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【レビュー】「ザリガニの鳴くところ」

初めての読書レビューです。

800万分以上売り上げミリオンセラーとなったディーリア・オーエンズ著友廣純訳「ザリガニの鳴くところ」(2020年, 早川書房)

現代アメリカ文学作品はこれしか読んだことがないのですが、しっかりとアメリカの精神というものが読み取れて非常に興味深かったです。

ノースカロライナ州の湿地で男の死体が発見された。人々は「湿地の少女」に疑いの目を向ける。6歳で家族に見捨てられたときから、カイアはたったひとりで生きなければならなかった。読み書きを教えてくれた少年テイトに恋心を抱くが、彼は大学進学のため彼女を置いて去ってゆく。以来、村の人々に「湿地の少女」と呼ばれ蔑まれながらも、彼女は生き物が自然のままに生きる「ザリガニの鳴くところ」へと思いをはせて静かに暮らしていた。しかしあるとき、村の裕福な青年チェイスが彼女に近づく……みずみずしい自然に抱かれた少女の人生が不審死事件と交錯するとき、物語は予想を超える結末へ──。(Amazon)

超越主義から観察するカイアと自然の関係

超越主義はラルフ・ウォルド・エマーソンが提唱した思想で、自分自身の感覚を自然と一体化させることで、現実世界を超越し、万物の一部として自分を認識する、というものです。

19世紀アメリカンルネサンスという時代に生まれたもので、「アメリカにいるイギリス人」から「アメリカにいるアメリカ人」というアイデンティティを確立させたきっかけの思想です。

カイアの行動にこの思想が読み取れる箇所が至る所にあります。

例えば、カイアの森の生き物を具に観察する態度、そして非常に精密な自然描写は、カイアの感覚を自然と融合しているからこそできることでしょう。

ほんの一例ですが、

 カイアは漂うような足取りで、不変のサイクルを繰り返すオタマジャクシや、夜空を舞うホタルのもとへ引き返した。そうして、もの言わぬ野生の世界へと奥深く潜り込んでいった。流れのなかにあっても揺らがないものは、ただ、自然だけなのかもしれなかった。(p. 297)

アマンダ・ハミルトンの詩を読んだ後、森へ引き返すカイアですが、ここでも自然と融合し、カイア自身が「野生の世界」の一部だとする思考が読み取れます。

”The American Scholar”としてのカイア

エマーソンには”The American Scholar”という著作(たしかハーバード大学で行った講演)があり、アメリカの学者はどうあるべきかについて説いたのですが、カイアの行動とアメリカの学者には共通点があります。

(1)自然を学ぶことで自分の知る

彼の思想では、人間と「自然」*1はもともと1つの根を基につながっています。だから、自然を観察することで自分自身を学ぶことができるそうなのです。簡潔な例でいうと、繁殖するために必死な虫を観察して、人間の命の尊さを学ぶ、ようなことです。

*1 英訳はNatureで、森や生き物などの自然や「本質」という意味などの多義的な言葉です。後者の場合は、日常生活や普遍的なものという意味でエマーソンは使っています。

本文中の至る所で自然を観察するカイアの態度はアメリカの学者のあるべき姿でしょう。

(2)自然に魅力を見出す

アメリカの学者たるものは、完全無欠で初めの終わりもない無限に続いていく「自然」に最も惹きつけられる人であるべき、とエマーソンは言っています。

カイアも無限に続いていく自然(上の引用の不変のサイクルを繰り返すオタマジャクシもその例です。)に興味を持ち観察し続けています。

(3)行動する学者

学者というものは、ものを考えるだけでなく行動をしないといけないと、エマーソンは言います。思想を深め、真理に近づいていくために必要な不可欠なのが行動らしいです。

最終的にカイアは観察した自然を本にまとめて出版しています。実際に、外部に向けて行動を起こした例の1つでしょう。

作者が伝えたかった事

作者ディーリア・オーエンズは、

カイアの自然への愛や人間関係を描写して、SNSや個人主義の普及による、ヒトやモノに深い関係や興味を持たなくなった現代を批判しているのかもしれないし、

あなたにアメリカ人としてのアイデンティティを持たせてくれたのは、今あなたが欲を満たすために破壊している自然なんだよ!と警鐘を鳴らしたかったのかもしれないし、

この本がミリオンセラーになったのも、人間本来の自然へ帰化する欲求が無意識に存在しているからかもしれないですね。

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   (ラルフ・ウォルド・エマーソンの肖像画 wikipediaより引用)

ありがとうございます!