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親の骨折からのあれやこれ


1.元気だった母の骨折→入院

約1ヶ月半前に
母が転倒して腰椎骨折をした。
高齢とはいえ普段は元気な母。
家族にとっては大打撃!
いつも当たり前に照らしてくれていた太陽が
どっかに行ってしまったような。

父から直接LINEがくる時は
大概、母に何かあった時。
あ〜、また何かあったんやなーと
状況を聞く前からキュンと胃腸が反応。
転んで動けない写真を
現場のカメラマンさながら
激写し送ってきた。
すぐに見守りカメラを見て声をかける。
様子を見てると起きあがろうにも
大丈夫と言いながらも
起き上がれない…

「きっと骨折してるから
救急車呼んだ方がいいね」というと
「骨折なんかしてへんわー」と笑って言う。
いやいや、それ、きっとしてるで。
救急車を呼ぶことに
強い抵抗を示していた。
数日後に恒例の数ヶ月滞在予定の北海道旅行の
出発予定だったから余計なのだと思う。
(因みに私も2週間弱行くはずだった)

私は、いつもなら
母が心配でかなり動揺しそうだけど
旅行は全てキャンセルしなきゃと
意外にも冷静で…

漸く観念した母が
救急車で連れて行かれてる様子が
見守りカメラに映し出された。
この時、大変な状況であるはずなのに
何故か私は
ありがとうと手を合わせた。

結局、骨折→入院が決定。
母も大変だけど母に頼りっきりの
足元がふらふらしてる高齢の父も
試練の毎日となった。
寂しすぎて食欲も低下し、
弟が食べるものをちょいちょい
親鳥のように運んでくれた。
それを雛鳥の如く食べる父。

妹も数週間、実家に滞在してくれたし
父の妹達、父の姪や甥、近所の人が
次々と心配して顔を見にきてくれたり
食事を持ってきてくれたりしていた。
雛鳥父は、少しずつ元気を取り戻した。

一方、母は、痛みは結構あるけど
動けない生活の割には
悲観的ではなかった。
最初は、大部屋だったので
認知症のおばぁさん達が賑やかだったり
痰の吸引で眠れない日々が続いていた。
個室へ避難するまでの日々は
家族LINEにおばぁさん達の
レポートをしてきた。

おばぁさんが歌ってる歌詞を
送ってきた(笑)
母は寝たきりだから
顔が中々見れなかったけど
ようやく◯◯さんの顔が見れたー!と
報告してきたり。

60年も主婦業を毎日してきた母が
初めてこんなに長期に主婦をせず
ゆっくりしている。
いや、ゆっくりするしかない生活。
その点は、痛くて動けないのは
大変だろうけど
この機会にゆっくりしてねとも思った。

個室にしてもらってからは
ベッドから見える朝陽の写真を
送ってきたりした。
個室だと電話で声も聞ける。
LINEで毎日報告もしてくれるので
様子がわかって安心。
毎日、少しずつ良くなっているのが
わかった。
コルセットをしながら歩行器で
トイレに行けるようになったよーとか。

そんなこんなで
1ヶ月くらい経過しようやく退院の話が出始めた。

2.退院に向けて

医師は、週に数回、数分間、話して出ていく。
そんな感じだから医師よりも
毎日来てくれている理学療法士さんたちとの関わりの方が多かった様だ。
看護師さんもタオルを持ってきてくれたり熱測るくらいよ・・・と。
あら、なんか同業としては寂しい反応。

私も整形外科に勤務していたけど
患者さんたちとめっちゃ話していた。
最近は、そうなってるんかなぁ。

介護認定を受ける話になり
認定調査も座ったままで
簡単に終わったようで・・・

これから何がどんなふうに始まっていくのかが
患者側はわからない。

私が整形外科に勤めていたときには
介護保険がまだなかった頃なので
退院時となると事細かに家の様子とかを
あーだこーだと聞きながら退院指導をしていた。

訪問看護に従事をする様になってから
退院後にどんな流れでどんな人たちが
どんなふうに関わっていくというのも
わかっているけど、これって一般の人は
想像ができないよねー?

