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🤱【あなたの為を思って】という罠〜母のこと

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切れるものなら縁を切りたいと思い続けていた母は、グループホームに入所し幸せに過ごしている。
もし介護が必要になり自宅で暮らせなくなったら、私がお世話になりたいと思うような素敵なホーム。
そりゃあ、私が選んだんだから当たり前だ。



母は都市部で生まれた。
近くに有名な市場があり、大きな道路を渡れば歓楽街へも徒歩で行けるような所。
2人姉妹の長女。
兄がいたが夭逝したらしい。



父親(私の祖父)は、アパートの部屋を貸しながら商売をしていた。
几帳面で真面目だけど堅苦しくはなくて優しい人。
母親(私の祖母)は、きょうだいの面倒をみながら育った苦労人。
働き者で片時も休まず、しっかりとして厳しい人。



祖母はお料理でも和洋裁でもなんでもできた。
私にも着物や羽織を作ってくれた。
市場に日参し、自分で見極めた鮭で作るお寿司(形は俵形のおにぎり)は絶品。
どうして母が受け継いでくれなかったのかと残念でならない。



母は何年間か、妹(私の叔母)と田舎暮らしをしており、自宅に戻ったのは高校受験時。
成績は良かったけれど、時期的に上のランクの高校を受験できなかったと悔しがっていた。
調査書の関係なのか、出願日の関係なのか、そこまでは知らない。



直ぐに腹を立てるから「かんてき(七輪のこと)」という渾名の男子生徒のことが好きで、かんてきから本をプレゼントされた母。
それを知った母親(私の祖母)が怒り、かんてきに送り返したという話を聞いたことがある。
本のプレゼントだよ、本。
どこに怒りポイントがあったんだろうね、不純異性交遊か。



母は「妹(私の叔母)は可愛がられてたけど、私にはキツかった」と、よく母親(私の祖母)のことを私にこぼしていた。
「○子、○子」と呼びつけられては、用事を言いつけられた母と「□子ちゃん」と呼ばれていた妹である叔母。
叔母は叔母で「よく言うわ、私はお姉さん(私の母)のことが羨ましかったわよ」と言っていたけれど。



姉妹は2人とも高校卒業後、それぞれ別の銀行に就職。
進学しなかった理由、就職した理由は訊いたことがないのでわからない。
20代になってからの2人は、お見合いをし、妹である叔母の方が先に結婚が決まった。



父の叔母(私の大叔母)と母の父親(私の祖父)が知り合いで、父と母はお見合いをした。
「ちゃりれれちゃんのお母さんはね、お父さんと結婚が決まって喜んでいたのよ。
背が高くて男前だって一目惚れだったのよ」と、後年大叔母が私に話してくれたけれど、母は「そんなこと言ったかしらね」と言っていた。
とぼけてたのか、呆けてたのか?



母が私を出産するときは満床で、急遽別の病院を探して入院した。
「隣の分娩台で出産した人から『声が聞こえなかったけど、一体何をしてたの』と訊かれて『出産した』と答えたら驚かれた」というのは母の自慢。
「痛いのくらい、我慢すればいいのにね」と続く。



こうして幼い私には「痛みは我慢するもの」と刷り込まれた。



2/11撮った中で一番好きな写真
ウメの花のバックが上手くボヤけてるし
花びらが陽に透けてていい感じ、と自画自賛




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