東京の会社員生活からダウンシフトし京都府北部の里山に一汁一菜の宿を開業するまで
東京で会社勤めをしていたアラサー(当時)の二人(安達伸子、山根顕)が、共働き会社員生活を経て京都府綾部市に移住し農家民宿を開業するまでのストーリー。
安達伸子(妻)の視点で、体験や感じたことを振り返ります。
きっかけは一冊の本
『減速して生きる―ダウンシフターズ』 東京で暮らすアラサー会社員の私が出会った本
新聞の書評で見つけて読んだ『減速して生きる―ダウンシフターズ』(髙坂勝著、2010年10月)。
当時の私は30歳くらい。東京の大学を卒業した後に東京で就職、2回の転職を経て医療機器メーカーで働いていた。なんだかんだ都会の方が職場(会社)の選択肢が多くて給料も高いし、都会でそれなりに持続可能な生活ができるならそれが現実的と考えていた。
「普通」に働いて生きていくだけで大変という実感があった20代前半(自分比)からすると、その頃は「一応持続可能な生活を実現できている状況へのある程度の満足」があった。とはいえキャリアアップの展望とか今後取り組みたい野望などは見つからなくて「このままで良いんだろうかというモヤモヤ」も抱えていた気がする。
この本では、「豊かさ」が再定義されていた。稼ぎが減っても豊かに生きられるよ、むしろシステムから降りてもっとおもしろい生き方ができるよ、というメッセージを受け取った。
あとは食べ物を自給する(お米を自分で作るとか)と自信がついて自立、自由につながるとも書いてあった。
読んだ感想は
妙に説得力があって印象に残った。
特に、大学生の時にアジア学院で1か月ボランティアをし、敷地内の有機畑で農作業をした経験から、「土に触れるって人間に必要(土に触れることで自分を取り戻せるというか、自然とのつながりを感じられる)」という実感が自分の中にあって、共感もした。
でもそうはいっても、手に職もない自分が会社員を辞めて生きていくのはあまり現実的な気はしないな、というのが当時の率直な感想。
当時付き合っていた山根顕さん(2011年に結婚して夫となる)にも本を紹介し、私の感想をシェアした。
後から思えば、この本との出会いがそれからの10年のベースになったと思う。
この本は改めて読んでも中身が濃い。文庫版が宿の本棚に置いてあります。おすすめ!
タマツキで広がる出会いと経験
著者の髙坂勝さんは池袋でOrganic Bar「たまにはTSUKIでも眺めましょ」(略してタマツキ)を営んでいた(2018年に閉店)。
著者に会える店ということで顕さんを誘って行ってみた。DIYされた空間と間接照明の落ち着いた雰囲気、店主の髙坂さんとのやり取り、ユニークなバックグラウンドを持つお客さんとの会話…自分たちの関心が広がっていく。休みの日には時折行きたくなる場所となった。
たまたま居合わせてお話できた方にはこんな方たちも。
『半農半Xという生き方』の著者である塩見直紀さん(著作は他言語に翻訳され多くの人に影響を与えている。綾部市出身)。
『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』著者の渡邉格さん(これまた印象深い本)。
偉ぶらないお人柄も感じられて大いに感激した。
タマツキで開催された吉田基晴さん(株式会社あわえ・・・「地方と都会のステキをつなぐ地方創生カンパニー」)の講演(2018年3月)を聞いたのがきっかけで、後日、徳島県美波町にも足を運ぶことになる。
髙坂勝さんが主催する「寺田本家酒蔵ツアー」に参加(2016年、2019年)したのも良い思い出。
その後飲食業に興味を持つようになってから、たまツキの厨房を見学させてもらったり、「ひとり飲食店講座」でレクチャーを受けたり、半農半Xへの第一歩として千葉県匝瑳市の田んぼで米作りをしたり(SOSA Project)と、数年にわたり、髙坂さんやたまツキからつながって新しい世界を様々に体感してゆくことになる。
いつか食堂を開く!?
ルネサンスごはんとの出会い
2013年、愛読誌『マーマーマガジン』を通じて「ごはんとおかずのルネサンス」調理法を知る。
試してみたところ、その豊かな味わいと身体が喜ぶ感覚(お通じの良さ)に感動。
当時は料理がさほど好きでも得意でもなかったが、そんな自分でも作れるという自信を胸に、いつか家庭料理が味わえる「食堂」を出したいと思い始める。
というのも、自分に作れるくらい簡単だからもちろん他の人にも作れるのだけど、外食したい気分の時にこんなおいしいご飯が食べられる場所があったらいい!