毎日の様に
家族のLINEでこれからの流れなどを
家族にも説明して段取りをした。

退院時には介護認定も間に合わないから
介護ベッドは自費でレンタルになる。
今後のことも見据えて
介護ベッドを姉弟で購入することにした。
母がベッド上からPayPayで
2モーターの電動ベッドを買おうとしていた。
油断も隙もない(汗)
元々、PayPayで気軽に買い物している母は
入院中、買い物に行けないので何でも買おうとする。
椅子も買って、家族みんなに叱られてた(笑)

待って待って・・・2モーターなら買わない方がいい。
2モーターは、頭と足部分が動くタイプ。
高さは変えられない。
3モーターならあってもいい。
3モーターだとベッドの高さが変えられるので
立ち上げる時の高さが設定できることや
今後、ずっと先に誰かが
寝たままの生活が多くなった時に
介護者の腰を痛めない様に高さが調整できないと大変。
ということで3モーターを購入。
ベッドのレビューをみていると
組み立てに
数時間かかって大変でしたと書いてある。
組み立てしてもらう設定でお願いして良かった。
お金は1万円プラスだったけど。

もちろん介護保険が出るまでは自費で払って、
介護保険が出てから1割負担で
レンタルでもいいし、そこはどちらでも。
我が家の場合は、
どうせ長く使うならレンタルにするより
購入した方がいいかなと思ったので購入。
電動ベッドは、
買うよりレンタルする人の方が多いと思う。
介護のベッドのブランドではなくても結構なお値段はしている。
我が家のは、設置費用やキャスター代を入れて
13〜14万くらいだったかな。
私が注文して、ベッドの業者さんとやりとりして到着日の設定などをした。

どんな状態で退院してくるのかも説明がなく
伝い歩きで大丈夫じゃないですかねー
みたいな感じだけど
私自身、面会ができていないので
実際がわからず判断が難しい。

とりあえずリハビリ用として歩行器などは持ち帰らない様だったので
2本のウォーキングポールを購入しておいた。
圧迫骨折なのでいい姿勢を維持できる様に。
シルバーカーだと腰が曲がってしまうので・・・。
また1本杖(T字杖)も体幹が捩れやすいかなと判断。

まだしばらくは、亀の甲羅みたいなガッチリしたコルセットが必要。
脇の下から股関節のあたりまで
結構幅があるコルセットなので
みんなが嫌がるコルセットだけど、
座位や立位の時に
重力がかかって脊椎が潰れやすくなるので、
ここは頑張り時!

とりあえず退院ギリギリに
ケアマネさんや福祉用具の人たちが
家の中を現場調査に来られ
段差などをどうしていくかの検討。
難聴で高齢の父が1人で、
ケアマネさんたちに対応できるのか
見守りカメラでチェック(笑)
なんとか対応していた。

入院中は、いろんな薬を出されるけど
母は、自己調整して飲んだふりをしていた(笑)
おぬしも悪よのぉ〜

あとは、入院費の支払いなども
高額療養費制度やら
高齢者負担割合証などもっているかなど
母は、個室を利用していたので差額ベッド代は別となる。

生命保険などの診断書の準備なども必要になり、
事前に生命保険に入っている人は
生命保険会社から
用紙を送ってきて貰わなくてはいけない。

離れて住んでいるのに
段取りをしているだけで
なんだか毎日忙しかったなぁ。

病棟やリハビリの人達への
東京お土産やら。

3.退院後のあれこれ

ちょうど1ヶ月くらいで退院となった。
退院日がギリギリに決まったので
先に飛行機のチケットを取っていた私。
ちょうど私が帰る日に退院となった。
私と父で病院に迎えに行った。

