39歳のハローワーク

40歳からは我慢しないで生きる。 誰かの成功体験は誰かの人生。私はわたし。

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40歳からは我慢しないで生きる。 誰かの成功体験は誰かの人生。私はわたし。

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不登校、離婚、ASD/HSP、それでも生き方は選べるのか

 世の中のひとって、一体どうやって仕事を続けているんだろうと思う。つまらない仕事、パワハラ上司、嫌味なお局、逃れられないカスハラ、少ない給料と休日、家庭との両立、、、  そんなストレスに耐えながら、週5日、朝から晩まで、何年も、どうやって働き続けているんだろう。  ひどい甘えだ、お前のようなお気楽主婦はいいよなぁ、と言われるだろう。  甘えでもなんでもいいけれど、私はオーナーが怖いという理由でバイト先のカフェを辞めることにした。 底辺とか弱者とか ちなみに私は40歳女、

    • こじらせている自分へ、としおからのメッセージ

       岡田斗司夫さんは、私のような生きづらさを抱える人間に対してとても現実的に、的確な言葉を投げてくれると思う。  それはひろゆきさんのようにどこかで得た知識を適当に組み立てているのとは違うし、成田さんのように無責任に「笑いながら没落すればいい」と言っているわけでもなく、もちろんホリエモンのように「俺みたいにすればいいだけ」と自分基準で言っているのとも違う。  人生を拗らせてもうどうしたらいいのかわからない時、岡田斗司夫さんの超現実的かつ的確な突っ込みを受けると、自分の悩みが案

      • 39歳のハローワーク⑧最終章は自由への幕開けなのだ

         社員のエリちゃんがいなくなって、オーナーからパワハラを受けて、夫と揉めているうちに、私が決めていた39歳のハローワークの3年間というリミットは切れていたのだった。 変わったこと、変わらないこと この3年間で、私が目標としていた「物語を書いてお金を稼ぐ」と言うのは結局果たせなかった。作品はいくつか書いてみたけれど、どうしても完結しないのだ、、、  アイデアノートを書きためたり、引き続き日記を書いたり、いろんな本を読んでみたり、物語を書くための話の組み立て方など色々自分なりに

        • 40歳、ハラスメントはもう我慢しないと決めた瞬間

           バイト先のオーナーによるパワハラのストレスがピークに達したころ、私は家庭でもハラスメントによるストレスと闘っていたのだった。それというのも我が家の子供たちの不登校問題、、、から派生した夫との意見の対立だった。 子供たちの日常的な困りごとについて 我が家は小4長女と小2長男の二人の子供がいるが、二人ともまともに学校へ行っていない。それでも長女はこの1年ほど、順調に学校の相談室へ通うことができており勉強は少し遅れながらも以前と比べればかなり安定して過ごしている。  息子はとい

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          39歳のハローワーク⑦モラハラを受けて辞めるまでの日々

           社員だったエリちゃんが突然去ったことにより、当然だけどお店は人員不足になった。求人を出したもののあまりピンと来る人がいなかったというオーナーから、ランチ営業も出てみないかと声をかけられるのにも時間はかからなかった。 人間、無理なものはやっぱり無理 お店の面接に来た時から一貫して「ホールは無理です、私にはできません」とオーナーには断っていた。でも、エリちゃんがいる間の奇跡の数ヶ月のおかげで私は自己肯定感が変に上がっていて、頑張れるかもしれない、と思ってしまった。  こういう

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          39歳のハローワーク⑥退職代行を使うっていうことは。

           オーナーの話はこうだった。  その日の午後、オーナーが歓送迎会のためにお店で閉店作業をしていたところへ電話が一本かかってきた。 「退職代行の者です。エリさんはお店を辞めました。明日からもう来ません。本人がお店との連絡を断ちたいと言っているので、お店からエリさんに直接連絡することはしないでください、連絡した場合は法律違反になります。」 という内容だったらしい。オーナーがいくら「待ってください、それは困ります」と言ってもダメだったそうだ(そりゃそうだ)。 エリちゃんと退職代

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          39歳のハローワーク⑤エリちゃんとの出会いと別れ

           オーナー夫妻の営むカフェで働き始めて1年、ようやく主婦メンバーとも打ち解けて来た頃に社員として入ってきたのがエリちゃんだった。 ほんわか癒し系のエリちゃん エリちゃんは20代後半の女子。それまで6年勤めた保育士を辞めてカフェのとびらを叩いたのだった。飲食店の勤務経験はドーナツ屋のアルバイトのみということだったので、正直「大丈夫かなぁ」と言うのが第一印象だった。  飲食の仕事はそもそもまず薄給だし、そのうえ身体的にもすごくしんどい。個人経営のカフェなんて、絶対にブラックなの

