできません。
デイにとっては大切な人材です。
何とか管理者のお力で引き留めて下さい。
管理者に面談を申し入れるように伝えてありますから、どうぞ宜しくお願いします」

 管理者の言いそうなことは、大体予想がつく。
資格取得して手当をもらえば良いとか、有料老人ホームへ異動して夜勤をすれば良いとか…
どうせ最後は、俺が説得しても決意は堅かったって言うのよね。
 違うのよ、基本給自体が低いんだもの。
良い職場だったけれど、給与に我慢ができなくなったんですって。
生活費に困ってるんですって。
偉そうにふんぞり返っている時間で、近隣事業所の求人情報でも見比べれば良いのにね。

 夫の出張生活は続いていたが、何処へ行くともいつ帰るとも言わない。
麻子も訊くことを諦めた。
そもそも家で食事をしないと宣言されたのだ。
夫が居ようと食事は作らなくて済むのだから、帰宅がいつになろうと「ご自由に」という気分だ。
 生活費も要求しない。
夫が生活費と光熱費を払っている間は静観することに決めた。
「洗濯付きシェアハウスに居る無愛想な住人」だと思えば良いだけだ。
幸いなことに次男の進も正社員として就職してしているので、困窮することはないだろう。
 でも肩身が狭いだろうな、と思う。
娘の由美と進と麻子は正社員で定収入があって、長男の修はアルバイトとはいえ学生時代から同じスーパーで働き続けており、偶に食材を買って帰って来てくれる。
麻子が夫の立場なら針の筵だろう。
夫婦を継続する意味はどこにあるのだろう?

 父が入院していると、弟から連絡があった。
麻子に心配をかけたくない両親が黙っていたらしい。
麻子も家庭内の愚痴を両親に言ったことはない。
やっぱり親子だな、と思う。
 救急搬送されたのは初めてではないらしい。
病名は慢性心不全と間質性肺炎。
病状は決して軽くなく、改善は見込めないので治療はできないらしい。
 休みの日に病院の地域連携室の相談員に話を聴きに行った。
自宅で両親2人だけの生活は難しいだろうということ、退院後の行き先を早急に決めて欲しいこと、できれば直ぐにでも退院してほしいこと…
夫のことを考えまいと決めた途端に、親の問題が降りかかってきてしまった。

 弟、妹、麻子の3人が揃うのはいつ以来だろう。
特に2〜3年ごとに転勤がある弟の顔を見るのは、久しぶりだ。
収集したり見学した施設の情報を、弟の家に持ち寄って検討するのだ。
 弟は何かにつけて「専門知識があるから」と麻子に決めさせようとするが、とんでもない。
他所の施設のことなんか入所してみないと判る訳がない。
事前に実家から通帳と銀行印をかき集めてきてくれたのは、助かったけれど。

 父は病院から施設に直行した。
あんなに悩んで決めた施設なのに、父は「最低の施設、最低の職員、最低の医者」と言った。
残念ながら、麻子も同意だ。
 父も施設職員も、麻子が介護職だとは知らない。
素人だと思わせておいた方が、何かと都合が良いからだ。
施設を移ることも考えたが、父の病状と母が面会に通うのに適した所が見つからなかった。

 父が施設で転んで骨折して入院した、と弟から連絡があった。
医師からの説明、同意書への署名と捺印の為に病院へ行ってほしいと言う。
 指定された日が休みだった麻子が病院に行くと、父は驚くほど衰えていた。
病状が進み酸素を吸入しても息苦しいのに加え、転んで骨折したことで気弱になっていたのだ。
主治医はとても優しく丁寧な男性で、手術は無事に終わった。

 今日の午後は父を見舞う予定だ。
ここ暫くはデイ保護者会の準備に忙殺されていた。
学校に例えるなら学級懇談会?懇親会?そんな感じだろうか。
 前任者時代には参加したことがなかったので、準備は全て手探りだ。
企画、シフト調整、当日スケジュール、職員配置、案内状作成、出欠確認、部屋の予約、備品の借り出し、設営依頼、配布資料作成、そして当日は麻子が司会進行だ。
 参加希望者は過去最多。
有難いことだと思う。
アクティビティのスライド上映と厨房の手作りケーキのお陰か。

 そろそろ病院に向かおうと準備していた矢先に電話が鳴った。
父が心肺停止って一体どういうこと?
 詳細不明だと断った上で管理者には、父が心肺停止らしいと伝えた。
今後のことが判明したら再度連絡することも伝え「了解」と返事を聞いた。
 病院には母、妹、娘が居り、麻子の到着を待って死亡確認が行われた。
その後、進も駆けつけてくれた。
看護師が体を拭いている最中に事切れていたらしい。
気持ち良かったのだろう、大嫌いな施設ではなく、ここで旅立つと決めていたのだろう。

 寝台車の到着時間を確認できたのは6時過ぎ。
慌てて管理者に電話をかけると総務の新井さんが出た。
 「管理者?5時半に帰られたよ」
まさか。
後で連絡すると言ったのに。
父が亡くなったのに。
明日は保護者会なのに。
麻子が司会進行なのに。
(2,518文字)


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