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文学に生きる滑稽な人々について

この日を待ち望んでいた!

大ヒット漫画「響―小説家になる方法」が9月14日ついに映画化された! さっそく観に行った。がっかりだった。

多くの読者を魅了し、2017年のマンガ大賞にまで登りつめたこの素晴らしい作品を、どうしてこんなにつまらない映画に仕立ててしまったのかと、悲しみが胸に広がった。

原作漫画を読んでいない人がこの映画を観たら、おそらく何だか分からない作品だと思うだろう。

つまり、主人公「響」の魅力が伝わってこないのだ。

女子高生のは100年に1人の天才と言われる文学少女で、15歳にして芥川賞直木賞を同時受賞する。高校で文芸部に入っているは、クラブの友達や先輩に影響を与え、彼らの人生をもその才能で変えていく。

主人公を巡る人間模様が文学一色に彩られていて面白いのが、原作の魅力である。登場人物たちは悩みのすべてが小説を書くことで、小説を巡って悲しんだり喜んだり、嫉妬したり、嫉妬した自分を悔んだりする。文学に人生のすべてを捧げた人々の生き様は、本人たちは必死でも、その必死さが読者として客観的に見ると、なんとも滑稽なのである。文学に興味のない人でも、コメディー漫画として存分に楽しめる。

しかし映画では、この滑稽さがほとんど伝わってこないのだ。コメディー漫画がまるでホラー映画に変わったかのように、主人公の響のキャラが怖い。

怖い。つまり、響が繰り広げる暴力シーンを映像化したことで、映画が原作とはまったく異なるメッセージ性を孕んでしまったのだ。

映画化したことで、原作の持つ欠点があぶり出された

響は受賞後、世間から注目されてメディアから追われるようになるが、高校生活を静かに送りたいという理由から、自分をこっそり張り込んでくる記者たちを片っ端から撃退する。女子高生とは思えない腕力で、蹴ったり、殴たり、指の骨を折ったりするのだが、それらの暴力シーンは原作漫画では、ユーモアとして描かれている。つまり、暴力シーンが読者の笑いを誘ったり、作品に躍動感を与えるためのスパイスとして機能しているわけである。

ところがこれを実写でやるとなると、とたんに意味づけが変わってくる。北川景子さん扮する担当編集者の「ふみちゃん」が、眉間に皺をよせた深刻な面持ちで「暴力で解決しようとしてはダメなのよ」と何度も響に言い諭すシーンがある。北川さんは迫真の演技で「響、どうして分かってくれないの?」「殴ったあの人に謝って」と泣きそうな顔で訴える。そこには笑いもユーモアもない。

そこから観衆が受け取るメッセージは、おそらく、

どんなに天才的な才能があっても、暴力をふるってはいけない。天才なら何でも許されるわけではない、

ということになろう。これでは原作と映画でまるで違う作品になってしまうし、こうまでメッセージ性が異なると、もはやこの二つの作品をどう繋げて鑑賞したらよいのか困惑さえする。

しかし確かに、今の時代に於いて、暴力をユーモアとして捉えようというのは、古い考えなのかもしれない。いじめも、こちらは遊びのつもりでも、やられた方の立場に立てば耐えがたい苦痛かもしれず、そのことを考えていこうという風潮に今の社会はなっているのだから、マンガ大賞まで受賞した立派な作品が、ひと昔前の古い暴力観を読者や聴衆に押しつけられるかは、疑問である。そう考えれば、映画での主人公の描き方のほうが、至極まっとうなのかもしれない。

モラルか奇天烈か?

ただ、困ったことに、モラルを呼びかけると、作品がとたんにつまらなくなる。響がその類まれなる才能と同じだけの性格的欠点を持っていることが、この主人公の魅力でもあり、読者をはらはらさせてきた。そこを「暴力反対!」と一刀両断されてしまうと、「なーんだ」と白けてしまう。

響に殴られるほうの身になってみろ!

ごもっともです。それを言われたら言い返す言葉がない。そうなると、この作品に於ける暴力は、人は他人の痛みを理解できないという、根源的なテーマを提示しているのかもしれない。

響が授賞式で、同時受賞者の男性の顔をパイプ椅子で殴って、鼻から血が流れるシーンは確かに怖かった。小説家という、誰よりも言葉というものを巧みに操れる主人公が、どうして言葉ではなく暴力で自分の気持ちを相手に伝えようとするのか疑問に思った。漫画を読んでいた時には、覚えなかった疑問だった。

原作ファンはこの映画をどう観たのか?

私は一昨年前、「響」の編集者の方をお招きして、響について語り合う会というのに出て、ファンの声を聞いてきた。小説好きな人が読者になっていたり、少年漫画に詳しい人だったりと、ファンの性格は千差万別で、それ故に様々な読み方を知ることができて、楽しいひとときだった。「来年、映画化されることになりました!」と編集者の方から聞かされた時は、わくわくした。一年が待ち遠しかった。あの時、あの会に集まった彼らは、この映画をどのように観たのだろう? もし再びあのメンバーが集まる機会があったら、ぜひ伺ってみたいと思う。


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