理学療法士さん達に
「おかげさまでこんなに元気に
なりました」と母がお礼を言ったら
「いやいや、僕たち何もしていません。
最初からお元気でした」と言われたという
エピソードもあり(笑)

私が帰ってきて母も退院になり
嬉しい嬉しいと
父はLINEに書いていた。
父も母もお疲れさんでした。

母と1ヶ月ぶりに会う猫さんたちは、
意外にも普通だった。
あ、帰ってきたんかいな・・・くらいの感じ。
え、そんな感じぃ?
私も4ヶ月ぶりなのに。

そして、
前日に届いたばかりの電動ベッドも
寝てみるといい感じとのことで
とりあえず安心。
電動もスムーズに動いていた。

さて・・・
大変なのはこれから。
翌日には再度妹たちも帰ってきて
約10日間に及ぶ大掛かりな断捨離が
始まるのだった。

4.何回目かの実家の断捨離に挑む

実は、私と妹は、
春にも帰ってきて実家の断捨離を
2人でしている。
これは、数日間だったので
完全にあまっちょろかった。

今回は、2階にあった両親のものを
全て1階に移動するという
大掛かりなプロジェクトだった。
もう両親は階段で2階に上がらず
1階で生活を完結させることにした。
7年前くらいに私は、
実家の断捨離のために一旦仕事を辞めて
実家に1年帰っている経緯がある。
何という親孝行娘なんやろ。
それでもあっという間にものが
増えるというとんでもない家なので
一筋縄では行かない。

両親の買い物癖が半端ない。
7年前の時に黒のタートルを畳んで並べたら
ズラーっと20枚くらい並んだ。
同じ様なものを忘れてしまうのか
次々に買ってしまう様で。
今までは全ての服や持ち物を見ていなかった。
今回は、全ての持ち物を見ることとなり
物の多さにただただ驚いた。

7年前同様、2トンコンテナを借りてきて
好きなだけ詰め込んでいいという
スタイルをとった。
ただ、今回は、前回より物が多いので
かなり細かく解体しないと全部は
収まりそうになかった。
男手が頑張って家具類を細かく解体してくれた。
タンスも2棹、家具もたくさん捨てた。
椅子も何脚も捨て、フランスベッドも2つ処分。



前回もたくさん捨てたタッパーが、
タッパー屋でもするんか?というほど
すごい量が仕込んであった。

2階の3部屋分から両親のガラクタ、、、いえ、持ち物が
次から次へと出てきた。
服の仕分けが本当に大変で、
捨てたはずの服や食器が
またこっそり元に戻されていた。
母の仕業だ。

こんな調子で約10日間のバトルが
繰り広げられた。
断捨離にありがちな
途中で拗ねるという・・・
「もういい、全部すてればいい!」的な。
といいながらまた取り戻すんやろ(笑)

とにかく高いところに物を置くのは危険。
高いところのものを取ろうと
脚立に乗るリスクを回避させたい。
そのためによく使うものを
できるだけ手が届く位置に納め直した。
父もよく料理をするので滞在中に
ちょうど高いところから
鍋をおろす時に鍋が落ちてきて
カランコロンと音を立てていた。
鍋は、父が届くところに全て置いた。

冷蔵庫の中は、今回は、断念した。
腐った野菜や賞味期限切れのものを
ちょちょっと捨てるにとどまった。

服は、ほとんどのものを
衣装ケースの引き出し式に変更した。
そしてラベリングして
半袖のものや長袖のものなど仕分けして
衣替えもしなくていい様にした。
ハンガーにかかっていたものだけで
何百着もあった。
反省してほしいけど笑っている・・・。
反省しているかどうかを問うと
「なんで?全部いるもんだもん」と開き直る。
ちょい腹立つ(笑)


1階に
ウォークインクローゼット的な場所を作った。

ニトリで大きなハンガーラックを購入し
フレームの中に衣装ケースを重ねた。
そしてハンガー部分には、
ハンガーにかかった山ほどの服の一部を吊るした。
高齢になってからは特に
衣替えというのは億劫になり
結局、新しいのを買ってしまうという
ループになる。
だから
全てが同じところにあり見渡せる状態がいい。
これで服の買い物が減るとにらんでいる♪

