「佐保姫」とは、春をつかさどる女神の呼び名です。「佐保」とは、奈良県の「佐保山」のこと。「佐保山」は、平城京の東側にあります。方角の「東」は、陰陽道の四季で表すと「春」に当たります。そのため、「佐保姫」は春の女神といわれてきました。様々な和歌でも佐保姫は詠まれています。「佐保姫の糸染めかくる青柳をふきなみりそ春のやまかぜ」(兼盛集) そして、「佐保姫」と対になっているのが「竜田姫」です。「竜田姫」は、秋をつかさどる女神の呼び名です。「竜田」とは、奈良県の「竜田山」のことです
桜と紅葉、両方描いてある模様を「雲錦模様」といいます。陶器や着物などの柄に使われますが両方が描いてあるので、春と秋どちらの季節にも使うことができます。「雲錦」という言葉は、奈良県吉野から始まっています。 「古今和歌集」の中の一文、『秋の夕べ竜田川に流るるもみぢをば、帝の御目に錦と見たまひ、春のあした吉野の山のさくらは人麿が心には雲かとのみなむおぼえける』この一文から桜のことを「雲」紅葉のことを「錦」というようになったようです。日本人ならではの、比喩表現です。 その他に、京都の
2月28日は利休忌。旧暦3月28日までに各流派で利休忌が行われます。 我が流派では、利休様に供茶を差し上げてから、同じ茶で拝服します。その後、五事一行という七事式を行い、埋み豆腐を頂いて終了となります。 我が家の利休像の掛軸と三具足は、裏千家の先生から頂いたもので、有り難く使わせていただいています。 三具足とは、燭台と香炉と花入の仏具です。花入には、菜の花を生けます。菜の花は、利休様が亡くなった時に、庭一面に咲いていたという逸話から利休忌には菜の花を入れるのです。果物、和
「柳緑花紅」 「柳は緑、花は紅」 11世紀の中国の詩人・蘇軾(そしょく)の詩からの引用です。 柳は緑色に葉を伸ばし、花は紅色に咲く。 自然そのままであり、それぞれのものが春になると毎年、芽吹き花開くという意味です。自然界の中に自分が生かされているのを感じる四字熟語です。 春になると、茶道では掛軸でかけられる言葉ですが、沖縄の琉球舞踊でも使われるそうです。 沖縄の三線の唄に「柳節(やなじぶし)」というのがあります。その中に「柳緑花紅」という言葉が出てくるそうです。 『柳』(や
東大寺二月堂修二会(しゅにえ)のことを、「お水取り」と言います。これは、11人の僧侶が一般の人に代わって苦行を引き受け、安泰を祈る行事です。旧暦2月1日から14日まで行われていた行事を現在では3月1日から14日まで行っています。 11人の僧侶「練行衆」は、1カ月以上かけて様々な準備をします。年明けから声明や所作を覚え、2月からはお祓いをして身を清め、東大寺二月堂内をしめ縄を張り巡らして結界を張ります。その中で、修二会に必要な「糊こぼし」「紙衣(かみこ)」「灯芯」「お供え餅」「
春彼岸とは、3月の春分の日をはさんで前後3日合計7日間のことです。 秋彼岸とは、9月の秋分の日をはさんで前後3日合計7日間のことです。 彼岸というのは仏教用語であります。 現世を「此岸(しがん)」と呼び、それに対して、死後の世界を「彼岸(ひがん)」と呼びます。「此岸」とは「現世の岸」という意味で、「彼岸」は「死後の岸」の意味です。そして、両側の岸の間には川が流れています。この川のことを「三途の川」と呼びます。 春分、秋分の日は昼と夜の長さが一緒になる季節。この時期には、昼
お雛様の七段飾りの二段目。お雛様に仕えているのが三人官女です。女の子の身代わりをしてくれるお人形なので、魔除けの意味のある赤い着物を着ていることが多いです。 七段飾りのお雛様はすべて違うお顔をしていると言われます。 こちらの三人官女とも違う顔をしていて「ムスビ」「眉なし」「口開き」と言われます。 真ん中の官女は「眉なし」で眉毛が剃ってあったり、お歯黒をしていたりします。眉を剃っていたり、お歯黒をしているのは結婚している証。三宝を持っています。三宝にはお酒を受ける盃がのって
お雛様の七段飾り。 七段飾りにも色々な意味合いが隠れていて、解明すると楽しい。 四段目の弓矢を持つ二人。お内裏様とお雛様の護衛をしている随身は、左大臣と右大臣です。 左大臣はお年寄り。 右大臣は若者。 左上位の時代ですから、左大臣の方が上の位です。 服装の色でも位がわかります。 緋袍は五位。黒袍は四位以上を表しています。 したがって、位の高い左大臣が黒い服。 緋色の服が右大臣となります。 そう思って、お内裏様とお雛様を眺めると左上位のはずなのに、お内裏様右側に座っているけど
