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カナダ留学|すずめの戸締まり,死の恐怖

新海誠さんの「すずめの戸締まり」、先日カナダでもようやく公開になったので観に行ってきた!

バンクーバーにはチャイナタウンがあって、その入り口にアジア系の映画をよく上映してる映画館がある。
少し寂れた、がらんとした大きなショッピングモールの最上階。
途中の階には、すっからかんのガラス張りの部屋や、おっちゃんが1人スマホを眺めながら店番してるジュエリーショップ。

ひと昔前はここも人で溢れて賑やかだったのかな。
今ではチャイナタウン周辺は治安の悪い場所っていうイメージが強くて、そこに遊びに行こう!とはあまりならない。
横浜の中華街と何がこの差を生むのか…。

じゃなくて、今回は映画の話。この先ネタバレ注意!
なるべく何も知らない状態で観たかったから、あらすじもレビューも見ないでこの数ヶ月間耐えに耐えた。
おかげで、動く椅子も謎な巨大ミミズも、全くの予想外で大変興味深かったです。
そうくるかっ!みたいな。

思っていたよりファンタジー要素が多かった。
田舎出身の子が家出みたいな形で東京に来るパターンは、既視感? 
君の名は。ですかな。

新海誠の映画が描く東京が好き。
自分は東京で育ったので、東京の色が本当によく描写されてるなぁと思う。
駅に人がザワザワ歩いてる感じや、ファミマに入った瞬間の空気の変化。ビルが立ち並び、地面がほぼコンクリートで土が見当たらない感じ。
懐かしくなる。

でも、自然豊かな町から都会に出てくる主人公に感情移入してると、
「東京って、なんて生きづらい場所なんだっ!息苦しい」
って思ってしまう。

どっちが本当の自分の気持ちかしら〜


この映画絶対泣くよ!と友達に言われたので、ドリンクエリアに置いてあったガサガサの茶色いティッシュを一枚握りしめて、映画館に入った。

そしたらまぁ… 
映画の内容に泣けた、というよりかは、
沢山他のことに重ね合わせて涙が出てきた。

死にたくない、死ぬのは怖い、という叫び。
そうたさんが可哀想、じゃなくて、小さかった頃「死」というコンセプトを知って夜中じゅう怯えてた自分がそう叫んでる気持ちになった。
小さかった頃だけじゃない、今も。

人が死んでも虫が死んでも、次の日が普通に来るのが怖い。
大震災で1万5千人以上がこの世を離れたわけで、そんなにたくさんの命が一瞬にして去ってしまったのに、今も普通に日常が続いてる。彼らが残すはずだったインパクトは沢山あったはず。それらがなくてもなんら変わりない様子が、自分が死んでも、誰が死んでも、世界はびくともしないんだなと思わせる。
その言葉の裏返しで、自分の存在があっても世界は別に何も変わらないんだなと思う。
なんて無力…。

なんて、考えてたら涙が出てきた。

新海誠は映画を通して何を伝えたかったのか。
「3.11でたくさんの人の命が奪われた」、これはあまりに明らかなメッセージ。
「その奪われた命たちにも心があって、死ぬのは怖いと叫んでいた。彼らは数字ではなくて、本当に生きた人。」、真意を得ているかは別として、これは、私の中で犠牲者という言葉に現実味をつけてくれた。
震災だけじゃなく、今起こっている戦争や殺人事件で、●人死亡というテロップのその裏には、本当に自分のようにいろんな思いや感情を持った人の死があるんだ、と。


「猛た波が喰らふは千の意思と万の生きし」
「御霊と一片の祈り八百万掬い給えと その裂けた命乞ふ声さへも 海に響く鼓膜なく」
「今も何処かの海で 絶へず木霊し続けるのだろう」

GASSHOWの歌詞にあるこの言葉、その意味を感じた映画でした。


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