知っている人がコッソリ実践している⁉自分の弱さととことん向き合う3つのポイント
自分自身をちゃんと把握すること
よく、大局観っていうことを言われると思うんですけど、9割の人が自分自身のことをちゃんと把握しておらず、才能が開花することがないのが現状です。
自分自身をちゃんと把握することってすごく重要なんですね。
ストーリー性のある話があって、その目標から逆算して日々努力をする人って、本当に絶滅危惧種ぐらい貴重な存在です。
大谷選手のマンダラーチャートについてはすごく有名です。
元サッカーの日本代表の中村俊輔さんのノートについても有名です。
理想とするステージにいくためにはどうしたらいいのかというのかを考えて、逆算して考えると同時に、大局観で冷静に分析をすることができると、自分のことなのにもかかわらず、他人事のように見えてくる。
いいたいことも言えない時代になってしまって、腹を割って話をすることが無くなってきた。
全く知らない人に話をしたら、説教をされたり、自慢話をされたり、武勇伝を話されたりしてしまったりする。
友達や知人に話をすると、情報がまわりまわって、尾ひれ、背びれがついてしまう可能性がある。
雑談をすることの大切さ
相談をするなら、利害関係がない人に相談するのが一番いい。
ちゃんと向き合って話をするとすごく楽しく、いろいろなことに気づいていく。
雑談をするときって、同じ空気、同じ時間、同じ目的があるとは限らず、どんな話が出てくるかわからない状況から始まるので、すごく新鮮である。
予定調和の通りにいかないこともあるし、いいたいことが言えるからすっきりすることもあるし、新しい考えやものの見方に気づくことがあるんです。
自分が楽しむことが一番です。
アスリートのインタビューでも、「次の試合を思いっきり楽しみたいです!」ということが多くなってきた。
楽しむことで心に余裕が生まれてくるから、冷静に最善手と最悪手が見えてくる。
冷静に判断をすることができるようになるから不思議なんだなぁ~。
雑談をしてみると、その人が大切にしているものや個性がわかってきて、一人ひとり違うものになっていく。
人生相談、キャリア相談、お悩み相談などといろいろな〇〇相談だけど、ハードルが高いし、そのこと以外を話しちゃいけないのかなって警戒心がうまれてしまう。
雑談ということにするとハードルが下がるのはもちろんですが、何を話してもいいというので心理的安全性を確保している。
言語化して人に伝えると…
モヤモヤしていることを脳内でぐるぐるさせて、もがいたとしても、市場価値、商品価値、感情価値というものは、未上場の株券と一緒である。
1株50円として扱われることが多く、この価値については自分自身の中での価値となり常にストップ高である。
それが、言語化してみると初めて他人の評価を通して、市場価値、商品価値、感情価値がつくことになる。
自分の中での最高傑作と思っていたことが、他人から見ると価値がなかったりすることもあれば、自分が想像していた以上に価値があることもある。
他人に話をしてみないとわからないことである。
雑談を通して脳内に風を吹き込むことによって、新しい発見がある。
脳内にあるものをいろいろと出してみて、散らかすことによって、こんなことを考えていたんだとか、こういう見方もできるんだという発見で新しい視点を手に入れることができる。
ジャッジをするのは自分自身なので、散らかしたものの中から自分で判断をすることになる。
他人にジャッジをされてしまうと、他人の責任にすることができるのはもちろんだけど、思考が停止してしまうことになる。
思考停止というのが一番まずいことになる。
自分で判断をしていれば、その時の判断材料であったり、判断した時の感情がそこにはあるけど、他人に判断を委ねてしまうとこれがない。
次に同じような場面に出くわしたときに、ジャッジをすることができずに同じ失敗を繰り返すことになってしまう。
ひとりで考えると、正しい方向で正しい努力をしているのか、間違った方向で間違った努力をしているのかは全くわからない。
へたをしたら、堂々巡りをしていることにも気づかないことがある。
雑談でジャッジをする人や定型文型の考えの人は必要ない。
ジャッジをしたがるのは、あなたの親、兄弟、姉妹の身内、知り合い、半径5メートルの人が多いのが特徴。
あなたのためにいっているのよ!といいながら、価値観を押し付けてくる人は特に注意が必要である。
あなたのためににいっているのよ!といいながら、思考を停止させるだけではなく、決定権まで奪おうとしているから。
思考停止に追い込まれて、決定権まで持たれてしまうと、自分自身で何も決められない。
一番いいのは、いろいろと言語化をしてみて、考えを散らかした後に、整理をしながら、思考することができれば、自分自身でジャッジをすることができる。
いいたいことも言えない時代
いいたいことも言えない、腹を割って話せない、安心して話をする場所が今の時代にはなくなってしまった。
人間関係が希薄になってきているのはもちろんだけど、スマホによってコミュニケーションの場まで、スマホの中に入ってしまったからである。
対面によるコミュニケーションが主流だった時代は、至る所で活発なコミュニケーションがおこなわれていた。
井戸端会議であったり、飲みニュケーションというものがあり、これは昔から続く長老の話を聞くことに近いコミュニケーションだった。
それがテクノロジーの発展によって、言葉によるコミュニケーションから文字によるコミュニケーションに変化をしていった。
文字にすることによって熱量が全く伝わらず、文脈を理解するだけでなく、バックボーンにまで考えたうえで、読解しないと間違ったコミュニケーションになってしまう。
会話が上手な人でも自分の引き出しの中身をドンドン出してくる人は、会話の主導権を握るだけでなく、雑談をしている相手としては嫌われてしまう。
言葉のラリーはあるけど聞いてもらった、話をしたという充実感や満足感がない。
コミュニケーションは不足せず、多すぎない会話のラリーが必要ということにきづいていない。
雑談がやっぱり必要な理由
自分に主導権があって、選択肢があると選べるようになっていく。
どういう働き方をするのか?転職するのか?独立をするのか?と考えがちですが、あなたの才能を伸ばすためにはどうしたらいいのか?誰と何をするのかということも重要。
1つしかなかった選択肢も、時間が経つにつれて、経験を積むにつれて選択肢が少しずつ増やせるようになってきた。
場所を変えることによって選択肢が増える場合もあった。
より良いところに変えることや環境を変えるしか方法はない。
住む場所、仲間、働く場所を変えることによって新しい風が入り込み、状況が好転していくことが多い。
やりたいことを仕事にしているけど、稼げる、稼げないは関係ない。
自分がやりたいことをやっていると胸を張って言えることで、幸福度が高い人もいる。
そこにいたらいけない、危険だということがわかっているのに、そこの場所が居心地がよく、手放すことができないから沼にはまってしまう人も多い。
すべては自分自身の判断で決めていくことを忘れてはいけない。
あきらめの呪いに対して許可を出せるかどうかが、変われるポイント。
〇〇相談をやっていますというとかっこよく見えるけど、本気で向き合って、本気で寄り添って、才能を言語化させることってすごく難しい。
すっごいわかる~って共感することも必要だし、ズバッといってしまったら思考停止になってしまうから気をつけないといけない。
ズバッといった方が気持ちはいいけど、その人が考えることをやめさせてしまうことになる。
アドバイスといいながら価値観の押し付けになっていることに気づいていない人が〇〇相談という看板を掲げているから厄介に感じている人もいるだろう。
コピーをつくるわけでもないし、育ってきた環境も違うし、大切にしているものも違うわけですから、成功体験からのアドバイスというのはすごく危険である。
だからあえて〇〇相談というより雑談という表現がしっくりくるのかも知れない。
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