↓
自分がそれをやったらいいんでは?うん、やってみたいかも
と閃いてしまったのだ。
理想の食堂、理想の暮らしを妄想して、屋号が決まる
理想の食堂について妄想めぐらせる中で、「ちゃぶ台」と「ダイニング」を掛け合わせた「ちゃぶダイニング」という名称が気に入り、屋号にしようと決める(2017年頃)。どちらも食事する場所を連想させ、食事以外にも使える広がりと日常感のある言葉。
最初は都会の片隅で開く食堂をイメージしていたと思う。
徐々に、都会の刺激や明るさのもとで暮らすことや、雇われる働き方への違和感を覚えるようになっていた。夜もこうこうとネオンがついた明るすぎる都会の夜だとか魅力あるイベントや情報があふれトゥマッチに感じる一方で、ミニマム・シンプル志向や小さくナリワイをすることへのワクワク感を持つようになり、都会を脱出して地方で暮らすことを意識するようになっていった。
梅干し作り、手前味噌にはまる
東京三鷹では近所の自然食品店「やさい村」を日常の買い物に利用していた。安心安全な食材が手に入るし、店長(村長)やスタッフ、また居合わせた客同士での会話も楽しめる店だ。
「やさい村」が毎年開催していた梅干し/梅ジュース作り教室や味噌作り教室。2015年に初参加したのをきっかけに、自宅で梅干しや手前味噌を仕込むようになった。
若杉ばあちゃんの食養がベースに
2016年、同じく「やさい村」主催で、若杉友子さん(若杉ばあちゃん)による食養料理教室が開催されることになり、夫婦で参加。
私は前から若杉ばあちゃんの本を読んだことがあり知っていた。料理教室で実際に目にした若杉ばあちゃんは本で知る印象よりさらに元気いっぱいでパワフル。独特な力強い語りには説得力があった。顕さんは実際に食べてみたのも印象に残ったそうだ。
若杉ばあちゃんの「食養」で特徴的・印象的なのは
「米を食い込め」・・・完全に精製した白米ではなく粗く削った分づき米をよく噛んで食べる。必要な栄養素が含まれているので、少量のおかずにしてお米はしっかりと量を食べる。
旬の、地域で採れた、昔から日本にある食材を、陰陽のバランスをとって調理する
「味噌汁は飲む点滴」(3年以上熟成させた味噌が体に良い)
適塩(いわゆる減塩は体に良くない。精製された塩ではなく天然の選んだ塩を適量摂る)
身土不二、一物全体
私は、この料理教室を体感して終わりにするのではなくて、せっかくのご縁だから若杉ばあちゃんを信じて普段の食事を変えてみようかなという気になった。
で、顕さんに実践してみないかと提案して、やってみることにした。具体的には、卵や肉を買うのをやめたり、主に鍋料理にのみ使っていた土鍋を用いてご飯を炊くところからだったと思う。
この時から、今私たちが「一汁一菜」と呼んでいる、分づき米ご飯と具沢山味噌汁、漬物やご飯の進むおかずのスタイルができあがった。
食事を変えたことによる興味深い変化
この食事をする前から比べると、顕さんは体重が大幅に減った。見た目の印象もだいぶ今と違う。
体重は減って、体調は良いそうだ。
節制しているわけではなく、二人ともご飯や味噌汁をおかわりして量は好きなだけ食べている。本当は腹八分目にとどめておくのが良いのだろうけど、おいしいのでつい二杯目に手が伸びてお腹はいっぱいになる。それでも体が重くなったり胃がもたれて苦しくなったりしないのがうれしい。(ちなみにお米は1日に1回、最近は4合半をまとめて炊いて、朝晩の2回で食べる。)品数が少ないためよく噛んで食べることに集中できるのもよい。
近所の定食屋さん
2014年、近所に夫婦で営む定食屋さん(定食あさひ)がオープンし、「私のやりたいことを、こんな近くに実践している人たちがいる!」と感激。時折ご飯を食べに行き、接客や飲食業の経験もないのにお手伝いさせてもらったことも。
旅と小さな農体験
「暮らし」「人」に出会う旅
この間、「ひとり打ち合わせ」(妄想)したり、思いついたことやワクワクを夫に話したり、夫婦会議をしてやりたいことのすり合わせをしたりしてきた。
