夏の太陽にサバンナの通学路を想う

小学生のときの夏休みは、嫌いだった。学校が休みになって、友達に会えなくなるのが退屈だった。中学生になると今度は、夏休みが嬉しくなった。学校に行かなくていい。退屈な時間を過ごさなくていい。毎日何時に起きてもいいし、寝てもいい。なんて自由なんだ。いつまでも夏休みが続いて、学校が潰れてほしい。そんな風に思っていた。いまのぼくは一度でも「学校にいかなくていい」と思ってしまった幼いぼくを恥じる。


世界を広げてくれるのは、興味がなかった世界

1ヶ月まえ。近所にあるミニシアター「本と映画とパンの店 シネコヤ」に訪れた。ぼくはここの映画館がえらく気に入ってしまい、これまで30人以上の友人に進めて来た。だから、映画館の年パスを持っている。年パスのおかげもあり、ぼくはシネコヤで上映されている映画は、興味があってもなくても見る。そして、興味がなかった映画ほど、ぼくの人生を広げてくれた。ぼくが映画を好きになったのは、このシネコヤがあったからだ。

去年の11月にぼくは年パスを購入し、この半年でシネコヤに25回通った。週に1回通っている計算になる。その中で今回紹介したい映画は2つ。ひとつめは「きっとうまいく」。

『きっと、うまくいく』(3 Idiots)
2009年の公開当時、インド映画歴代興行収入1位を記録した大ヒット映画。インドの工科大学の寮を舞台にした青春劇であり、コメディ映画だが教育問題をテーマにしており、若者の自殺率の高さなども取り上げている。
"wikipediaより引用"

ストーリーなどは紹介する気は全くありません。なのでネタバレを心配せず読み進めてください。


今日は新しいことが学べるぞ!嬉しい!


ぼくは、この映画の主人公であるランチョーの学ぶ姿、そして共に学ぶ友をはげます姿に、勇気付けられた。ぼくは現在、慶應大学にいて、じぶんでいうのは恥ずかしいが、まじめに授業を受ける優秀な生徒だと思っている。例えば、気になる授業を積極的に取り、前列で授業を受け、気になることがあれば教授に質問。お気に入りの授業は、自主的に参考図書を読み、出されてもいない課題をじぶんで作りあげ教授に送り、コメントをもらうなどする。

しかし、学ぶことが大好きな一方、打算的なじぶんもいる。興味のないクラスは、積極的にSNSでメッセージを書き、まじめな顔して最前列で内職をする。主人公のランチョーの劇中のセリフを借りれば、ぼくは「レースを効率的に攻略することばかり考え、新しく学べるものをいかに生産的にこなすか」を考えている。

そこには「今日は新しいことが学べるぞ!嬉しい!」という気持ちはない。授業を受けながら楽しくなることは多いけど、授業前「はやく授業が終われ」と考え、ランチョーの持つ「新しいことを学べることにワクワクする!!」なんて態度は皆無だった。劇中のランチョーは、学ぶことに一生懸命、というより本当に楽しそうで、笑顔だ。そして「ニヤニヤするな!」と教授に怒られ「学べることが嬉しくて」と答える。その態度が気に入らない教授から彼は、しまいには教室から追い出される。それでも彼は学ぶことが好きだから、他の授業に忍び込む。大学の時間をめいいっぱいに謳歌し、そして愛を謳う。


学びを求める目線の美しさは、ぼくの生きる態度を刺した


そしてふたつめに紹介したいのが「世界の果ての通学路」。こっちは、だいぶネタバレをするような形での文章。ご了承ください。ぜひ予告編をみていただきたい。

この映画では、世界の様々な国のこどもたちの通学路が紹介されている。この映画を知るまで「世界にこんなに大変な道を進んでまで、学校に行く人々がいる」ということを知らなかった。

