カムル

元・理学療法士のカムルです。退職後も人の運動変化に興味を持っています。世間では脳をコン…

カムル

元・理学療法士のカムルです。退職後も人の運動変化に興味を持っています。世間では脳をコンピュータにたとえて、「脳が運動を変化させる」と説明されますが、多くの疑問があります。何とか腑に落ちる説明をしたい(^^;)

最近の記事

人の運動システムの作動の特徴(その1)

 学校では人の運動システムは皮膚に囲まれた身体そのものであると習います。そして解剖学や生理学、運動学などを通して「体がなぜ動くのか?どう動いていくか?」ということを習います。つまり設計図を基にロボットが動くように、人体の設計図を通してどのように動くかを習うわけです。  ベテランの機械の設計家は、設計図を見ただけでその機械がどのように作動するかがわかるそうです。でもベテランの医師やリハビリテーションのセラピストにとって、人の体が状況変化に応じてどのような運動を生み出すかはまだ

    • 「正しさ幻想」はどうして生まれるのか?(その4:最終回)

       前回までで、「正しさ幻想」は脳の機能に関する思い込み「脳はコンピュータである」と学校で習う要素還元論の視点から生まれる「悪いところを探して治し、元に戻す(健康な頃の正しい運動状態に戻す)」という治療方針の双方の影響を受けているのではないか、というアイデアについて説明した。  そしてリハビリの現場ではこの「正しさ幻想」が様々な場面で問題を起こすこともある。  一番の問題は、「障害を改善するためには、運動のやり方や形の違いを指導して修正することだ」という思い込みだ。  たとえば

      • 「正しさ幻想」はどうして生まれるのか?(その3)

         前回、「正しさ幻想」を生み出す一つの要因として「脳の機能に関する思い込み」を挙げた。「他人が他動的に動かした手脚の運動感覚を脳が学習する」と思い込んでいるわけだ。  これはまさしく人の脳をコンピュータとして理解しているからだろう。コンピュータは人がプログラムを入れない限り自律的には何の働きもしない。だから人がプログラムを入力しないといけない。  このコンピュータの様な機械に対する思い込みが、人にもそのまま反映されているのだろうと思う。  実際には西欧文明の根底にはデカルト以

        • 「正しさ幻想」はどうして生まれるのか?(その2)

          「正しさ幻想」はどうして生まれるのか?(その2)  前回はいつのまにか「正しさ幻想」にとらわれてしまうセラピストがいることを述べた。  「正しさ幻想」とは「運動には正しいやり方や形がある。それは健常者のやり方、形であって脳性運動障害者は、これを学習するべきだ」という考えである。  どうしてこれが幻想かというと、このアイデアが実現されて麻痺が治って、元通り健常の動きに戻ったなどという科学論文は未だに発表されていない。つまり魅力的なアイデアだが、実現不可能な目標でもある。  では

        人の運動システムの作動の特徴(その1)

          「正しさ幻想」はどうして生まれるのか?(その1)

           たまにテレビの健康番組などで「今日は、理学療法士さんに正しい歩き方を指導してもらいます」などと聞くことがある。  どうも「正しい歩き方」があるらしい。興味を持ってみていると、理学療法士が「正しい歩き方は胸を張って腕を大きく振り、足は踵から着地するようにしましょう・・・・」などと説明している。  どうやら歩き方というのは、見た目の形のことを言うらしい。  それで僕などは違和感を持つわけだ。「踵から接地するのが正しい形の歩行なら、たとえば歩行する時、足底全体で接地するとき

          「正しさ幻想」はどうして生まれるのか?(その1)

          リハビリのセラピストはプログラム説がお好き?

           脳性運動障害後のリハビリのアイデアとして、失われた脳細胞の機能を他の健全な脳細胞に再学習させて運動機能を改善・回復させようというのがあります。まるでコンピュータのように新しい運動プログラムを再学習させて、運動能力を改善させようとしているわけですね。  このアイデアは確かにリハビリのセラピストにとっては魅力的に映るに違いないです。  医療的リハビリに誇りを持っているセラピストにとってみると「リハビリでは痲痺は治らない」となると「なんだ、リハビリって脳性運動障害ではできるこ

          リハビリのセラピストはプログラム説がお好き?

          人の運動システムの理解の仕方(その11:最終回)-2つの視点

           前回は筋力などの重要な身体リソースが失われても、運動スキルを生み出す能力は失われていないのではないかということについて述べました。  実際に多くの重度の障害者でも、残された身体リソースや新たな環境リソースを用いて課題達成のための独自のやり方を生み出していることを目にします。  頸髄損傷の方が、電動ベッドの背もたれと身体の柔軟性を上手く使って靴下を履く運動スキルを生み出されます。腰髄損傷の方が床から車椅子に乗るための運動スキルを身につけたりされます。前々回の環境リソースの

          人の運動システムの理解の仕方(その11:最終回)-2つの視点

          人の運動システムの理解の仕方(その10)-2つの視点

           人の運動の形が無限に生み出されるのは、豊富な運動リソース(身体リソース、環境リソース、情報リソース)を基に柔軟で創造的な運動スキル(運動リソースを利用して課題達成するためのやり方)が多彩に生み出されるためです。  障害を持つとは身体リソースが減少あるいは失われることです。そのために利用できる環境リソースが貧弱になります。さらに運動の量と質の低下によって情報リソースが貧弱になり、あるいは不適切になって適応的な運動スキルが生み出されなくなるのです。結果、必要な生活課題達成力が