三月三日の上巳の節句。 雛人形にお供えするのは、菱餅と雛あられ。 菱餅は三色。 春の季節を表しています。 上のピンク色は、桃の花。 真ん中の白色は、雪。 下の緑色は、草を表しています。 春になると、桃の花が咲き、雪の下からは雪間の草が生えてきている様子を表しています。 緑色は「健康」 白色は「清浄」 ピンク色は「魔よけ」の意味も持ち合わせています。 そして、菱餅の形は菱形。なんで菱形なのだろうと思って調べてみました。 「菱」とは水草のことを表しています。この水草が繁殖力が強
「はなむけ」の語源が面白い。 「はなむけ」は「はなむけの言葉」でよく使われ、転勤する方とか披露宴のお祝いの言葉として使われたり、「はなむけ」として品物を贈ったりします。 「はなむけ」の「はな」は「花」ではなくて「鼻」 花を向ける(贈る)ことが「はなむけ」なのかと思っていましたが、鼻を向けることが「はなむけ」なのです。そして、何の鼻を向けるのかというと「馬」の鼻です。 昔、旅に出る人の道中の無事を祈って、乗っている馬の鼻を行く方向へ向けたことから「馬の鼻向け」=「はなむけ」とい
春雨の季節 二十四節気では「雨水」 雪どけ水が温む頃です。' 'サーと降る雨が終わると暖かくなり花が芽吹き、蕗の薹が出てきます。 床の間には 「芽柳や土堤に行きかう地の目傘」 お弟子さんに「春雨」の様子ですね、と伝えたら「春雨」?「春雨」は食べ物の「春雨」と関係ありますか、と聞かれて調べてみました。 春雨が中国から伝わったのは、鎌倉時代。禅僧の精進料理の「粉餅(フェンピン)」として伝わりました。現在では細いものを「粉絲(フェンシー)」、やや太いものは「粉条(ファンデュウ)
「ぶりぶり」という香合があります。これは、昔「振振毬杖(ぶりぶりぎっちょう)」という男の子の遊びがあり、「毬杖(ぎっちょう)」という、八角形の木槌に車輪と紐のついたものを振って遊んだ遊び道具の形だけ残って香合になったものです。 「ぶりぶりぎっちょう」と掛け声をして紐を引っ張って、輪のような玉を打って遊びました。玉転がし、あるいはホッケーやゴルフのような遊びだったのでしょうか。おもちゃとしては廃れてしまいましたが、豪華な絵柄を描き、男の子の誕生祝いや祝儀用として贈られて、形と
「初午」とは、二月の初めの午の日の稲荷神社の祭日のことです。稲荷神社のご神体は宇迦御魂命(うがのみたまのみこと)、五穀を司る神です。神様の使者は狐です。この頃、田の神が山から降りてくると考えられていたので、田の神を祀る日とされています。 「初午」の「午」には理由があります。 午の刻は、現在の「正午」 そして方角は「南」 太陽が一番高くにある時間です。 まだ寒さの残る春ではありますが、太陽の恵みを受けて、今年もたくさんの稲穂が実ることを願ったために二月の午の日が祭日になったそ
茶室とは何とも落ち着く空間であります。 正座をすると、重心が低くなり心と身体が安定します。 茶室に入り床の間を拝見したが、それは掛け軸と花を見るためです。 心が落ち着いた後に、ゆっくりと茶室全体を眺めて見る。 床の間から天井まで様々な数寄屋大工のこだわりに出会えて感嘆します。 床の間には、床柱というものがあります。床柱は、様々な木が使われていてご亭主の思い入れが詰まった場所です。そして、この床柱の下の方を見ると「竹の子」「竹の子目」があることが多いです。 「竹の子」とは床柱
静岡県の北部にある「吐月峯柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)」は、「駿府匠宿」の奥にあり、ひっそりと佇んでいます。 「吐月峯柴屋寺」は、その昔、今川氏親の丸子城内の一部であって、連歌師柴屋宗長によって和歌を詠むために建てられた寺です。氏親が駿府城に帰った後も、徳川家康に支配されても、修復して残されていた場所です。 「春夏秋冬」すべての季節を和歌が楽しめるように、春は庭に桜が植えてあり、夏は枯山水の滝が作ってあり、秋は裏庭の竹林から月が昇るのが見えるようにして、冬は天柱山の借景を
中国から伝わった柄で、四君子というものがあります。「蘭・梅・菊・竹」の四種類です。「君子」とは人徳、学識、礼儀に優れた人のことを言い、この四種類の花は君子にふさわしい高貴な草花であると言われています。林和靖(中国北宋の詩人)は梅を、陶淵明(中国六朝時代の詩人)は菊を、黄山谷(中国北宋の書家・詩人・文学者)は蘭を、蘇東坡(中国北宋の政治家・文豪・書家・画家)は竹を愛したと言われます。「蘭」は、香りが高く気品があることの象徴。 春を表す。 「竹」は、まっすぐに伸び寒さや風などにも