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自律的問題解決とは?(その1)

 腓骨神経麻痺になると鶏歩という歩行が現れる。下垂足になるので、歩行時につま先が床に引っかかって転倒しないように膝を高く挙げる。これが鶏(にわとり)の歩き方に似ているのでこう名付けられている。

 運動学の本などを見ると、これは「異常歩行」(歩容が異常である)とされている。

 しかし単に「歩容が異常である」と評価されるのを見るとガッカリする。下垂足によってつま先が床に引っかからないように人の運動システムはなんとか「転げないように問題解決を図っている」のに、ただ単に「異常だ」と言われるのは情けない。

 同様に「代償運動」という言葉も「悪いもの」と非難されている感じがする。日本語では「穴埋め」とか「償い」といったマイナスのイメージがあるからだ。

 僕の気持ちとしては、障害があるのに頑張っている運動システムを「異常とか代償」とかではなく、むしろ労(ねぎら)ってあげたい。「よく頑張って工夫して歩き続けてくれてるよね、偉いよ!」という感じである。

 鶏歩以外にも片麻痺患者さんの分回し歩行なども「異常」だとか「代償」だとか非難されている。麻痺した股関節の屈曲筋群が働かないので麻痺側下肢は動かない。だから全身を使って麻痺側下肢を振り出す工夫と努力をしてくれているので、なんとか歩けるのである。これも運動システムを労ってあげたい。

 どうしてこんな「異常」とか「代償」といった名前をつけているのかを考えてみると、どうも健常であるマジョリティーの立場の「上から目線」で、障害のあるマイノリティーの人達に「それは私たちのやり方ではないよ」と言っているような感じがして、なんとも嫌な感じである。

 実際「異常歩行」とか「代償運動」と名付けられてしまうと、それだけで「異常歩行や代償運動は悪いものなので、なんとか治してあげなければならない」などと思い込むセラピストが多い。

 中には分回し歩行や鶏歩をしている患者さんに向かって、「それは悪い歩き方だから、良くないのでやめた方が良いです。それを長期間続けていると身体に過度な負担がかかり、痛みや新たな問題を引き起こすことがあります。それにそんな歩き方が続くと、正常な動作を取り戻すことが難しくなります。だから治していきましょう」などと説明する。

 そうなると患者さんの方も「こんな歩き方をしていてはダメなんだ!一刻も早く治してもらわなければ!」と不安を抱えたまま生活することになる。

 そうは言っても、分回し歩行の原因は脳の障害による片麻痺、鶏歩の原因は腓骨神経麻痺である。

 しかしながら脳性運動障害の患者さんの麻痺がリハビリで治ったという話は聞いたことがない。「治癒した」という科学的論文の存在も聞いたことがない。だからリハビリでそれらの麻痺を治すということはできないようだ。

 ということは「その歩き方は悪いから治さないといけない」けど、「解決法はないんだよね」と言っていることになる。これまた患者さんやセラピスト自身をジレンマに追い込んでしまう原因となる。

 「異常歩行」とか「代償運動」とか名付けてしまっているので「分回し歩行」や「鶏歩」が「存在していること自体が問題」のようになってしまっているのである。

 でもそれによって歩けるようにもなっているわけだし、むしろこのことが大事ではないか。

 また分回し歩行や鶏歩のパフォーマンスや安全性、エネルギー消費の効率化をリハビリで改善することは可能である。だからそれを目標にリハビリをすれば良いのだ。

 まあ、以上のことからCAMRでは「異常歩行」とか「代償運動」という言葉は使わない。これらの歩行は「自律的問題解決」という人の運動システムの作動の特徴から生まれた「障害に対応して課題達成のために創造された歩行や運動である」と表現することにしている。

 こうすれば患者さんもセラピストも素直にそれらの歩行を受け入れることができるし、「人の運動システムってすごいね。機械の運動システムは壊れたらそれっきりだけど、人の運動システムは何か問題が起きてもなんとか別のやり方を生み出して課題達成しようとするんだ!」と感動し、感謝できるのである。

 今回のシリーズは、この「自律的問題解決」という作動の特徴について述べていきたい。(その2に続く)

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