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#23 noteを始めて1週間が経ちました

noteを書き始めて1週間が経過しました。
今のところ、楽しいので毎日書いています。
何かを書く、ということは性に合っているのかもしれません。
いやいや継続しているわけでもなく、ただ思いついたことを書いています。それが結構心地よいのです。
書きたいのに何も思い浮かばない、なんてこともありましたが、なんとなく手を動かしているうちにこじんまりとした文が出来上がるようです。できるとうれしい。そういったことをこの7日間で学びました。
なんとも充実していますね~。リッチな気分じゃ。

私はnoteを有料に設定していませんから、特にお金にはなりません。
しかし、書きたいものを書くことで、楽しい時間を過ごせている。これが一番良いものです。
日記なんかが典型ですが、「書く」はセラピーなのかもしれません。
何か外に出す必要があるのかもしれない。だから人は様々な形で表現するのでは。
で、私の場合は人と話す機会も少ないし、不器用なもので中々本音では語れないのです。そういう人は、文字などを始めとする他の手段を用いてアウトプットする必要があるのではないか、と感じています。
日本は識字率がそれなりに高いようですから、「何かを書く」ということは始めるハードルが低く、普遍性を帯びたアウトプットの一つだと思います。
つまらなかったらやる必要はありませんが、始め易いところから始めるのがいいですよね。
からだにやさしく。こころにやさしく。
それから、身の丈に合っていることも重要だと思います。
先行投資し過ぎると、悲しいかな「元を取らな!」みたいなケチ臭い根性が湧いてきますので、束縛感につながるでしょう(私だけかしら?苦笑)。こういう感情の発露こそが真正の貧しさだと思います。
だから、あまり金はかけない。そしていつでもやめられるものがいいです。
逃げる準備はしておくものですよね。
避難訓練とか、災害時のために備蓄するのと同じです。背水の陣はメンタルに悪いです。ただの博打ですから。それはゲーム内でやることにしましょう。私はゲームでもやりたくありません。
とにかく苦痛になってしまっては本末転倒ですからね。苦しみは遠ざけることにします。そこは動物的な本能に従います。
私は真面目という名の「狂気」を持っていますから、気を抜くとすぐに目的を見失います。好きでやっていたはずなのに、それに執着して苦しんでしまう。それが今までの私がとってきた典型的な行動です。お恥ずかしい。
だから、この文は私に向けて書かれているようなところもあります。
始めるのは、早い方が良い。
条件が整うのを待っていては遅いのです。
その頃には興味の対象は移っていますから。
私は興味関心の領域は広くはないと自認しているのですが、そんな私でさえそう同じものばかりに目が行くわけではありません。

さぁ、いよいよゴールが解らなくなってきました。
そりゃそうなんです。スタートもゴールも決めてませんから。
冒頭の一文でスタートが決まります。
でもゴールはずっと解りません。
筆を置くタイミングというのは、良く解らないものですね。
などといいながら、そうやって今後も書き続けていく予感がします。


それでは。ごきげんよう。


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