高齢化社会について

 作品に必ず書かれるが、日常で高齢者といっしょに仕事をする、いわゆる農家の仕事をしている身として、少し、書いておく。
 人件費について、高齢者は、悩むのだ。あいつらは、バブル時代を知っている。円高や、株安や、不動産の価格や、極めて、敏感である。バブル時代は、利息も高く、貸せばよい、借りたらまずい、となったが、貸せばよく、よい、と、が、しかし、汝、年金もあれは、投資じゃないか。利回りを人海戦術に頼っているくせに、国家的保証を信頼したために、裏切られたら、ああ、なんか、言いなりでしたね、と、仕方ない。税金が高いから今の価値観を抜け出すのには、文学は必要だ。が、アベノミクスは、文化面は無視だ、少なくとも、文学と絵は無視だ。父親がんばれ、俺がんばれだ。私の父親は、画家でありたいために、金銭面で色々と犠牲にしてきた。息子である私もそれでゆく。が、冷たく考えれば、絵よりも文学のほうが政治に近く、権力と闘い得る。私は、生きているうちは、自民党の敵であり、天皇陛下の敵である。しかし私は神風特別攻撃隊の志願兵の孫である。あそこで負けてなければ私は生まれていない。が、荒いバスに乗って鹿児島中央駅から知覧に行き、彼らと約束したのだ。国家御守だ。国賊には容赦なく、ソクラテスも持ち出し、批判する。妥協点は無い。学徒と共に生きている。というか、でないと、私は生まれていなかった。神風特別攻撃隊を批判する人間に対し、全否定を下すべく、今まで勉強してきている、とも、言える。死ねたか貴様は、という問い。

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