好きなことをナリワイにしている人やIターン/Uターンして暮らしている人への興味が高まり、特別な才能ある人でなくてもダウンシフトできそう、自分でも小さく自給農をしながら食堂とかできたらおもしろそう、やってみたいと思うようになっていった。2015年頃からだろうか、長期休暇の旅先で「暮らし」や「人」に注目するようになった。
そして顕さんは私より一足早く2017年末に会社勤めを辞めた。
顕さんの自由に使える時間が増えたことで、さらに移住を意識した旅をするようになる。まずは足を運んでみようと。
私の両親がよく訪れていた白神山地のある秋田県藤里町(おためし暮らしツアーに参加)
『ちゃぶ台』(ミシマ社による雑誌)で知った山口県の周防大島
雑誌や本で移住者の活躍が目に入ったりで興味を持った香川県の小豆島、広島県の呉や尾道、山梨県北杜市
知り合った人のつてで訪れた千葉県の長南町、徳島県の美波町
など。
顕さんが希望していたのはどちらかというと海が身近にある温暖な場所だったので、西日本や瀬戸内エリアが多め。
週末田んぼ体験
2018年、髙坂勝さんが理事を務めるSOSA Projectの「my田んぼ」に夫婦で参加。4月の田んぼ区割りから始まって1月の味噌作りプログラムにかけて、月1~3回ほど千葉県匝瑳市に通い、田んぼ0.5畝(約15坪、30畳ぐらい。約50平米ほど)で米作りを経験した。水を張ってぬかるんだ田んぼに足を踏み入れる瞬間はちょっとドキドキした。秋の収穫祭ではその年に参加した組の中で最大の収穫量(19キロ位)を手にすることができて、思わずにやけてしまった。手作業を中心とした一連のお米作りの流れを体験できたのが大きな収穫だった。
そして綾部へ
初めての綾部
後に移住することになる京都府綾部市のことは、半農半X提唱者の塩見直紀さんの出身地として、あるいは若杉ばあちゃんが住んでいた場所として以前から認識していた。実際に足を運ぼうと決めた直接のきっかけが何だったのか、はっきりとは覚えていない。
綾部に行こうと決めた後だったか、綾部も気になっているという文脈での話だったか、私が易占いを習っていた先生との雑談中に綾部の話題になり、易占いの先生が「綾部いいところだよ」と言って、彼女が綾部を訪れた時の話、現地の知り合いのことなどをいろいろ教えてくれ、綾部についての本も貸してくれた。
前述の自然食品店やさい村では、以前働いていたスタッフ(櫛田寒平さん)が綾部市に移住して農家民宿(ぽかぽかのうえん)を開いているということで、パンフレットが置いてあった。
そんなこんな事前知識もあって2018年8月、夏季休暇中に京都府綾部市を初訪問。農家民宿「ぽかぽかのうえん」に滞在する。11月にも再訪。
この2回の滞在中、宿のオーナー櫛田寒平さんの計らいで塩見直紀さんと面談させてもらったり(AtoZワークを直々に指南してくださった)、近所の移住者の方と夕食を共にしたりして、刺激を受けた。
移住地の決め手は易占い
2017年末に会社を辞めていた顕さんは、退職後に自然食品店「やさい村」で配達や販売の仕事をしたり、三鷹市の「みたか身の丈起業塾」に参加して、ぽかぽかのうえん滞在を契機に構想を持った農家民宿の起業プランを温めていた。顕さんが移住を計画的に進めたいのに対し、私はどちらかというと時期をあらかじめ設定するよりは良いタイミング(宇宙タイミングともいう)がきて良い場所に呼ばれる(ビビビと来る的な)形で移住するのをイメージしていた。でも、移住を具体的に進めたいという顕さんの希望ももっともだと思った。
訪れた場所はどこもそれぞれに魅力的。そこで、私が個人的に習っていた易占い(サイコロを使う)を参考に移住地を決定することに。
サイコロを振った結果を見て綾部が一番良さそう、と易占いの先生はコメント。この言葉の後押しで綾部市への移住を決める。
二拠点生活へ
