見出し画像

女の幸せは結婚という謎に苦しんだ。

#私の学び直し

この記事を読むにあたって。

私は独身だ。自称HSS型HSP。33歳になって女一人でインドに25日間滞在した言わば変な女だ。インドへ旅行するというと、みんなこぞってインド人は騙したり、平気で盗む危ない国だという。もちろんそれは否めないが、私が経験したインドは全くちがうものだった。むしろ、愛に溢れた国。インドでいろんな人に出会ったが、1つ気になったのが、結婚に興味がないという男の子たちの声。そして結婚に憧れを抱く女の子たちの声だ。ただ、私が出会ったインド人は極僅かだから、実際のインド人の傾向は不明。【インドの人口は14億2,860万人、日本は1億2,330万人(2023年)。】

この記事では、結婚という言葉に踊らされている人、結婚が本当に女の幸せなのかと疑問をもつ人、幸せがわからなくなった人に向けて書いている。私の感想と独断と偏見が多いが、あなたのあなた自身の幸せが見えてくると思う。

私が大人に言われてきたこと。

御年33歳。実は、私は高校生の頃から結婚しないだろうと思っていた。それは、他人とずっと生活をすることが苦手だからだ。どんなに大好きな母や兄弟であろうと私にはいつだって窮屈だった。なのに、社会に出れば”結婚”の言葉で溢れかえっており、しかも仲睦まじいラブラブな新婚さんをたくさん目にした。私は、このほやほやラブラブ感が年をとっても永く続くとは思えなかった。恋愛をしても、一生を共にしたいと思える人に出会わなかった。え?私が冷めてるって?実は嫉妬しているんじゃないかって?そう、なぜかそう言い返されて、私は本当は結婚したいのかな~?なんて、自分の気持ちさえも分からなくなっていた。33歳になった今でも、次は旦那さんと会いに来てねなんて言われる。それでもやっぱり思う。結婚する気がないという思い。私の性格が曲がっているのだろうか。ただのわがままなのだろうか。私は自己否定に入った。あなたはどう思う?

インド人が思う結婚

インドに行った時に知り合った男の子が、なんと私と同じ33歳だった。その男の子が言った。君は結婚してる?それとも結婚するつもり?私は耳を疑った。初対面でなぜそれを聞くのだインド人。私ははっきり「結婚しない」と答えた。それを聞いたインド人は、「君は面白いね、僕の母は、結婚しろとうるさいんだ。」と言った。まるで昭和の日本のようだと思ってしまった。次に会った男の子は20代前半。その子も、全く同じように私に聞いたんだ。「結婚するつもり?僕は母に結婚しろと言われている。」って。なぜだか窮屈そうだった。知り合う男の子、みんなが私に結婚してる?って聞いてくる。もちろん女一人でいるからか、ラブを求めている人もいたかもしれない。それでもやはり、恋愛をして結婚をしたら本当に幸せになると思っているのかと疑問を持った。

そして、インドの女の子たちに出会った。彼女たちにとっては日本人が珍しいのであろう。彼女たちは「セルフィーセルフィー!」と言って、私との写真をお願いしてきたり、その子の友人や家族ともテレビ電話を繋いで、英語もよくわからないなか一緒にお話した。そしてお別れの時、彼女たちは言った。「私の結婚式のときにまたインドに来てね!」と。美しいサリーを着るのが憧れらしく、インドの結婚式の写真をみせてくれた。まるで、日本人女性がウエディングドレスを着るのが夢だと言っているようだった。美しいドレスを着るのがゴールというわけではないが、なにか男性の存在が薄く感じた。

インドの人口が増える理由

まさかと思うが、インド人の人口が増えている理由は、結婚を推す家族や親せきの影響なのではないかと思う。これが私がインドに行って、独断と偏見で思ったことだ。インド人は家族や親せきとかなり仲が良い。なにせ私の友人のインド人の男の子は、インスタグラムのプロフィール写真を母親とのツーショットにしているほどだ。ただ、彼は親せきの集まりは好きではないと話していた。私が出会ったインド人の話には、親せきの人の話まで出てくることが多かった。そして結婚に憧れをもつ女性たち。結婚に乗り気の男性には出会わなかったが、女性は強い。結婚の話になるのは当然だろう。社会制度が背景にあるとは思うが、私はインドにいってなぜこんなに人口が多いのか納得してしまった。ただしこれは私の独断と偏見。