          人の運動システムの理解の仕方(その10)-2つの視点

          人の運動システムの理解の仕方(その8)-2つの視点

           健常な人に見られる「状況性」は、状況変化に適応的に運動変化するための作動です。そしてこれは「豊富な運動リソースと柔軟で創造的な運動スキル」という仕組みによって支えられていると説明しました。  逆に障がいを持つと言うことは、切断や麻痺、痛みなどによって身体リソースが減少することによって、利用できる環境リソースが減り、運動の多様性と量の減少によって情報リソースが貧弱になったり不適切になったりしてしまいます。その結果、適切な運動スキルが失われ、必要な生活課題達成が困難・不能になる

          人の運動システムの理解の仕方(その8)-2つの視点

          人の運動システムの理解の仕方(その9)-2つの視点

           今回は情報リソースとその改善の方法について説明します。  人が千変万化する状況の中で、適応的に運動変化を起こしていくには、無限に変化を生み出す運動能力と予知的で適切な情報リソースが欠かせません。  情報リソースは身体リソースと環境リソースが出会う時に生まれる意味や価値に関する予期的な情報です。環境・状況変化を的確につかみ、自分の身体がどのように適応的に振る舞えるかを予期的に知ることは大事です。人は「できる」と思い、やる価値があるならやろうとするからです。また「できない」

          人の運動システムの理解の仕方(その9)-2つの視点

          「システム論の話をしましょう!」の書籍紹介

           1990年頃に始まったアメリカのシステム論のアプローチの代表的なものに課題主導型アプローチがあります。そしてアメリカの大学教授達を中心に、それが従来の要素還元論のアプローチに「取って代わろう」という流れが見られていました。  やはり一神教世界の当たり前なのでしょう、信じるものは1つという感じです。それまで学校で習っていた要素還元論のアプローチの欠点をあげつらって、「それに代わってシステム論が新しい我々の方向性だ!」という熱気がありました。  ちょうどその頃に1年間アメリカに

          「システム論の話をしましょう!」の書籍紹介

          人の運動システムの理解の仕方(その7)

           前回障がいを持つと、身体リソースが低下あるいは失われ、身の回りの環境リソースを利用できなくなり、情報リソースが不適切あるいは失われます。結果、課題達成のための運動リソースの利用の仕方である運動スキルが貧弱あるいは失われます。  結果、様々な必要な生活課題が達成できなくなります。  そうすると、リハビリでまずやるべきことは、「改善可能な身体リソース」はできるだけ改善することです。利用可能な身体リソースが増えることは、達成できる生活課題を増やす可能性を増します。  たとえば簡単

          人の運動システムの理解の仕方(その7)

          人の運動システムの理解の仕方(その6)

           前回、CAMR(カムル)では、人の運動システムの作動の特徴の一つは、「状況性」であると述べました。  「状況性」とは「状況変化に応じて、その状況を理解し、適切で柔軟な運動変化を起こす」作動です。機械には見られない人独特の作動の特徴です。 この特徴を支えるのが人の運動システムの「予期的知覚」と「無限の運動変化を生み出す能力」です。  では今回はこの二つの能力について考えてみます。  CAMRでは、この仕組みは「豊富な運動リソースと柔軟で創造的な運動スキル」によって無限の運動変

          人の運動システムの理解の仕方(その6)

          「脳卒中片麻痺の運動システムにダイブせよ!~CAMR誕生の秘密」の紹介

           思えば昔、僕が脳卒中患者さんを見始めたときには、「どうしたら良いものか」と悩んだものです。  たとえば患者さんが立った時に、麻痺側の下肢が全体に屈曲して持ち上がり、患者さんは良い方の手脚だけで立たれます。これは「屈曲協働運動という現象でありであり、抑制されなければならない」と講習会などで説明されます。そこで自分の手を使って、患者さんの脚を抑えてまっすぐにし、床につけようとするのですが、一向に改善した感じがないのです。「手を使って、脚をまっすぐにして体重を支えるようにする」こ

          「脳卒中片麻痺の運動システムにダイブせよ!~CAMR誕生の秘密」の紹介

          人の運動システムの理解の仕方(その5)-2つの視点

           さて、今回からシステム論の視点について説明します。  学校で習う要素還元論の視点では、「目に見える身体の構造や各部位・組織・器官の役割に焦点を当てて人体の設計図として理解する」と述べました。  一方システム論の視点は、目に見える構造や役割ではなく、システム全体の作動の特徴に焦点を当てます。  分かりやすいようにまた人の運動の作動の特徴をロボットと比べてみましょう。  まずオモチャの歩行ロボットの様子を見てみます。スイッチを入れてテーブルの上に置いてみます。オモチャのロボ

          人の運動システムの理解の仕方(その5)-2つの視点

          「脳卒中あるある!-CAMRの流儀」の紹介です

           この本は、脳卒中の患者さんが質問してくる内容やセラピストが脳卒中患者さんを見たときに「あるある!」と感じる素朴な疑問を中心に展開されます。  たとえば「なぜ麻痺側の手脚は硬くなるの?」、「どうしてまっすぐに座れないの?」、「どうして良い方の脚が出ないの?」、「分回し歩行は治さないといけないの?」といったことです。  これらの疑問に対して、この本ではできるだけ二つの立場から答えます。一つは伝統的に学校で習う「要素還元論の立場」です。もう一つは現在の日本の学校では教えられていな

          「脳卒中あるある!-CAMRの流儀」の紹介です