羽林

色即是空 空即是色 大垣工業高校、愛知県立大学中国語学科卒業。昼間の職業には農業を選ん…

羽林

色即是空 空即是色 大垣工業高校、愛知県立大学中国語学科卒業。昼間の職業には農業を選んだ。国防の基礎は食料の確保。兵站大事。13歳から、創作を続ける。ギャグ漫画家になりたかったが、漫画執筆はベタ塗りやらペン入れやら作業時間がたいへんかかるため、17歳の時に、文学に、変えた。

記事一覧

愚かな先入観について

 公家というものがある。政治家というものがある。農家というものがある。画家というものがある。すべての名詞に、家、が、ついている。この、家、が、くせ者である。  …

羽林
8年前

文芸とビジネスと金銭の無意味について

 文芸とは芸術である。だから、金になる筈がない。芸術家とは常に他のビジネスとの兼業である。巷には、ビジネス的にも成功した者のみを芸術家と呼ぶ輩もあるが、無視して…

羽林
8年前

大人と子供との違いについて

大人。それは、子供とは違う者である。大人とは、子供が、育ち、己自信の劣等性を、乗り越え、決して言い訳をせずに、闘う姿である。 次に、世の中には、これは断言すれば…

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8年前

マスメディアの最近

私はテレビを家に置かない人である。テレビが、ないと、はっきり言って、どうでもいい問題を、人が、気にしている姿が、かなり、他人ごとに思える。そうして、報道やメディ…

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8年前

総合文芸評論雑誌何故?について

その雑誌はかつてあったが、今は廃刊あるいは休刊した。復刊要素と可能性について。 まずは会社設立である。有限会社である。収益に対し、損失があってはならぬ。収入をい…

羽林
8年前

高齢化社会について

 作品に必ず書かれるが、日常で高齢者といっしょに仕事をする、いわゆる農家の仕事をしている身として、少し、書いておく。  人件費について、高齢者は、悩むのだ。あい…

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8年前

全体主義と女性について

 全体主義とは、女性的な思想である。何故なら、女性的な思想は、種の保存を望んでいる。目の前の事実が、現実のすべてであり、刹那の積み重ね、しかも希望的な刹那の、あ…

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8年前
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『人間失格』太宰治著を評論する

 評論するのである。まずは主人公の名前である。春の彷徨、か、著者の『晩年』という処女創作集に、大庭葉蔵、を使っている。国木田独歩の『竹の木戸』かに、似た名前の主…

羽林
8年前

そもこれ

 ノートという媒体である。汝ら、読まないではないか。だから、読書とは、出会いであり、その出会いは、婚活ならば、インターネットにおける婚活があれば、それは、つまり…

羽林
8年前

ショパンについて

 パリのジョルジュサンドの家にあるショパン像が、なにやら、うっとりしながらピアノを、弾いているから、面白いので、ここで、写真をとれば、いかにも日本人やな、ミーハ…

羽林
8年前

国会について

 今の国会は聞くべきである。私は二十歳の頃から、二回しか選挙に行っていないが、今の国会には、注目していて、次の参議院選挙には、行こうと思っている。入れる政党も決…

羽林
8年前

文学の無力について (または文学が含む凄まじい可能性の考察)

 文学は無力である。その文学が、無力ではなく、力を得る為には、必ず、文学より他の何かの力に頼らなければならない。この機敏を理解する為には、作家は、必ず、言葉その…

羽林
8年前
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愚かな先入観について

 公家というものがある。政治家というものがある。農家というものがある。画家というものがある。すべての名詞に、家、が、ついている。この、家、が、くせ者である。
 公家には、職業選択の自由はあるが、天皇家には、ないかもしれない。政治家の子供はもちろん、大工にもなれるし、日本酒職人にもなれるだろう。
 農家は? 愚かな先入観は、農家は家業を継ぐべきだ、と勘違いしてはいないか? 私は色々思いあたる。ちなみ

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文芸とビジネスと金銭の無意味について

 文芸とは芸術である。だから、金になる筈がない。芸術家とは常に他のビジネスとの兼業である。巷には、ビジネス的にも成功した者のみを芸術家と呼ぶ輩もあるが、無視してよろしい。芸術におけるビジネスとは常に、後追いである。人々に流布したから結果的に金になったのである。書けない時期もあるはずだ。人間の生活という否応ない冷酷な定めが、芸術家に、創作の無理強いをしてはいけない。
 こう考えると、そも、人間には芸

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大人と子供との違いについて

大人。それは、子供とは違う者である。大人とは、子供が、育ち、己自信の劣等性を、乗り越え、決して言い訳をせずに、闘う姿である。
次に、世の中には、これは断言すれば、大人ではない大人、これが、多い。元禄時代よろしく、戦乱のない時代には、当然なのかもしれない。問いを、先伸ばしにすれば、それだけ、成熟は遅れる。死が、まだまだ先にある、と思えば、自然、人間の成熟とは、遅れるのである。危機意識が人を育てる。

