20190511_古賀茂明_官僚を国民のために働かせる法_

元官僚が、古賀茂明著「官僚を国民のために働かせる法」を読んでみて感じたところ。

古本屋前の100円ワゴン、ついつい覗いてしまいますよね。たまに、これは!!!という出会いがあるものです。

私も今日、下北沢の古本屋で100円ワゴンを漁っていました。すると本書を発見。私は今年の3月まで肩書きとしては官僚でした。それで今、官僚の友達の家に居候させてもらっている。買うしかない!!そんで、官僚の友達に突きつけてやる!!!100円だし!!!!そんなちょっとした悪戯心で本書をレジに持っていきました。それで、渡す前に自分でもちょっぴり読んでみた次第。

官僚批判、鋭いです。民主党政権時代に書かれた本ですが、当時の政治行政のトピックスを挙げて官僚を徹底的に批判していきます。福島第一原発の問題を上手く裁けなかった幹部が退職金上増しで退任パーティーまで盛大にやって去っていくなど、、、現役の官僚、特に幹部クラスが読むと、まず否定するか古賀は馬鹿なことをいっているな、と相手にせず自分を正当化するでしょう。それくらい、当事者にとっては耳が痛かろう話をつらつらと綴っています。

そんで、それが、まぁそうやね、、、と思えてしまうのがこわい。確かにここに書かれているような官僚、少なからずいます。自分は4年しか中央省庁に籍がありませんでしたが、共感できてしまう。大丈夫か日本の行政。著者の古賀さんはこの問題を、官僚は国益という観点ではなく省益や自身の利益(天下りや出世)のみを考えて行動する点にあると書いています。

自分の経験も含めてこれを解釈すると、「部分最適」を追求しすぎている、ということかな、と思いました。

例えば予算。国家予算は各省庁が、それぞれの省庁の施策に必要となる金額を決めた上で財務省にその額を提示します。国益を観点に考えると、うちの省庁は今の時勢この程度の金額があればいいから、この程度が妥当だろう、という積算をするはずですが、現状としては「最低でも前年同!減はありえない!なんとしても予算を取れ!」です。今のこの時代にこのハコモノ予算は必要なのか、、、昨年余って年度末に必死に消化したやつだよねこれ、、、て事業も前年より額を盛って財務省に提示したりします。このお金で保育園いくつ作れるんだろ、、、て思いながら必要性のよくわからない事業の予算要求を見てました。国としての最適ではなく、省庁としての最適を追求しているんですね。

また、同じ省庁内でも部分最適を追求する姿勢は大いにあります。具体的には仕事の割り振りです。この仕事はあの部署の担当だからあそこにお願いしようー、と思って仕事を持っていくとほぼ100%嫌な顔されます。拒否されます。うちじゃない、とか、その仕事をするとこういうことがおきるから、うちではできない、とかあーだこーだ理屈をこねて仕事を避けます。部分最適ですね。自分の部署がよければ、他の部署のことは関係ない、という姿勢です。よくこういう人は防御力が高いなんて言われてましたが、その流れ弾は確実に他の人に当たってるんですよね。

総じて、「自分の役割をできるだけ小さく捉えて、その範囲でしか動かない人」が問題なんですよね、多分。そしてそういう人が組織の中では評価されていたりする。

こういう人、実は官僚だけじゃないのでは、、と思います。民間にも、のらりくらりと自分のことだけ考えて行動するような人、いるのでは。自分の狭いコミュニティだけの部分最適を追求していくのではなく、「自分の役割を適切な範囲で拡大解釈して積極的に引き受けていく姿勢」を大事にしていきたいですね。

以上、本書を読んで感じたところです。意外と行政って、いい加減ですよ。人間がやっていることなので、それはある意味当たり前なんですが。行政の力学を知るにはちょうどいい本だと思います。

蛇足です。本書に登場する官僚たちとは間逆の「引き受けていく姿勢」を強く感じられる映画が「バジュランギおじさんと小さな迷子」です、、!インド映画です。ちゃんと踊ります。宗教、国家間のいさかいを超えて自身の”役割”を全うしようとするバジュランギおじさんに涙します!ぜひ観てほしい!!!

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