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#87 頭がいい人とは

「あの人は頭が良い」、「あいつは頭が悪い」などというフレーズを日常的に見聞きするのは恐らく私だけではないでしょう。
しかし、頭の良さとは何を指すのでしょうか。
そう思ったことがあるのも、また私だけではないと思います。
色々な言論に触れていると、どうも皆違う意味でその言葉を使っているのではないか、と感じることが多々あります。
その意味を共有・固定していない状態で、話はあれよあれよという間に進行し、もやもやしたまま話が終わる・・・・こうしたことが起きるのは無理もありません。
私はこうした状況を見て、何やら、わだかまりというか、歯痒さというか、そのようなものを日常的に感じます。
そこで、私も「頭の良さ」について少しだけ考えてみることにしました。

頭の良さとは、主に

  1. 記憶力

  2. 合理性

に依るものだと私は思います。
しかし、そう思った矢先、こうも思いました。
「それって、コンピュータと何が違うのだろう?」

人間の場合はそこにカオスな「感性」というフィルターの通過を経て思考が顕現する点が特異なのでしょう。
私が感じた「頭の良さ」とは、単にスペックの問題だったのです。
我々の裡にあるブラックボックスが吐き出す人間的な知性・品性、そこから導き出されるアウトプットは「頭の善さ」と呼びたいですね。
英会話が流暢であっても、話す内容が低俗であればそれはつまらない人間と見做されます。当然のことです。
いくらスペックが豊かであっても感性に乏しいと残念なアウトプットになるのですね。これは私の過去のnoteでも書いてきたことです。
しかし感性は所謂ブラックボックスですから、その育み方もヴェールに包まれています。そもそも感性とはなんぞや、という問題もありますしね。ただ、良く解らないものの存在を我々は直感的に感じとることができます。しかしながら、それを捉えるのもまた感性の所産なのであって・・・・・・・・・・

私は、自らの知能にコンプレックスがあります。最早、長年の(凡庸な)悩みと言っていいでしょう。
とりわけ記憶力と合理性に関しては、昔からとても苦手意識があります。
しかし、それでも自分なりに成長するということは楽しいものです。それは得てして喜びをも齎します。
ですから、少しでも「頭の良さ」を鍛えて「頭の善い」人間になりたいと思うのです。


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