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マスメディアの最近

私はテレビを家に置かない人である。テレビが、ないと、はっきり言って、どうでもいい問題を、人が、気にしている姿が、かなり、他人ごとに思える。そうして、報道やメディアの姿勢つまり形式に、出来事つまり内容をくるんで、なんというのか、ピアノ曲をはじめてヴァイオリン演奏で聴いたなら、その曲をヴァイオリンの曲だと思ったが、実際は、ピアノ曲だった、みたいな、そのような、そうして、人は、実はテレビが嫌いであり、し

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総合文芸評論雑誌何故?について

その雑誌はかつてあったが、今は廃刊あるいは休刊した。復刊要素と可能性について。
まずは会社設立である。有限会社である。収益に対し、損失があってはならぬ。収入をいかに得るか。収入を安定させることは今は不可能に近く、なら、発行を年二回、とか、調節しなくてはならぬ。ならば、副収入も必要だ。売れ専と、本場との、二重だ。私が、埋め合わせをして書けばいいのでないか。いいものには、需要はある。まずは、川嶋あいと

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高齢化社会について

 作品に必ず書かれるが、日常で高齢者といっしょに仕事をする、いわゆる農家の仕事をしている身として、少し、書いておく。
 人件費について、高齢者は、悩むのだ。あいつらは、バブル時代を知っている。円高や、株安や、不動産の価格や、極めて、敏感である。バブル時代は、利息も高く、貸せばよい、借りたらまずい、となったが、貸せばよく、よい、と、が、しかし、汝、年金もあれは、投資じゃないか。利回りを人海戦術に頼っ

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全体主義と女性について

 全体主義とは、女性的な思想である。何故なら、女性的な思想は、種の保存を望んでいる。目の前の事実が、現実のすべてであり、刹那の積み重ね、しかも希望的な刹那の、ありのままの欲望を、求めがちである。その姿は、女性が五千万人集まれば、どうなるか。全体主義になるのである。
 どの母も、子に、人から嫌われよ、人に合わせるな、などと、言わない、人が多いにちがいない。
 結論。『男性は、女性に合わせれば、世の中

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『人間失格』太宰治著を評論する

 評論するのである。まずは主人公の名前である。春の彷徨、か、著者の『晩年』という処女創作集に、大庭葉蔵、を使っている。国木田独歩の『竹の木戸』かに、似た名前の主人公が採用されている。芥川龍之介も国木田独歩を『河童』に書いている。主人公の名前は重要だから、太宰治は、この二人は意識した。 
 一言で言えば、太宰治は、あの、信じることの天才だった妻が寝取られた時に、見た、白装束の御神像に神社で出会ったあ

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そもこれ

 ノートという媒体である。汝ら、読まないではないか。だから、読書とは、出会いであり、その出会いは、婚活ならば、インターネットにおける婚活があれば、それは、つまり、欲が勝り、欲だろう。インターネットは駄目だ、何故なら、文章だけで、人は、安心しないからだ。
 繰返し、言う。文章だけで、人は、安心しない。文学の無力さである。だから、出版しなさい。
 読まれなければ意味が無い。可能性のお遊び? 瀬戸内寂聴

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ショパンについて

 パリのジョルジュサンドの家にあるショパン像が、なにやら、うっとりしながらピアノを、弾いているから、面白いので、ここで、写真をとれば、いかにも日本人やな、ミーハーやな、と、使い捨てカメラでそのショパン像を無意味に写真をとっていたら、そら来た、フランス人らしい老夫妻。夫「ジャパニーズ。ああ。」妻「こら、失礼よ。そんなこと言わないの」夫「ああ」私は実に胸くそ悪かった。ショパンについては、日本人だが、俺

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国会について

 今の国会は聞くべきである。私は二十歳の頃から、二回しか選挙に行っていないが、今の国会には、注目していて、次の参議院選挙には、行こうと思っている。入れる政党も決めている。
 軍事や、さらには、戦後から時間がかなり経っている。勉強していない人は、今のうちに、太平洋戦争における我が国の有り様を、勉強しておくべきだ。で、当時の文学や、芸術の有り様も、知っておくべきだ。人間は弱いのだから、雰囲気いかんで、

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文学の無力について (または文学が含む凄まじい可能性の考察)

 文学は無力である。その文学が、無力ではなく、力を得る為には、必ず、文学より他の何かの力に頼らなければならない。この機敏を理解する為には、作家は、必ず、言葉そのもの、について、またさらに、考え直さなければならない。
 言葉には、必ず、話者と聞き手がある。次に、言葉には必ず、その言葉が発せられる瞬間的必然性がある。時々、読み手が、その読書に対して、何か必然性を抱く理由が、それである。「なんかすっごい

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