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ながさご大介
2021年2月1日 10:25
中島みゆきの『時刻表』を聞くたびに思い出すのは、電車の時刻表ではなくて、なぜかフェリーの時刻表である。それはたぶん「今夜中に行って来れる海はどこだろう」と歌っているせいなのだけれど、海に行くからといってフェリーに乗る必要なんてふつうはない。みゆきが歌っている時刻表は、海にいける電車の時刻表なのは明らかである。それを、なんとなく大阪南港から出発する四国行のフェリーに重ね合わせてしまったのは、
2021年2月8日 10:38
幼稚園にひとりで通っていた記憶がある。家の向いにあったというような話ではなく、電車で15分、バスに乗り換えて20分の、5-6歳の子供に通わせるにはちょっと遠いと思える場所に幼稚園はあった。でも、間違いなくひとりで通っていた。ひとりで満員電車に乗っていた記憶があるし、母もそうだと言っていた。自分でやっていたのだから、もちろん可能であるのだが、にわかには信じ難いという気がする。というのは、わたしの
2021年2月15日 11:43
わたしの幼稚園をみつけてきたのは、母ではなく、意外なことに父であった。今回、母に聞いて初めて知った。父の知り合いがその幼稚園を付属とする高校にいたのだという。なるほど、父はそのころ、大学に残れずに付属高校で英語か化学(あるいは両方)を教えていたので、他の高校に知り合いがいてもおかしくない、と話を聞いたとき、わたしは思った。母がわたしの進学の話をしたときに、それなら、ということになったのではない
2021年2月22日 09:32
生まれて初めて乗ったフェリーは、イギリスのドーバーからフランスのカレーに渡る便だったと思う。途中でカンタベリー寺院に寄り、そこからバスでドーバーの町に行き着く予定だったが、うろうろしているうちに目の前にいたバスが発車してしまい、途方に暮れているときに、親切なカンタベリーの駅員さんに助けられて、ドーバーまで彼の車に乗せてもらったのだった。20代だった1980年代はじめの頃で、まだそれほどヨーロッパに