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人の運動システムの作動の特徴(その4)「状況性」


 前回までで、人の運動システムが、状況変化に応じて適切な運動変化を起こし、たとえば歩行という機能を維持し続ける頑丈さを示すのは、「状況性」という特徴を持っているからと説明しました。
 その「状況性」という特徴を生み出すのは、無限に運動変化を生み出す仕組みを持っているからです。それが豊富な運動リソースと適切な運動認知によってその時、その場で柔軟で適切で多彩な運動スキルを生み出す能力であると説明しました。

 では今回は、この「状況性」の視点から運動障害を考えてみましょう。

 まず運動障害を持つということは、基本となる身体リソースが怪我や麻痺などによって貧弱になることです。筋力や柔軟性、持久力が貧弱になったり失われたりします。あるいは同じ身体リソースでも痛みや異常知覚は「負の身体リソース」と言えます。そうすると痛みのために力を出すことができず、やはり筋力が貧弱になったりするわけです。結果、運動の多彩さと豊富さが失われてしまいます。

 そうなると今度は運動認知が不適切になります。片麻痺直後は身体が大きく変化して、よく見知っていた自分の体が未知の体になってしまいます。元気な時は適切に動いていたので、発作後もいつものように立ち上がろうとして簡単に床に崩れ落ちてしまいます。運動認知が現状の身体リソースの変化についていかないので、環境リソースの重力や床と身体の関係について適切に予期的に知ることができないのです。

 身体リソースが貧弱になり、運動認知が不適切になると環境リソースも適切に利用できなくなります。まず身体の変化をよく知らないと、手すりなども適切に使うことができません。

 また身体リソースが貧弱になることで、それまでに身につけていた運動スキルが使えなくなってしまいます。

 その結果、様々な必要な生活課題の達成力が失われてしまうのです。これがCAMRで考える「運動障害を持つ」と言うことです。

 このように考えると、リハビリでどのようにアプローチするかが明確になります。

 まずは改善可能な身体リソースをできるだけ改善することです。ともかく改善可能な身体リソースをできるだけ改善するのです。

 この時よく言われるのは「学校で習うように、低下した身体リソースを見つけて改善すれば良いのではないか?その方が合理的ではないか?」ということです。一見すると合理的ですが、これは先に述べたように機械を修理するときの合理的な考え方です。

 人の運動システムは、その時、その場で利用可能な運動リソースを見つけては「運動スキルを生み出す、創造する」という能力を持っています。機械のように作動が決まっていれば、セラピストは「元に戻す」ことを考えて、悪い要素を探して改善すれば良いのですが、人ではどんな問題解決方法を生み出すかはセラピストには簡単に想像することができません。

 たとえば筋ジスの子どもたちのあの歩行スキルです。子どもたちは関節や骨、軟部組織の制限を最大限利用して重心を狭い基底面内に保持して歩きます。どんなセラピストもそんな歩き方は想像もしないことです。人は自ら問題解決を図っていくので、その時その場でどんな運動リソースを選択するか、有効かを知ることが他人には難しいのです。セラピストは子どもたちから、そのことを教わっているのです。

 うちの親父は片麻痺でしたが、退院時、家のベッドが低くて立ち上がることができませんでした。僕はベッドを高くするか、手すりをつけた方が良いと言ったのですが、親父はその場でT-caneの杖の先を持ち、持ち手を重い家具の脚に引っかけて「よいしょっ!」と引っ張って立ち上がって見せました。親父はT字杖にそんな価値を見いだしたわけです。僕は「ああ、こんな方法があったのか!こんなことを思いつくのか!」と驚いたものです。

 ある人の運動システムが何に価値を見出すかはわからないし、本当に独創的な問題解決の運動スキルを生み出します。ともかく利用可能な身体リソースはできるだけ改善して広く備えておくほうが賢明なのです。

 次回は改善可能な身体リソースや環境リソースを豊富にしていくことについてもう少し説明します。(その5に続く)

※毎週火曜日にはCAMRのフェースブックページに別のエッセイを投稿しています。

 最新作は「運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す

(その4)-生活課題達成力の改善について」

 以下のURLから

 https://www.facebook.com/Contextualapproach

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