ニトリ ハンガーシェルフ


今まで私たちが
帰省した時に使っていたスペースを
今回、両親の寝室にしたので
部屋として機能させるため、
カーテンレールをつけ
カーテンで間仕切りをして
プライベートスペースを保った。


この際だからということで
倉庫の中や洗濯干し場の中も
断捨離してずいぶん軽くなった。
父は何十年もかけて溜めていた釣り道具を
ついに全て手放した。
手放す様に言っていたこちらも
子供の頃によく連れられて行った釣りを思い出し
私自身が、父のあまりの潔さに
少し寂しい気持ちにもなった。
こうやって少しずつお別れをしていく作業。
でも物がなくなっても思い出がなくなるのとは違う。

田舎で部屋がたくさんあるというと
一見いいことの様にも聞こえるけど
部屋は少ない方がいい。
空間があればあるほど、
人はそこを埋めようとする心理が働いてしまう。
空間こそが宝物!という考えには
中々到達しない。
コーヒーカップやティーカップも
ギチギチに並んでおり、
1個洗って帰ってきたら
誰か落ちるかもしれないスリル。
ところが、
断捨離したら
なんとも優雅に並んでいるカップたち。
この優雅な空間をよーく味わって
欲しいと母に何度も言った。
「はいはい、そうね」

「はい」が2回の時には、絶対怪しい。

5.バリアフリー化

今回、母が転んだのは、
大きな段差部分で
ド派手にすっ転んだ。
しかも熱湯を持っていた。

この部分は父も転んだことがある場所だった。
しかも母は2回目だったと白状した。
段差部分に滑り止めシールなどは付けて
対応していたが踏み台も狭かったのだと思う。

増築部分で段差ができていたので
今回は、ここの段差を解消する必要があった。
2人が安全に暮らしていける様に。

そこで事前に
ケアマネージャーに
段差解消のための住宅改修費について相談していた。
広すぎて難しいかもという回答だったが
そこをなんとかもう一度役所にお願いしてみて欲しいと依頼。
「⚪︎⚪︎さん(ケアマネ)の腕にかかっています。がんばって!」と
圧をかけて(笑)
そしたら、大丈夫と言われたとのこと。

これは知っていた方がいい制度だと思うけど
通常は、ケアマネが提案してくれないとわからないので
中々利用しないかもしれない・・・。

<住宅改修費 介護保険適応>
介護保険で要介護・要支援認定を受けている人が対象。
手すりの取り付け、段差・傾斜の解消、和式トイレから洋式トイレへの変更、
開戸から引き戸への変更など・・・。
20万円を上限に費用のうち被保険者の自己負担割合分を除いた金額を支給

我が家の様な年金暮らしには大変助かる制度。
段差が大きく、面積も広いため結構な改修費になることが判明。

ということで
そろそろ父も介護認定を受けておこうかと話していたところだったので
これを機会に父も認定調査していただくことにした。

今、とりあえず付けている段差部分の階段や
玄関に設置していただいているタッチアップ(手すり)は
母より普段、杖歩行している父の方にとても有効で
安全に動くことできている。
2人にとって段差解消が絶対的に必要。

それでも全然足りないくらいの改修費用だけど
安全に暮らせることを第一に。

そして
リフォームついでに
今後、子供や孫が帰省した時に
気持ちよく泊まれる部屋を一つ作ろうと思い
これを機会に
1部屋フローリングとクロス張り替えをすることにした。
普段誰も寝ない部屋にお金をかけるなんて!と
弟に揶揄されたが・・・。
みんなが帰ってきたくなる家の方がいいでしょ。
しかも出資するのは私。