結婚すれば幸せになるという洗脳。

もちろん最高のパートナーを見つけて本当に幸せになったひともいるだろう。それに、むしろ子どもができ、子どもの成長と共に自分の成長に繋がった人も大勢いるのではないだろうか。結婚は、そうやって人生の学びを得るためのものなんじゃないかと思う。幸せというくくりではないような気がする。日本の女性が雇用されて働くようになったのは明治以降。昔の日本は、女性が社会に出て働くことが難しく、生きていくには男性との結婚が生活の支えになっていた。そして老いたらこどもに面倒をみてもらう。そんなことまで頭のすみに入っている時代だった。年頃になればお見合いの誘いが多かった。けれどこの令和の時代は全く違う。男性の職業とされていた大型トラックの運転手でも普通に女性を見かけるようになった。結婚すれば幸せって、どこか昔の日本の習わしからきているように思う。

幸せはいつも自分でつくる。

あのひとが私を愛してくれたら幸せだ。誰かが~してくれたら。という言葉ほど切ないものはない。せっかくすぐそばにある幸せに気づかないのだから。誰かが自分を幸せにしてくれるだろうという気持ちは幸せとは正反対の気持ちに追いやられる。期待すればするほどに、えがいたものと違うと不幸しか見えなくなる。私が好きなお笑い芸人のみやぞんの言葉で、「自分の機嫌は自分でとる。」という言葉がある。これはSNSでもみかけたことがある人がいるのではないだろうか。もしこの世の中、みんながみんな、自分で自分の機嫌をとることができたら、幸せにあふれるんじゃないかって。

日本の少子化問題。

ごめんなさい。はっきりいって少子化している社会がどのくらい問題なのかはわからない。ただ、少子化だからといって、社会のために結婚して子どもをつくることが果たして本当に社会の幸せに通じるのだろうか。今やLGBTQといわれる多様な性への理解も深まっている。この令和の時代に近づき、多様な性を持った人が増加したと感じる。でももしかしたら、昔からあったものの、隠されてきただけで世に知られていなかっただけかもしれない。それこそ、自分を隠して周りと同調する幸せから、みんなが時代に乗りながら本当の幸せをつかもうとしている気がする。もしかしたら、生命の誕生のしかたにも新たな動きが出てくるんじゃないかと思う。

結婚という重圧の無意味さ。

私は自称HSS型HSP。好奇心があり冒険のようなことをするのに惹かれるが、内心はとてもビビりで大勢の中にいるのも苦手。周りの目や言葉に振り回されやすい。そして私には自己否定がある。グループで行動もとても苦手。それでも興味本位で足を踏み入れてしまう。そんな時にみんなは盛り上がって結婚の話をしていても私は俄然興味がない。話を振られても、私は「結婚しないと思う。」と言うのみ。胸を張って自分の意思を伝えられるほど強くはない。そんな自分を自称HSS型HSPだと言って労わっている。”結婚”という言葉を聞けば聞くほどしんどくなる。なぜなら、相手の意見を否定しなければいけないからだ。自分とは違う思いを持つ人が大勢いる。それでも自分の心が違うと叫んでいたら、主張せざるを得ない。HSPの人は相手の感情に敏感だ。だから、自分の心に正直になるのが不得意で疲れ果ててしまう。私はそんな自分がもう嫌になった。

許す心。

HSS型HSP だからと言って行動範囲や言動を抑えてしまうことがあった。それでは人生もったいない。だから私はこの性質を公にしたくない。でも、自分の中にはちょっと周りと違う部分があるということも理解しておくと、無理をして心を壊すことを防止できると思う。大勢の意見の中の少数派であっても、どんなに繊細な心の持ち主であっても、自分の心と違う方へ向いたら心を壊しかねない。だから、そんな自分をまずは許すこと。結婚してこそ幸せになるんだという人も否定しないこと。インドに旅をして思った。みんな同じインドに行って同じ経験をしても感想がみんな違う。インドで様々な国の人たちにも出会ったが、みんな自分の幸せの在り方を全うしていた。仕事を辞めて旅を謳歌するヨーロッパ人。ヨガに没頭するアメリカ人。日本が大好きだというヨーロッパのパフォーマー。(国名忘れたw) お互いを理解できなくても自分の意見を押し付けすぎずに許しあっていけたら、それぞれの幸せの在り方を全うできるのではないかと思う。

抗わなくていい。こんなことを言っている私も、もしかしたら結婚するかもわからない。人生はわからない。未来のことなどわからない。本当の幸せもわからない。すべてはあなたの心が決める。他人の言葉に振り回されすぎないで。他人の言葉を否定しすぎないで。人に親切にしながら、今をこの一瞬一瞬を大切に生きられたら私は幸せだと思う。


in リシケシュ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?