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誤解スタートの行動はだいたいが罪

夜の22時頃、職場の上司ハルさんに夕食に誘われた。なにやら相談があるらしい。残業を切り上げ二人で食事に行く。

小鉢の美味しい居酒屋でハルさんの言うことにゃ、「私は好きでもない男に『好意を持ってる』と勘違いされることがよくあるんだよね」らしい。

私は、広めの居酒屋のカウンターで、ぴったりと体を密着させながら話すハルさんに対してちょっとドキドキしていたので、そういう自分を深く恥じた。最低だ。

2軒目はハルさん行きつけの、古民家を改築したおしゃれなバーだった。大正時代に建てられた建物は雰囲気がとてもよかった。ハルさんはカクテルを注文した。店員さんが飲み物を持ってくると、ハルさんのカクテルにはストローが2本刺さっていた。一本のストローを半分に切った長さのものだ。

気まずくなりそうだ、と思ったのも束の間、ハルさんが「まぁとりあえず」と言ってそのカクテルを一緒に飲もうと言い出した。

ここで断ると逆にハルさんに気があると勘違いさせてしまう。それは彼女の本意ではないはずだ。私とハルさんは同時にストローに口をつけた。

ハルさん、鼻があたってます。あとこの距離でこっちを見ないでください、ドキドキしてしまいます。それはあなたの本位ではないはずです。そしてこれは受け手によってはセクハラになりますよ。私はあなたの部下なのですから。

2つの異なる罪

飲み終わったあと、「私、好きでもない男に勘違いされちゃうんだよね」という相談の続きが始まった。

でしょうね。一瞬思ったがぐっとこらえた。私はそういう自分を深く恥じた。彼女は悩んでいるのだ。多少セクハラを受けたからといってなんだというのだ。彼女は悩んでいるのだ。

私はハルさんを誤解させる前に撤退すべく早々にバーを切り上げタクシーを探す。彼女は少し酔っているのかお酒で頬を赤らめ私の腕にしがみつき肩に頭を乗せてくる。

ハルさん、悩んでいるところ本当に申し訳ないのですがそれはセクシャルなハラスメントです。それと一応確認ですが、胸部がずっとぎゅっと当たっているのはわざとではないのですよね?

私とハルさんは家が同じ方角だったので同じタクシーを使えばよかった。運賃も浮くし効率的だ。そう思いつつ、いや、でもその気をほんの少しでも出されるのは彼女の本位ではないはずだ。そう言い聞かせ彼女だけをタクシーに乗せた。

「私の家に行こうよ」と繰り返すハルさんを無理矢理タクシーに乗せて帰した。

帰路にて

帰り道、私は「誤解」について深く考えさせられた。

いじめと同じで、される側に原因はない。いじめる人が100%悪いのだ。もしハルさんが好きでもない男に勝手に誤解され、男が行動を起こし、ハルさんが嫌な思いをしたら、それはその男が100%悪いのだ。

けれど今回の場合、誤解の話とはちょっと違い、単に私がハラスメントを受けただけなのでは? 被害といったら大げさだけど、何かを「された」側ではあるのだと思う。

「誤解」自体は罪ではない。人生で一度も誤解をしたことがない人間なんていないだろう。ただ、誤解出発の思考が言動や行動という形で身体化したとき、明文化されていないーー悪いときは法的なーー罪になる場合があるのだ。多分、「行動に移す」前にいったん立ち止まって、とてもセンシティブで慎重な判断が必要なのだろう。

ーー私は今回の「誤解」と「行動」の関連性のさらに奥に、なにかもっと重要なものが潜んでいるのではないかと思い思考を巡らせようとした。

ただ、あの古民家風バーで飲んだたった一杯のカクテルで、私の脳は酔いに酔っていた。ハルさんが頼んだあのカクテルの度数、いったい何度あったんだ。それでもなんだか自分が深いことを考えてられた気になっていた。

けれど一人で乗ったタクシーを降り、冷たい風に当たると、さっきの出来事がなんだか現実離れしていたように感じた。

もしもすべてが私の勝手な解釈だったら? 私が感じたことも、ハルさんの行動も、単なる思い違いだったらどうしよう。被害妄想的だったのかな。この文章が、安易な身体化だったらどうしよう。誤解って怖いな。

モテる男への道はまだ遠い。

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