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愚かな先入観について
公家というものがある。政治家というものがある。農家というものがある。画家というものがある。すべての名詞に、家、が、ついている。この、家、が、くせ者である。
公家には、職業選択の自由はあるが、天皇家には、ないかもしれない。政治家の子供はもちろん、大工にもなれるし、日本酒職人にもなれるだろう。
農家は? 愚かな先入観は、農家は家業を継ぐべきだ、と勘違いしてはいないか? 私は色々思いあたる。ちなみ
文芸とビジネスと金銭の無意味について
文芸とは芸術である。だから、金になる筈がない。芸術家とは常に他のビジネスとの兼業である。巷には、ビジネス的にも成功した者のみを芸術家と呼ぶ輩もあるが、無視してよろしい。芸術におけるビジネスとは常に、後追いである。人々に流布したから結果的に金になったのである。書けない時期もあるはずだ。人間の生活という否応ない冷酷な定めが、芸術家に、創作の無理強いをしてはいけない。
こう考えると、そも、人間には芸
大人と子供との違いについて
大人。それは、子供とは違う者である。大人とは、子供が、育ち、己自信の劣等性を、乗り越え、決して言い訳をせずに、闘う姿である。
次に、世の中には、これは断言すれば、大人ではない大人、これが、多い。元禄時代よろしく、戦乱のない時代には、当然なのかもしれない。問いを、先伸ばしにすれば、それだけ、成熟は遅れる。死が、まだまだ先にある、と思えば、自然、人間の成熟とは、遅れるのである。危機意識が人を育てる。
総合文芸評論雑誌何故?について
その雑誌はかつてあったが、今は廃刊あるいは休刊した。復刊要素と可能性について。
まずは会社設立である。有限会社である。収益に対し、損失があってはならぬ。収入をいかに得るか。収入を安定させることは今は不可能に近く、なら、発行を年二回、とか、調節しなくてはならぬ。ならば、副収入も必要だ。売れ専と、本場との、二重だ。私が、埋め合わせをして書けばいいのでないか。いいものには、需要はある。まずは、川嶋あいと
全体主義と女性について
全体主義とは、女性的な思想である。何故なら、女性的な思想は、種の保存を望んでいる。目の前の事実が、現実のすべてであり、刹那の積み重ね、しかも希望的な刹那の、ありのままの欲望を、求めがちである。その姿は、女性が五千万人集まれば、どうなるか。全体主義になるのである。
どの母も、子に、人から嫌われよ、人に合わせるな、などと、言わない、人が多いにちがいない。
結論。『男性は、女性に合わせれば、世の中