普遍と限定の間を揺れ動く「言葉」たち:海外ドラマ『クリミナル・マインド』の魅力
英語学習を兼ねて海外ドラマを見ることが多い。
目下の課題は『クリミナル・マインド シーズン11』。サイコパスとかソシオパスがウジャウジャ登場し、直視できないほど怖いシーンもある。
だが、このドラマを見続けるのには確固たる理由がある。
物語の最初や最後に名言格言から引用(=quote)される「言葉」に惹かれて見続けているのだ。
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引用された「言葉」の意味にハッとさせられながら物語に入り込むエピローグ。そして、引用された「言葉」の意味をジワジワと感じながら余韻に浸るエンディング。
それらが心を捉えて離さない。『クリミナル・マインド』は、私にとって、そういう海外ドラマなのである。
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犯罪者と呼ばれる人たちに、非難の言葉を浴びせかけ、憎み切ることができる人もいるのだという。
だが、私は、そういう風に思えないのだ。
生い立ちや環境、さまざまな要因で、堪え切れない苦しみを抱いた人たち。止む無く罪を犯していく背景を垣間見ると、なんともやるせない気持ちになる。
罪は罪だから仕方ないと思う反面、「罪を犯した犯人のみが責めを負うべきなのか」という疑問を感じてしまうからだ。
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なかには、救いようのないサイコパスやソシオパスもいる。ただただ恐怖の対象でしかない人たち。けれども、そういう人であっても、何かのきっかけがあれば高い教養を身につけ世の中に貢献する立場に就くことが可能であったのではないかと思ってしまうのだ。
「行き場のない思い」を抱えていた犯罪者たちは、「刑罰から逃げ切る自由な人生」より、むしろ「殺されて苦しみから自由になりたい」と思っているのではないか?
このような疑問を抱くような「後味の悪いエンディング」には、ストレスさえ感じる。
だが、それでも見続けるのは、やはり物語を締めくくる「言葉」に何かを感じるからだろう。
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『クリミナル・マインド』のエピローグやエンディングで引用されている「言葉」は、もともとは普遍的な言葉として人々に愛されてきたのだと思う。
名言集などで見かけた有名な言葉もある。
言葉自体は知らなくても、思想家であったり小説家であったり、ときには科学者であったり等。『クリミナル・マインド』で引用される「言葉」の主(ぬし)は聞き覚えのある人たちなのだ。
普遍的な言葉として広く知られているのだろう。だが、物語の前後に語られるとき、普遍性が薄れていくように感じる。限定的な響きになるのだ。
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犯罪者たちや犯罪被害者たちへの哀悼の意。
私が感じていたやるせない気持ちを代弁するような立ち位置として「言葉」を引用しているのだろう。
限定的な響きが思い起こさせてくれるのだ、犯罪者たちも「人」であり、犯罪捜査に関わった人たちもまた「人」であることを。
物語の終わりととともに、引用された「言葉」たちは、再び普遍的な言葉へと姿を変えていく。
そして、ほの暗い灯りとなって私の心に照らし続けるのだ。
for reference
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