ぼくは小学校までは家から歩いて5分、走って3分。家からあまりに近いので、毎日クラスがはじまるギリギリまで寝ていた。中学はあるいて10分、高校は自転車12分。クラスメイトの中には30分以上あるいて学校に来たり、往復4時間かけて高校に通っている人がいて、ぼくは信じられなかった。だから、この映画をみてびっくりした。

ケニアのジャクソンはサムブル族の11歳の少年。まだ見たこともない飛行機のパイロットになって、世界を見ることを夢見ている。長男でしっかり者の彼は毎日、6歳の妹サロメを連れて、ゾウやキリン、シマウマなど野生動物が出没するサバンナを小走りで、15km、2時間かけて学校に通う。毎年、4、5人の子どもがゾウの襲撃によって命を落とす。両親は2人が無事に学校に通えるよう、毎朝お祈りする。    (引用:Movie Walker 

世界には、命がけで、学校に通っている子がいる(!)。ジャクソン君は、妹のサロメを連れてサバンナを小走りで駆け抜けるが、彼らの瞬き。息遣い。ぼくは今までなんてあほヅラで学校に通っていたのか恥じた。彼らの通学路は、まさしく命をかけた冒険だ。そのため、彼らの両親は彼らの無事を祈って、お祈りをする。心から涙を流したい。そう思わされたシーンだった。

それと対照的に、いまぼくが通っている大学では「休講を喜ぶ人」がたくさんいる。授業が早く終わることを願い、課題やグループワークなどの負担の少ない「楽タン」と呼ばれる授業を好むひとが多くいる。授業中には、ぼくも含めてみなSNSに忙しい。イヤホンをつけてYoutubeを観る人さえいる。

現在の日本の教育や、就活制度。いろいろな問題がこの大学生の姿をうみだしているのは事実だ。だから、大学生をせめるというのも構造上おかしい気がする。けれど、ぼくを含め学生はあまりに学ぶことをなめている。学べることに感謝していない。ありがとうを漢字で書くと「有難う」。そしてその「有難い」の対義語は「当たり前」。

両親は2人が無事に学校に通えるよう、毎朝お祈りする。

このシーンを観たときに、映像に映る人々の心の姿に魅了され、同時に、激しくじぶんを批判した。美しいものをみて「美しい」と思うことはよくあるが、その美しさの鋭さをもってして、じぶんの学び方。ひいては生きる態度を刺した。学び方を変えなければいけいない。そして、学べていることが「有り難い」ということに、気が付ける人間でいたい。


この映画では何人もの「通学路」が紹介されるが、もうひと組だけ紹介したい。

3000m級の山が連なるモロッコのアトラス山脈の中心部、イムリル谷近くの辺境の地に生まれたベルベル人の少女、ザヒラ。

12歳の彼女は、家族のなかで初めて学校に通う世代で、字が読めない祖母や両親は、医師を目指す彼女を全力で応援している。ザヒラは全寮制の学校“アスニの万人のための教育”に通っている。

毎週月曜日の夜明けに起き、友達のジネブ、ノウラと一緒に22kmの道を4時間かけて歩く。金曜日の夕方、3人は同じ道を歩いて家に帰る。

(引用:Movie Walker )

世界には、ぼくよりもずっと困難な通学路を歩いて、学校に通っている人々がいる。ぼくはここで紹介された彼らより、ずっと楽で、平坦な道をあるいて学校に通っている。歩きスマホをしながらも学校につける。だけど、それはサバンナでは許されない。命取りになる。22kmの道のりを歩いてまで、ぼくは大学に行かないだろう。

楽な形でうけとっているぼくの教育。彼らの命がけでつかみとっている教育。それは比べようもないけれど、文字通り、比べようもないほどに、離れている。

この映画の最後では、それぞれの子供たちが、じぶんの将来の夢について語る。それぞれが、それぞれの境遇から生まれた将来の夢を口にする。ある少女は「女性にも学べる環境を広めたい」と言い、足に障害を持つ男の子は「同じような障害をもつ子供を助けるために医者になりたい」と言う。彼らの学びを求める目線の美しさは、ぼくの生きる態度を刺した


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