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花結文庫

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#小説

金魚草

金魚草

*注意
着物の着方についてのお話ですが、着付けの専門家ではありません。そういった解釈、意図を持ってのお話でないことをご承知おきください。

「あんなはしたない着こなし、ようできたことだこと」
 毒を含んだ声と言葉に、立ちすくんだ。聞えよがしの悪態は、きっと届いてしまったことだろう。
 声の主はすぐ隣に立っていて、怒気をはらんで不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。思わず袖を引くと、なに、と強い声が自分に向

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支子

支子

*注意
このお話には精神疾患、残酷事件の描写があります。

 姉の様子がおかしくなったのは、春を少し過ぎたくらいだった。
 よく笑う、明るく優しい姉がふさぎがちになり、言葉少なになった。いつしか部屋に閉じ籠るようになった。心配して声をかければ怒鳴られてしまうことさえしばしばあった。
 部屋に籠ったままになれば当然食事の回数、量が少なくなり、姉はみるみるうちに痩せ細っていく。家族は皆心配し、戸惑い、

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皐月

皐月

 品行方正、謹言実直、堅物、真面目が取り柄。
 そんな評判が当たり前で、それが私の名札ですらあったような気がする。名前を聞けば「ああ、あの」の後に続く言葉があげたうちのどれかであるのは間違いなく、そしてその評価は正しいのだ。
 成績がいいのは当たり前。学級委員に選ばれるのは当たり前。なぜならば、こつこつ授業を受けてノートをとって課題をこなし、予習復習は日課でテスト前は学んだことを確認するだけにして

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麝香撫子

麝香撫子

 私の瞳の色は、他の人と違う。みんなは焦げ茶色。私はみんなと違う色をしていた。
 変な色、とばかにされた。みんなと違うから遊ばない、と仲間はずれにされた。そんな幼少時代、私は自分の目が嫌いになったし、憎らしくも思った。この瞳を鋭利ななにかで突いてしまえば、こんな苦しみや悲しみもなくなるのだろうかと思うこともあった。
 けれど、この瞳は二十歳を越えた今も私の眼窩に収まっているし、視界は良好、ぱっちり

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片栗

片栗

 空があんまり青いから。
 だから、私は。
 
 憂鬱だ、と顔に書いてある。
 鏡をのぞきこんだ私は、向かいに映る自分を睨み付ける。
 なんでそんなに不機嫌なの? 己に問うが答えは返らない。
 私が口を開かないからだ。眉間によったしわ、への字にまがった唇。そしてどんよりと濁った目。
 何がそんなに気に入らないの?
 わからない。
 ますます寄った、眉間のしわに右の人差し指をあてて。ぐりぐりと引き伸

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柳薄荷

柳薄荷

 私は今日、殺される。
 物騒な話だが、目の前の事実は私にそう思わせてしまうほど、衝撃的なものだった。

 任務、未達成。

 それすなわち、死。
 真っ赤な舌と、真っ白な尖った歯。大きく開いた口からのぞく赤と白が、ぐんぐんと近づいてくる。
 とっさに手をかざしてみても、家を越すほどの巨体に対して、人間の腕二本で防げるはずもない。
 呪文を唱えようと開いた唇は、はくはくと動き息を吐くだけで全く意味

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四大陸物語~西~

四大陸物語
『お茶会』

 うららかな気候の中。ガラガラと音をたてて馬車は走っていた。
 御者は危うげなく手綱を操り、馬を走らせる。
 有能な御者が操る馬車の中には、修道服を着た女が一人、物憂げな表情で窓の外を見つめていた。
 否、物憂げな表情は彼女のいつも通りの様子で、半分近く伏せられたまつげがその印象を強めている。
 窓の外を流れる風景に目をやるともなしに眺めながら、修道服を着た女は小さくため

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「当たり障りなく、それでも」

 彼は、人当たりが良くて人望があり、人の間に入っては仲を取り持つこともありながら、さりとて押し付けがましくなくただたたずんでいる。
 ものすごくできるひと、と評価されるほどではないけれど、なんとなく皆が良いイメージを持っていて話題にのぼる。
 彼は、私にとってある種憧れの人間だった。世の中をうまく渡っていけるひと。
 けれど、彼にとっては違ったらしい。
 終業後にたまたま会議室で片づけをしながら二

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旅立ちの前夜に

旅立ちの前夜に

 これは、ある女の手記。その一節。

 その日のために、特別な何かを探しておりました。
 遠くへと旅立つ可愛いあの子に、何かをしてあげたいと、何かせねばなるまいと探しておりました。
 何日も前から考えていたというのになにも思いつくことができず、いよいよその日は目の前に迫るものの、夜更けになっても思いつきません。
 あの子の旅立ちの餞となるような、ありきたりなものではない素晴らしいものをあげたいと思

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藤

 忠告は、重いものだった。

『囚われるでないぞ』

 ――もう、遅い。

 指がかけられた扉は、ぎしりと音を立てた。横にずれ、内部を無防備にさらしだす。
 久しく人の気配がないまま放っておかれた建物特有の空気が鼻をつき、外へと流れ出ていく。
 入れ違いのように、生ぬるく湿った外気が袂を揺らして部屋の中に流れ込んでいった。
 まるで誘われているようだ。誰もいないはずの空き家のはず。けれど、誰かにそ

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吾亦紅

 ”言葉を必要としない愛も、存在するの。”

 証拠とするかのように差し出されたのは、赤色の小さな果実をつけたような、花。
 その言葉の意味に、気づいて嬉しくなったのは当然。

 御伽話のようなことはあるのだと、ずっとずっと信じていた。
 それこそお姫様や不可思議な冒険譚。
 ずっとずっと、信じていた。

「まぁ! わたくし嬉しいわっ!」

 また、あなたに会えて。
 彼は、父の教え子の一人。文明

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冬薔薇②

「……………薔薇?……」

 小さな、やっと蕾をつけ、ほころび始めた花びらを懸命に空へと向けている。
 小さいけれど優美な線を描く茎には同じく小さなとげ。そして小さくとも質感を持った何枚もの紅色の花びら。
 生き生きとした花びらと、まとった氷のかけらが光る。
 それは、生命の輝きだ。
 周りの静寂が、凍ったように止まった気がした。魅入られたように、動けない。
 けれど惹かれるように指先はその小さな

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冬薔薇①

 寒さに耐える花の美しさを、彼は見た事があったろうか。
 一面に降り積もった雪に埋もれる世界の中、凛と誇らしく咲いていたことを、私は忘れない。
 そして、彼に教えたいと思ったことを。
 彼の幸せを、願ったことを。

…   …   …   …   …   …   …   …   …   …   …

 その花は、真冬に一厘だけ、ぽつりと咲いていた。

「そろそろ、外に出ない?」

 何度目だろうか

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撫子

 幼い頃の夢が、現実になることは、そう多くはない。
 時の経つうちに変化し、またそれ自体が消滅してしまうこともある。
 だいたいがそうだ。それが、この世界のルールと言っても良いほどの現実で。
 では、諦めることもできず、また実現することも叶わぬこの夢は、なんだろうか。

 未練、だろうか。

 それとも自分がまだ子どもなのだということだろうか。

 祝いの日は、いっそ憎らしいほどに晴れ渡っていた。

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