          39歳のハローワーク⑤エリちゃんとの出会いと別れ

          39歳のハローワーク④今からでも大丈夫な理由

           そうこうしているうちに『39ハロワ』も最後の年に突入し、私は39歳になっていた。腰掛けアルバイトなので面倒なことはなるべく避けようとあまり出しゃばらないようにしていたこと、そして週2日、朝の2時間しか働いていなかったこともあり、一緒に働く主婦メンバーたちと馴染むのにも実際1年くらいかかった。 徐々に自分を解放した結果得た『良好な人間関係①』 バイトも2年目に突入したころ、少しずつ慣れてきていたのでお店で出すお菓子も産休のミクさんから引き継いだものだけでなく自分の作りたいも

          39歳のハローワーク④今からでも大丈夫な理由

          39歳のハローワーク③2年目の転機と日記抄

           前回、39歳のハローワーク1年目で『継続』を発見した37歳の私。今回は38歳で始めた新しいアルバイトでの新たな人生の発見について(これこそが39ハロワ最大の収穫)書き始めてみたいと思う。 腰掛け仕事で始めたアルバイト 『39ハロワ』を始めて1年が過ぎようとしていた頃、私はしばらくの間の腰掛け仕事として新しくアルバイトを始めたのだった。そこは以前からずっと好きでたまーにお茶を飲みに行っていたカフェだった。  まず大前提をいうけれど、好きなお店で働くというのは絶対にやめた方

          39歳のハローワーク③2年目の転機と日記抄

          素早く逃げ、自分を取り戻すのだ

           昨日はパワハラオーナーのいるバイト先の最後の出勤だった。あぁ本当に頑張った、私。最後はもうオーナーに近づくこともできず(どうしたって自然と身体が避けてしまう)、一瞬だけ目を見て、挨拶することが精一杯だった。  バイト先へ向かう車の中はいつも心臓がどきどきして、つらかった。なぜ自分がこんな思いをしなければならないのかという気持ちですごく悔しかった。  ここまでに至るながい道のりは『39歳のハローワーク』に書いているので、ご興味があれば読んでみてください。 否定され続けると

          素早く逃げ、自分を取り戻すのだ

          39歳のハローワーク②継続には鍵があった話

           さて、ここまで触れずにきたけれど、私が最終的にやりたいことというのは児童文学作家としてお金を稼げるようになることなのでした。お話を書いて、それでちゃんと食べていけるだけのお金を稼ぐのが私の目標。  実はずいぶん大きな目標があったのです、、、。  作家になるなんていう大きな目標を掲げておいて何ですが、私は文章を書くのが下手なのでした。  それに気づいたのがここ数年なのだけど、自認できるようになっただけまず良かったと思う。  下手な文章と上手な文章の見分けはついたし、好きな文

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          39歳のハローワーク① 初期投資は必要か?

            さて3年かけて40歳までに自分のやりたいことで経済的な自立を、という目標のもと始まった39歳のハローワークなのです。  今日は若干引かれる内容かも知れないけれど、これが私です。  だからこそ生きづらいんだろうとはおもう。 まず真っ先にお金を稼ぎたかった まずはほんの少しでもいいからお金を稼ぐことを始めたたかった私。何かできることはないかと考えてまず思い浮かんだのが美術モデルの仕事だった。  私は結婚して間もない頃、一年間だけ美術モデルのアルバイトをしていたのだ。  美

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          39歳のハローワークの始まり

           一応『39歳のハローワーク』を始めるに至ったきっかけを書いておいた方がいいと思うので書きます。 不幸はお金のせいか?とりあえずお金がほしかった 私は母親になってからASD児二人のワンオペ子育てという人生最大の壁にぶつかりコテンパンにやられてしまった。それがきっかけになったといえばそうかも知れない。 子育ては私にとってすごく難しい仕事だった。あまりに毎日辛くて、『幸せ』というものについてめちゃくちゃ色々考えるようになった。   そこで辿りついたのが、選択の自由が幸福につなが

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          フリーダム家族の、ごはんのたべかた

          子も子なら親も親、我が家のごはん事情 特性のある子を育てていると、食べ物に関する困りごとはすごく多いと思う。我が家の子らは好き嫌いがひどく、またその日の気分で食べムラがひどい。  なので食事のたびに「今日は、パン、ごはん、納豆ご飯、ふりかけご飯があるよ」などと言って用意できるものの中から子どもに選んでもらうようにしている(それでも食べないことがあるのだが)。 「ふつう」のお子さんを育てている人からは、なんて過保護!と思われるかもしれない。「何が食べたいかいちいち聞いてあげる

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          「しない」というこだわり

           三年生になった娘が宿題で『自己紹介カード』を持ち帰ってきた。新しく担任になった先生が配ったもので、「これを書いて、明日はみんなの前で自己紹介してね」とおっしゃったのを私も付き添い登校していたので聞いていた。  娘が嫌な顔をしていたのは言うまでもない。  夜になり夫が帰宅。「今日は宿題やったのかな?」と夫。苦い顔の娘はしぶしぶ自己紹介カードを出すも「書きたくない」の一点張りである。  娘は「しないこだわり」というのがめちゃくちゃ強い。小学校へ行かない、体操服を着ない、学校へ

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