まずお試し移住的に、2019年1月半ば~1か月、顕さんが綾部の農家民宿ぽかぽかのうえんに滞在させてもらった。綾部の冬の寒さや雪を体験するのが目的の一つではあったが、この冬は雪が少なく結果的に一度も雪かきすることはなかった。
滞在中に一軒家(築50年位)や田畑を貸してくださる大家さんとの出会いに恵まれ、住む場所の目処がついた。こうして2019年3月にまず顕さんが綾部での生活を始めた。
古民家で農家民宿(ないし食堂)をやるというイメージはあったものの、いきなり物件購入はリスクなので、まずは借家で綾部での暮らしに慣れ、地域のことを知ってから物件を購入する方向で考えていた。
私はそこから結果的に約2年半、東京で仕事しながら綾部に月1回以上通うことになった。
綾部では、顕さんと一緒に移住者のお家を訪ねて見学がてら話を聞かせてもらったり、空き家をまわって購入物件を探したり、田んぼや畑をしたり、イベントに参加したり。
一週間の終わりに東京での仕事を終えて新幹線で移動し、綾部の家の前で車を降り立つ時など、フワッと樹木や土の濃厚な香りがして印象的だった。そして都会に比べて街灯も建物も少ないため夜が本当に暗い。
綾部から東京に移動すると視界がほぼビルとコンクリートと人。この対照的な世界を幾度となく行ったり来たりした。
一方で顕さんは、綾部で借りた田んぼ・畑で作業をしたり、農泊推進の仕事をしたり、会席料理の店で働いたり、移住者や土地の人が一緒になって地域を盛り上げる活動に参加したり。綾部での暮らしを開拓していった。
一汁一菜研究所の誕生
地域と生きるゲストハウス開業合宿
2020年9月、顕さんがアースキューブジャパンが主催する「地域と生きるゲストハウス開業合宿」(第30回@玉造温泉)に参加。
本質的な暮らしを実践するための「ゲストハウス開業」を考える2泊3日の合宿。
顕さんは最終日のプレゼンに向けて準備する中で、日頃実践する食生活である「一汁一菜」と、塩見直紀さんの提唱する「1人1研究所」を掛け合わせた「一汁一菜研究所」の着想を得たという。
顕さんは合宿の最終プレゼンにこの「一汁一菜研究所」を盛り込み、手応えを得て合宿を終えた。合宿地の玉造温泉から綾部に帰宅する途中の京都駅で、東京から綾部に移動する私と合流。京都から綾部に向かう特急電車の中で、顕さんからプレゼンを受け、すぐに「一汁一菜研究所イイね!」と盛り上がった。(その時顕さんに(半分冗談で)「一汁一菜研究所を作ったけど、入りたい?」と聞かれ「もう入ってる!」と答えた記憶が。そんな経緯で私も一汁一菜研究所の共同代表に就任が許された 笑)
綾部の家に着き、顕さんが早速「一汁一菜研究所」のブログ(note)を立ち上げる。これが2020年9月27日の夜で、「一汁一菜研究所」設立記念日となった。
初投稿は翌日で、「本日の一汁一菜」を紹介する内容。
一汁一菜研究所ブログを始めた頃は食事の記録が主だったため、食事の度に写真に撮る習慣が生まれた(今も毎食写真を撮っている)。
一汁一菜研究所ができたことで、一本の芯が生まれ、理想の暮らし、理想の住まい、ナリワイのイメージが二人の中でより絞られることになったと思う。
家を探して
難航
綾部市の空家バンクをチェックし気になる家があれば内覧。知り合いに空き家情報を教えてもらっては足を運び、知り合いの方のご厚意で地域を案内してもらって回ったり。綾部市内で見に行った空き家の数はのべ50軒を超える。
易占いの結果にこだわりすぎたり(私が)、理想の条件が厳しめだったり、いろいろな要因あってのことだったと思うが、家が決まる(決める)までには時間がかかった。
ちなみに希望していた条件:
東京でのフルタイムの仕事をいつ辞めて綾部に本格的に住むのか。決断を実態としては先延ばしにしてきた私だったが、「ここぞという家が見つかっても見つからなくても夏〜秋には会社を辞める」と気持ちを固める。そして一汁一菜研究所設立から1年となる2021年9月にはその時ある選択肢から家を決めようと合意。その当時の気持ちをブログに書いた↓
元村長の家と出会う
