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ときには直感で生きてみる

今月の26日、いよいよ出版の相談に行く。そこは名古屋の出版社で、私が「寿司ロールとサーケで乾杯!」という近未来小説を書き始めた頃から、私のなかで第一候補として挙がっていた出版社だった。

しかし急にここにきて、気持ちが乗らなくなっている。名古屋へは25日の夕方に入り、ビジネスホテルに一泊して、翌26日にスタッフと面談する。アポをすでに取ったのにもかかわらず、相談に行くのをやめようかな、とまで思っている自分に気がついて、自分自身がまず誰よりも驚いているのだった。

かねてからの第一候補だったはずなのに、なぜか急に、もっと良い出版社に出会えるのではないかという期待が胸に広がって、今契約することが後に後悔することになるのではないかと、悩んでさえいる。

正直に言うと、もっと良い出版社と出会えるかもという期待以上に、その名古屋の出版社の欠点が、今ここにきて、見えてきてしまった、という方が正確かもしれない。しかもそれは突然に、雷のように私の頭の中に降ってきた。こういうのを「直感」と呼ぶのかもしれない。

その出版社のホームページも、取り寄せた資料も、これまで穴のあくほど眺めてきたし、スタッフとのメールによる相談もとても感じよく誠実に対応してくれた。かかる費用についても明確な会社だったので、私はこれまでその出版社が提示した金額を目標にバイトと貯金に勤しんできた。

しかし、いよいよ名古屋へ行く計画を立てた日の夜。突然、私の頭に浮かんだのは、もしかしたら自分が望むような出版とは違う出版をしている会社なのではないか、という不安だった。

自分が望むのとは違う出版。つまり、著者も編集者も内側しか向いていないのではないか、ということ。まだ見ぬ多くの読者に広げたいと思うのではなく、身近な知り合いに届けたい、という想いでする出版。たとえば、亡くなった旦那さまの遺稿集をつくって、生前お世話になった方々に贈りたいとか、中小企業の社長さんが自分の会社の歴史を綴って、社員に読ませたいなどだ。もちろん、そういう書き手のニーズに親身に応えてくれる出版社だから、出版不況と言われるこの時代に経営がうまくいっているのだろう。依頼が殺到していて、スタッフの人数を増やしたと言っていたほどだ。出版点数もこの数年で驚くほど伸びている。今どき珍しい右肩上がりの会社だ。

その名古屋の出版社は、私のように小説の出版を考えている人の間では密かに有名&人気で、文学賞を受賞したけれど佳作だったから大手から出版してもらえなかったという作家たちが、その会社にこぞってアクセスしている。出版費用が比較的安価であることと、装丁が美しいことでも評価が高い。契約から製本までのプロセスが迅速なのも良いところ。かの悪名高き「文芸社」のように、顧客(書き手)とのトラブルや出版詐欺まがいの被害にあったといった話もまったくない。

しかし不思議なことに、作家たちが出版後どうなったのか、という肝心の情報がなぜか入ってこないのだ。二冊、三冊続いて、それなりにファンを得ることができたのだろうか? もっと大きな出版社に認められて創作活動の幅を広げることができたのだろうか?

それとも、佳作に選ばれた作品を出版できたことで、自己満足に終わってしまったのだろうか?

なんら情報がないことは、気にかかっていたけれど、それ以上に会社の良い部分ばかりを見てきた。そのことが、今、直感という形で私に二の足を踏ませているのかもしれない。

私はまだ見ぬ多くの読者に届けたいと思っている。本を出すことで、新しい出会いをつくり、多くの見知らぬ人と繋がりたい。広がるために書いている。書くことで自分の未来をつくりたいと思っている。

しかし出版社側が、小説を依頼者の自己満足のツールだと認識していたらどうなるだろう。私の思いとは裏腹に「出版しさえすれば、いいんでしょう」といった程度に会社側が思っていたら、話し合いを重ねて溝を埋めるのは難しそうだ。こちらの熱量とあちらの熱量の圧倒的な温度差を抱えたまま、製本までの時間を耐えられるのだろうか? 耐えられるなどと書くと傲慢な響きだけれど、お金を払うのはこちらなのだから、妥協や我慢はしたくない。100%の満足は無理だとしても、出すのが近未来小説だけに、未来が潰えるような出版はしたくない。本が出たら、自分でどんどん宣伝して、自分の足であちこちの書店を回って置いて頂けるように頼みに行きたい。出版社にはそんな私の背中を少しでも押して頂けたら最高なのだけれど、そんな理想はかなわなくても、最初から諦めるような気持ちで出版することはしたくない。

名古屋へは26日の面談の前に、25日の日曜日にあえて入ることにした。当然、会社は休日。私は誰もいない会社の外観をじっくり観察しようと思っている。じつは、会社の外観というものは、その会社の多くを物語っている。窓のディスプレイからエントランスの門構えの雰囲気、建物全体の壁の色や、通用口に続く短い道のりの掃除の行き届き具合まで、その会社の理念や柔軟性をとてもよく表しているものだ。

私は自分の直感を頼りに、翌日、再びそこに足を運ぶかどうか、そこで決めようと思う。

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