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東野圭吾 『変身』 講談社 1994
世界初の脳移植手術を受けた平凡な男を待ちうけていた過酷な運命の悪戯!
脳移植を受けた男の自己崩壊の悲劇。
平凡な青年・成瀬純一をある日突然、不慮の事故が襲った。そして彼の頭に世界初の脳移植手術が行われた。それまで画家を夢見て、優しい恋人を愛していた純一は、手術後徐々に性格が変わっていくのを、自分ではどうしょうもない。自己崩壊の恐怖に駆られた純一は自分に移植された悩の持主(ドナー)の正体を突き止める。
SF、ミステリー、人間ドラマ、おもしろい要素が多く詰まった作品だった。
他人の脳が入った自分の体。果たしてそれは自分と呼べるのか。
ヒトの意識の全てが脳機能で決定されていると断言できるのなら、それはもはや自分の皮を着た他人だ。
自分って何だろう。自分を自分と特徴付けうる確固たるものって何だろう。考えさせられた。
科学の発展に伴い、新たな事に挑戦するにしても、現実可能性云々の前に、倫理的な問題でつまずくことも出てきた。
知的探究心と生きる事への執着は、人間として動物としての本質。どこまでいっても止まらないものだと思う。
科学を扱うものとして、倫理の重要性を考えずにはいられなかった。
人が想像できることは、必ず人が実現できる
(SF作家 ジュール・ヴェルヌ)
近い未来に脳移植もあり得るかもしれない。もしくは既に秘密裏に…
小気味悪さはあるが、とても興味深く面白い作品でした。
生きているというのは、単に呼吸しているとか、心臓が動いているとかってことじゃない。脳波が出ているってことでもない。
それは足跡を残すってことなんだ。後ろにある足跡を見て、たしかに自分がつけたものだとわかるのが、生きているということなんだ。
(作中より抜粋)
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