今住んでいる賃貸物件ではこういう楽しみができないので
その代わりにフローリングの床選びや
クロス選びを今、楽しんでいる(笑)
妹にも希望を聞きながら。

6.そして今思う

本来なら
北海道旅行を楽しんでいるはずの長期休暇は
実家の断捨離となったが
結果的にはいい機会をもらったと思う。

私1人では到底できないことも
妹も長期にわたり一緒に片付けてくれた。
私たちがいない間は、仕事をしながら弟は
父のことも母のこともしてくれた。
こんなこともなければ
姉弟のグループLINEも作らなかった。
これをきっかけに
親のことを3人姉弟で考えられたのは良かった。
妹とはしょっちゅう話しているけど・・・。
一人っ子の人は、
本当に本当に大変だろうなぁと思う。
3人でも大変だったのに。

妹ともこんなに長い時間一緒にいたのは久しぶりで
夜は遅くまで2人でずっと話もできた。
あ〜、姉妹っていいなぁと思いながら。
親の物の多さに辟易しながら片付けたけど
私たちの近い将来の老後は、
子供達は何人かいても
全員私たちをこんなふうに断捨離してくれたり
看てくれる子はいないと悟っている。
だから物は増やさない様にしようねと話した。

自分たちの老後も重ね合わせて見ることができたので
良い経験となった。
物を溜めておくことが
こんなに大変なことになるんだということを
リアルに見れた。

そして
仕事の面からも勉強になった。
MSW(医療ソーシャルワーカー)など介入せずに
そのまま退院してくる場合
患者さんは、何が何だかわからない状態で
帰ってきていることになる。
もっと病院でいろんな説明がされているのだと思っていた。
ちゃんと退院指導しているところもあると思うけれど
母の場合、退院指導の紙はあるけど極々形式的な物で
説明もなかったようだ。
特に入院期間中にADL(日常生活動作)低下したり
身体の障害をきたしている場合
入院前とは違う状態で帰ってくるので
退院して帰ってきた時に果たして今まで通りに生活できるのか。
ケアマネが事前に住宅調査に行ってくれているとは思うけど。
行ってない時もあり。
病棟の看護師の時には、各種サービスや制度、知識が足りていなくて
必要な退院指導ができていなかったであろう自分もいた。
病院であろうと在宅であろうとシームレスにケアが継続できるよう
整えていく必要がある。
家族の大変さも身をもって体験し、
今まで以上にご家族へかける言葉の一つも
変わってくるだろうと思う。

今まで圧迫骨折のお客様はたくさんいた。
でも身内がそれを体験すると
さらに深く知識を得たいと思い情報量も増えていく。
どれだけできないことが多いかも改めて知った。
屈むことや重い物が持てないので
洗濯だってできない。
掃除も掃除機は大変なので
箒と長いチリトリを準備した。
母は、今まで屈んで拭き掃除をしていたが
それができないので
クィックルワイパーが大活躍することになる。
お風呂掃除だって大変。
買い物も重い物が買えない。
靴下やズボンを履くのも大変。
いろんな大変がそこにはあった。

母も
父も
大変だったと思うけど
今でよかった。
きっと、
今、起こるべきちょうど良いことが起こったのだと思った。

私の最大の弱点は
「家族」なのだとよく言われる。
私もそう思っている。

私が何かに進もうとする時に
よくこのようなお試し的なことがくる。

でも
今回は
なんとか乗り切れたかのかなぁと
道半ばながらも思う。

お金も大きなエネルギーと言われている。
ここぞという時には喜んで使う。
実家がまた新しく生まれ変わるそのきっかけに
喜んでお金も使う。
なんだろう?
こういうことにお金が出せることが
なんだか嬉しい。

母親は相当痛かったと思うけど
今も長い時間は座っていられないので
大変だと思う。
それでも意外にもケロッとした性格で
乗り切っているのがありがたい。
母にとっても
ゆっくりできる時間はプレゼントだったのかもしれない。

これからもますます元気になってねー。


昇り龍!これを見た人・・・良いことありますよ⭐️






















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