見出し画像

生きる〜3.11〜

12年前のこの日皆さんは何をしていただろうか?私は東京に上京してきて間もなく、当時は2丁目で朝まで飲んで帰ってきて眠っていた。しかし目覚めは早く、ボーッとしている最中に起こった揺れ。最初は飲みすぎて感覚がおかしいのだと思ったが次第に強くなっては鬼気迫る状況に思わず近くにあった適当な服を着て外に飛び出した。同じように外に出た人、ざわついている人がちらほらいた中でおさまった時に部屋にまた戻る。特に被害などはなかったが、後にこれが歴史に残る東日本大震災となる。

その前まで飲んでたなんて楽観すぎる、そう思う方もいるかもしれない。しかし、だれがそこで地震が起きるなんて想像ができただろうか。当たり前の毎日にいつも通りの生活を過ごしていた人もいたのかもしれない。しかし、現実は大きな被害を残していった。

当時はコンビニでバイトしていたため、その余波はすぐに身近に感じた。いつもは廃棄で残るパンもお水もスッカラカン。納品もあまりない状態だった。東京にきたばかりで訪れた天災。当時は姉も私も東京でそれぞれ1人暮らしをする予定で来ていたのだが様々な憶測や予測できない未来に姉は借りてた家を1週間で引き払い実家へと戻っていった。

震源地である県の方々の被害や悲痛な思いは計り知れない。だから不用意な言葉も私の語彙力などでは上手く書き表せないがそれでも生きることには意味がある。なにがあっても命があるのなら。誰かの分まで生きるなんて大層な事は言えないけれど、犠牲になった人々に黙祷を捧げつつも前を向かないといけない。

ここ最近私は命の重みと突然来る別れについて考える機会が増えた。というのも過去に父親が自死したときも予想だにしない出来事であったしそこから自ら命は絶たないと決めて生きてきた。そして今私はトランスジェンダーとして生活している。近い未来には性転換も考えているが、当然のごとくリスクもある。現に今年に入って亡くなった方もいるのが現状なのだ。だからこそ、当たり前を当たり前と思ってはいけないし過去の出来事を風化させてもいけないと思っている。今日という日を振り返る時に様々な思いを抱える方もいるだろう。でも大事なのは忘れないことだと私は思うから。毎年バナーやYahooの検索ワードで募金させていただいているが、そんな1つの行動でさえ忘れないことへの1つだと思う。
偽善者でもいい。何もやらないよりかはやる偽善者のほうが私は好感がもてる。

毎年この日になると様々なことを思い出す。まだ青かった20歳、そこから12年だった今私はなにか成長できたのだろうか。大人になれただろうか。人を思いやり優しくなれただろうか。そんなことを考えながら自分の人生とも向かい合う。自分で決めた道に後悔はしたくないからこそ性転換を私は1つの区切りとしている。絶対なんてこの世にはない。だからこそ、今ある時間に大切な人にできることがあるのではないだろうか?後悔先に立たず。命は有限ではない。様々な想いに触れて今を生きていきたい。

亡くなった方々へのご冥福を祈りつつ、被害にあった県や皆さんの心が少しでも前を向けることを祈ってます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?