このブログを書いた数日後の2021年4月後半。綾部市西坂町にある古民家が売りに出ていると、西坂町で農家民宿「古民家羅美」を営む水間みどりさんから教えてもらった。ネット検索して見つけた取り扱い不動産会社に見学を申し込み、家の中と敷地を案内してもらう。
家の目の前に広がる田んぼ。茅葺屋根にトタンをかぶせた古民家。離れは取り壊されていて付いていないものの、土蔵がある。
古民家は改修が必要な物件が多く、私たちも改修する前提でその分購入費用を低く抑え、セルフハーフリノベすることに関心があった。この古民家は以前の持ち主によってすでに改修された箇所が多くすぐに生活できる状態だった。囲炉裏のある、広々としたダイニング。立派な梁が見える高い天井。ウッドデッキに露天風呂。希望以上のスペックで、物件価格は想定を超えていた。
全てが希望通りではなかったが、今まで譲れなかった、田んぼの見えるロケーションなど、魅力は充分だった。
数日後にもう一度現地を訪れ、周辺を散策。家を見下ろせる高台には天満宮があった。
そしてついに購入を決めた。6月に契約。
開業準備の日々
それから2021年12月18日の開業に向けた出来事を駆け足で振り返る。
【2021年6月】
「福知山産業支援センター ドッコイセ!biz」に起業相談を開始(月一回くらい)
【2021年7月】
「地域と生きるゲストハウス開業合宿」(第31回@直島)に参加(伸子は一参加者として、顕さんはサポーター役として。ここで自分たちのしたい暮らしに必要な収入や経費を試算したのが、宿の価格設定のベースとなった)
【2021年8月】
私が退職
東京の拠点を引き上げ(賃貸マンションを解約、綾部に東京の荷物を配送←引越し会社に依頼)
古民家の購入が済んだ後も、農作業が落ち着く秋までは綾部市内の借家に住み続けた。
【2021年10月】
稲刈りイベント開催
脱穀&古民家ヨガイベント開催
【2021年11月】
広島県呉市の親戚宅(顕さんの祖母宅及び曽祖母宅)より水屋ダンスx1竿、和服ダンスx2竿を配送
広島県呉市音戸のゲストハウスに滞在
ヴィーガンカフェ 「アサカフェ」を営む友人や仲間たちを訪ね、広島県熊野町で情報交換&畑見学
「地域と生きるゲストハウス開業合宿」(第32回@山形県新庄市)にサポーターとして二人で参加、心揺さぶられる体験
綾部市内の借家から古民家に引っ越し(自分たちの所有する軽トラや軽自動車に加えて、自家用車を出し手を貸してくださった強力な応援者と、三往復)
他にも、
古民家の不用品片付け
開業申請
浄化槽設置申請
ロゴ発注
備品購入
水回りクリーニング
布団クリーニング
梁の掃除
パンフレット発注
ホームページ依頼
などを並行して進めた。開業までの準備は結構大変で、毎日の一汁一菜は欠かさず続けていたものの、ブログの発信は滞りがちに。ホームページやパンフレットの原稿を準備することひとつとっても、自分たちには想像以上に時間が必要な作業だった。開業前後は寝不足が続いた。
開業までの具体的なプロセスはまた記事にできたら良いなあと思っている。(今後のお楽しみに!)
綾部一拠点の暮らし、一年目
こうして、どうにかこうにか開業日の2021年12月18日を迎えた。私たちが一汁一菜の暮らしを実践する場であり、一汁一菜の暮らしをゲストに丸ごと体感してもらえる「一汁一菜の宿 ちゃぶダイニング」がオープンした。
私にとっては、フルタイム会社員(デスクワーク)をしながらの二拠点生活から綾部で100%「一汁一菜の暮らし」となり、まだちょっと新鮮な感覚だ。
やりたいことはたくさんあるけどいつまでも追いつかない。でもちょっとずつ自分たちのペースで進んできたし、これからも歩んでいく。
ここまで本当にたくさんの方にお世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。
そしてこの11年にわたるストーリーを共有してくださったあなたにも、心からの感謝を送ります。
これからもよろしくお願いします!
(N)