大人と子供との違いについて

大人。それは、子供とは違う者である。大人とは、子供が、育ち、己自信の劣等性を、乗り越え、決して言い訳をせずに、闘う姿である。
次に、世の中には、これは断言すれば、大人ではない大人、これが、多い。元禄時代よろしく、戦乱のない時代には、当然なのかもしれない。問いを、先伸ばしにすれば、それだけ、成熟は遅れる。死が、まだまだ先にある、と思えば、自然、人間の成熟とは、遅れるのである。危機意識が人を育てる。
さて、大人になりきれない大人、それは、年齢がただ単に多い、という人を、私は、汚れた子供、とでも呼んでみたい。汚れた子供を見てみなさい。例外なく、先生の、言いなりである。大人になりきれない大人とは、例外なく、権力権威の、奴隷である。
何故なら、権力権威とは、気持ちが良いものだからである。他人を従える、という、心理は、優越感を伴う為に、それは、ネズミが薬物中毒にすんなりなるが如くに、おそらく、脳内分泌質の働きから、証明されるだろう。
であるから、まわりの大人っぽい、いわば老のつく人を、よく、みてみなさい。違和感を覚える言動を行う大人っぽい人のその時の目を、よく、みてみなさい。必ず、目が踊っている。それは、目の前にいる人よりも、大きな権力に、怯えている、心理である。
だが、子供は、大人になるということは、闘い続けるということである。学校からの卒業とは、学校とは権力であるから、権力からの卒業ではなく、権力との闘いの、さらなる広がりを意味している。
権力との闘い。これは、まず、必ず、自分自身の権力欲との、闘いから、始まる。人間の平等とは、人間には、わからないことがある、という、無念さを、平等と呼ぶ。
だから、ありきたりの、権力権威を、批判したりする、子供は、批判とは、その対象を認めているのだから、実は、権力権威に、従い易い。
権力権威は、人間の食生活を、左右するから、どうしても、大きく見がちだが、単に、権力権威など、風景のひとつ、まあ、紫色かな、ぐらいに、思えると、君は、もっと、本当の大人に、近づくよ。
最後に、池田晶子さんの言葉で結ぶ。新帰ってきたソクラテスを書けるのは、日本では私一人でなかろうか。度胸も含み。誰か書け。また書く。
『生きるために食べるのか。食べるために生きるのか』ーー池田晶子

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