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響かせよう大地に歌声を

秋を迎え、朝晩は涼しい風が吹き、空にはトンボが飛んで、蝉の鳴き声がだんだん落ち着いてきて、秋を感じます。一週間前の暑さよりも暑さが和らぎ、お盆を迎えると一気に秋が近づいてきたよう。なぜか、夏の終わりはもの悲しく、「来年も変わらず、夏を迎えたいな。」と哀愁が漂います。

夏の盛りを迎え、木々たちの生命も最高潮に達し、青々とし艶々な輝きをしている。そんな中、旬を終えたアジサイの剪定をしました。この太陽が照り付ける中、肌がジリジリと焼けるのを感じながら、アジサイやそのまわりにあるシダを抜いたり、のびにのびている木の枝を切ったりして、お庭のお手入れ。切ったり、抜いたりしたところはぽっかりと大きな空間ができて、そこだけ見えない空気の穴があるように感じて、「切り過ぎたかな~」ってふと、感じていました。翌日、ぽっかりと空いた空間を見るとなんと、ちょうどいい具合になじんでいる!「目の錯覚?植わっているその木、一晩で空いた空間埋めるために右側にズレました??枝たち、一晩でぐ~~んって伸びました?」って感じるほど、大きく空いた空間がとじてる(。´・ω・)?
切った時は人が切りました~ってわかるほど、人工的に空いた空間が閉じていい具合にそれぞれの木や花たちの間合いが取れていて、「なんじゃこれ~!!」って驚く人間のわたし。自然にとってはいい具合に整えることは魔法や手品でもなく、営みの流れの中にある。私たち哺乳類である人はいい具合にするために計画したり、段取りをして、作戦練って・・・。と迷ったり、悩んだやり、壁にぶち当たったりして、遠い遠い人生の道のりを歩いてる。ってことは「哺乳類である人間はいい具合になると思ってしていることが複雑にして遠回りなことをしているのでは?人も自然界のだたの哺乳類に過ぎない。でも、人間はこんなにも苦しんでしんどい思いをしているよ。人間もスムーズに生きることができるはず。」自然はいい具合を保っている。誰も教えていない。マニュアルもない。売上げや年間の赤字など数字もない。世界の状況もわからないし、明日の天気もわからない。でも、生物は毎年、同じような時期に産卵して、子孫を残す。人の手が入らない限り、子孫は残り、生き残る数も毎年大幅に変わっていない。草木も受粉をして花を咲かして、実がなり、種を落とす。増えないように食するもの食されるものがいて、生物と植物が調和していい具合になっている。食するもの食されるものはその時々で立場が入れ替わって成り立っている。
人は感情と思考がある生き物なので、食うか食われるかの本能を深化させて、いい具合に保ちながら、歓びを感じながら生きることができる。
歓びを感じるために一生懸命、頑張って我慢して朝早く起きて、遅くまで働いていた。生活の為、自分の為、家族の為、家の為に。でもね。こころから歓びを感じることはなかった。何かに追われてそんな余裕がない!ってことに仕事を失ってから気づいて、「え?何のために頑張っていたんだろう?」しんどい人間関係にこころを押し込めて、窮屈になりながら納得しないこと理不尽なことを飲み込みながら仕事して、くたくたになって帰ってきて、とりあえず、ご飯食べて、寝て、朝を迎えて、また仕事。休日に楽しいなって感じてもどこかこころから歓んでいない。歓びを手に入れる為に仕事していたと思っていた。仕事がない今が断然、楽しくて、歓びを感じられる。「今日は何をする?何がしたい?」って何かのために頑張っていない自分の今が歓ぶことに集中して、歓ぶために時間を使うことができる。「幸せを手に入れるためのお金で自分が苦しんでたんだな~。」って気づくことができた。

人も自然の中に身を置くと、自然が認めてくれるような気がすというより、人が自然に寄り添っていくのだと思う。人が出しているオーラや雰囲気が自然の流れに溶け合うような感覚。人という一つの音があって、音と音が重なっていつしか協奏曲になっていくような感じ。
素直に自分の音を出す。今、感じたことは自分の中から出てくる自分だけの音。その音に善悪はない。行動に移す時は自分が心地よいことだけを行動に移す。湧き上がってくる感情の中で嫌いなことしたくないことしてもしんどいだけで無理にすることもない。わきあがってきた感情に善悪はないけれど、それを行動に移すのは心地よいものだけを自分で選ぶ。
心地よい音は心地よい和音を奏でる。この地球上に何十億という人が居て、自分の音と響き合う音がある。和音を響かせると地球にある森羅万象がその和音に共鳴を起こして、さらに和音が重なっていく。
今、この瞬間にできることは心地よいこと・楽しいこと・わくわくすることをする。私たちは五分後に生きている保証はない。半年後の未来はどうなっているかわからない。どうなっているかわからない未来にやりたいことを残すより、確実に生きてる〝今、この瞬間〟に自分がわくわくすることをする。また、生きていたらその時わくわくすることをする。その〝今〟の積み重ねが一日を作り、明日を作る。大きなことではなく、自分が〝今〟できること。例えば、寝る前、お風呂入っている時など一日を振り返って、「あっ!これ楽しかった。」「この一言が嬉しかった。」「バス待たずに来た。ラッキー!」「これ、特にゲット!ついてる~!俺!」今日はよい日だったな~。って心地よく感じて眠りにつく。そして、朝目を覚ますだけでも違ってくる。「今日はどんな楽しいことあるかな?」って、たのしいこと探しゲーム感覚で過ごしていくと自分だけの歓びが見つかり、どんどんと歓びが広がっていく。
一人ひとりの歓びの音が世界の歓びの響きになる。
愛や幸せや光などことばの根底にあるのは自分の中にある〝歓び〟
〝歓び〟があって、湧き出て、希望となり、幸せとなり、愛になる。
自分自身が歓びに満ちているだけで周りも幸せになって、希望となる。

今日から歓びを感じて、みんなで地球を愛に星に。
この美しい地球を七世代先に遺すために。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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