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精神の病と闘った1年間①受験勉強と体の不調のはじまり

はじめに

 あれから4年がたった。本当に自分は死ぬべき人間だと思っていた時期がある。そして、今のところ、この期間が人生で最もつらい時期だった。

 正直、こうしてnoteにまとめるにはとてつもないエネルギーを要する。でも、4年たった今、この出来事に対するダメージはそれほど大きなものではなくなった。自分の備忘録もかねて、そして、今つらい思いをしている方の手助けになればと思い、数回に分けて記す。

受験勉強

 高校3年生のときのことだ。当時の私は受験勉強の真っ最中だった。将来は立派な社会科の先生になろうと決め、その夢に一番近い国立大学を目指した。

 高校の授業終了後は学校の自習室に18時ごろまでこもり、その後は塾に直行した。塾では単語帳を見ながら軽食を取り、それから22時まで講座を受けたり自習をしたりした。帰宅後は習ったことの復習や暗記に充て、毎晩夜遅くに就寝した。その他、風呂や食事、トイレなども勉強に充て、毎日少なくとも12時間以上は勉強に費やした。この成果もあってか、幸運にも秋ごろには滑り止めが合格しており、目指していた第一志望校に向けて突っ走るのみとなっていた。

 ところが、センター試験(共通試験)の年が明けてもなお、いくら勉強しても模試の点数は思うように伸びず、何度も解いた過去問では、また同じミスを繰り返す。このころから、自分の中に少しずつ「やばい」と焦る感覚を覚え始めていた。

 さらに、周囲には進路を決めている人ばかりでバイトをして過ごしたり、卒業までの予定を立てたりする人がいた。ま頭のいい人たちは、変わらず順調に合格までの歩みを進めている。そんな環境下、私の精神状態は、少しずつ不安定なものになっていった

 それでも、春に笑うのは自分であることを信じ、受験までの2か月を最後まで頑張り続けた。毎日塾が閉まるギリギリの時間まで学習を続けたのだった。

異変

 センター試験(大学共通入試)から2週間後、塾の自習室でいつも通り勉強していたときのことだ。本番に向けていつも通り過去問を解いていると、なぜか急に涙が流れてきた

 泣きたいと思って泣いたわけではない。だから、この涙の意味を自分でも理解することができない。自分は何に対してつらい思いをしているのだろうか…そう考えているうちに、不思議とさらに涙が流れ落ちてきて、しまいには嗚咽まで発しそうな勢いだった。

 もう、勉強する余裕なんてなかった。自習室ですすり泣く音が響きわたるなんて、たまったもんじゃない。涙と嗚咽を必死でこらえながら他の人に悟られないようにとどまった。幸いにも他の人には気づかれないように、どうにかうまくやり遂げた。

 塾の帰り道では、不思議と涙は流れなかった。ただ、帰宅すると、今度は心臓と腹のあたりがどうも重い。そして、なぜか車酔いをしたように気持ちが悪い。腹の調子が悪いのかもしれないから、薬を飲んで一晩寝たら治るだろう、そう思ってその日を終えた。

 ところが、翌日も、その次の日もよくならない。むしろ、体全体が重くなり、気分もさらに悪くなっていった。そして頭も痛い。それでも、流行っているただの風邪かもしれないと思っており、涙も気のせいだったかもしれないと思っていただけだった。わたしは、少々気に病む部分がありながらも、受験に向けて重い体を動かして塾に通った。

 ただ、塾に通っても、相変わらず涙が止まらない。自分を奮い立たそうとイヤホンで元気が出る音楽を流しながら勉強しても涙が止まらず、いまいちやる気が起きない。気分転換に外の空気を吸ったり、お菓子を買って食べたりしても体の重さや心のつらさは一時的にしか取れなかった。

 何よりつらいのが、本番を控えている自分の勉強意欲が、まったくわかないことだった。勉強が苦でなかった自分が、今になって参考書を開くのがつらくなり、頑張って開いた問題集の内容が頭に入ってこなかった。志望校合格や、社会科教員への思いはこんなちっぽけなものだったのかと自分で自分を残念に思った。

 そして、こんな自分を、「なまけてはいけない、本番までさらに追い込まない」と思い、逃げずに自習室にこもった。しかし、上記の通り勉強は進まない。気づけば、こうした負のループに陥っていた。

 本番の数日前、ついに布団から起き上がれない状況になってしまった。布団の中の自分はすぐに起き上がって勉強しないといけないことはわかっている。でも、節々が痛く、どうも筋肉に力が入らない。金縛りのようなことがそれから続いた。幸いにも両親は、この時点では自室に引きこもる私は受験勉強をしているものだと思って部屋に入ってこなかったため、この状況をうまく隠すことができていた。

 また、このころから頭の中に、ありもしない記憶が再生されるようになった。いつも「○○からいじめを受けていた」「××に刃物で刺されたことがある」「家庭と親せきの大げんかで××さんが…」なんてことを思い出していた(作り出した)。人を傷つける・傷つけられることを嫌う私にとってその負荷はとても大きく、気が付けば、ありもしない妄想をしてはいつも泣いていた。

 そして、この記憶による苦しみを吐き出そうと、無意識のうちに大声で奇声をあげていた。「また嫌なことを思い出してしまった」、「受験勉強から逃げたい」などの気持ちがあったが、嫌な記憶や考えを消し去ることはできないし、受験勉強から逃げることもできない(というか、自分には「逃げる」選択肢が見えていなかった)。そんな負のエネルギーを外に出すための、自分の最終手段だったのかもしれない。

 この異変を自分自身で察知することができずにいた私は、しんどいけど何がどうしんどいかわからないまま苦しみ続けた。人生で初めて心の底から死にたいと思い続けていた。

 両親は、さすがに私の異変を察知した。どうやら我が子はつらい思いをしている、でもどうしてあげたらいいかわからない、こうして家庭には不穏な空気が流れ始め、そのまま時が過ぎで言った。

受験当日

 本番前日まで、親は別に受験しなくてもいいと言ってくれた。

 でも、私は受験地へ向かった。ここで逃げたら、これまでの自分が報われないと考えたのだ。こうして、ろくに勉強できておらず、無意識のうちに涙を流したり奇声を発したりするやつが、受験地へと向かったのである。

 現地では、問題文にではなく、弱く奇妙な自分を隠すことと闘っていた。奇声を発しまいと、懸命に嫌な記憶を自分の中にとどめた。そのため、他の人たちに迷惑をかけることはなかったが、その分、いつもの倍の量の涙が流れた。そして、国語の長文や英作文の条件等、問題はまったく頭に入ってこなかった。

 受験結果は察しの通りである。後期には別のところを受験したが、当然合格はもらうことはできずにいた。こうして私の進路は、事前に滑り止めとして合格していた近場の大学への進学となったのだった。

おわりに
「あの人は有名国立大学に合格でき、塾の表紙を飾った」

「あの子は年末に受験を終え、残りの数か月を楽しそうに過ごしていた」

「自分の受験を応援していた友達の期待を裏切ってしまった」

「親にこれほど高い金を出させてしまったのに受験を失敗してしまった」

など、嫉妬や後悔が入り混じった、強い自己否定感にとらわれた。相変わらず、泣きたくないのに涙が出る。

 このころから「死にたい」と思うようになり、完全な精神崩壊を起こしていたのだった。このつらさは、受験終了後も続き、そして、新たな問題を生み出すのであった。


 私の精神的に苦しかった時期とその克服の経緯について、数回に分けて書いていきます。今、心の病に苦しんでいる人の力になれば幸いです。

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