39歳のハローワークの始まり

 一応『39歳のハローワーク』を始めるに至ったきっかけを書いておいた方がいいと思うので書きます。

不幸はお金のせいか?とりあえずお金がほしかった

 私は母親になってからASD児二人のワンオペ子育てという人生最大の壁にぶつかりコテンパンにやられてしまった。それがきっかけになったといえばそうかも知れない。
子育ては私にとってすごく難しい仕事だった。あまりに毎日辛くて、『幸せ』というものについてめちゃくちゃ色々考えるようになった。 
 そこで辿りついたのが、選択の自由が幸福につながること、その選択肢を増やすにはある程度のお金が必要であるという、どこかのユーチューバーからの受け売りの考えであった。

 何せ産後の私は全く働いておらず、夫の収入がすべて。欲しいものが自由に買えないのもすごくつらかったし、子供を預けて休もうにも一日数千円の託児代が家計的にしんどかった。というか、夫が家計を管理していてお小遣いも『都度払い』みたいにもらっていたので、家計がどうなっているか全くわからないのも不安の要素になっていた。

 子供を預けて身軽になって、おしゃれしておいしいものをゆっくり食べたい、、、とか当時はそればかり考えていた。玉の輿に乗った友人たちが揃ってSNSで幸せ自慢しているのを見てしまっていたせいもある。

 でも、この時点で私には心の奥底で、お金さえあれば幸せになるというのは何か違うのではないかと気づいていた、、、でも説明する言葉も何もその時は持ち合わせていなかった

『何者でもない自分』がしんどい、痛い奴=私。

 お金が自由に使えないことに加えてもう一つ私を苦しめたのは、何者にもなっていない自分という存在だった。痛い奴だろう、けどそうだったのだ。 
 子供を産んで母親としての自分があるじゃない、とも言えるかも知れないけれど、私にとっては『キャリア』や『社会的な評価』みたいなものが自分の価値のように当時思えていた。
 好きな仕事で独立して成長し続ける友達を見ると眩しくて、苦しかった。私は経済力のない自分というものになぜかすごくコンプレックスがあったし、玉の輿に乗った友人よりも自分で働いて稼いでいる友人の方が「ずっと偉い」と思うふしがあった。
 自分が玉の輿にのれず悔しかったのかもしれないし、仕事ができない自分への負い目もあったのかもしれない。
 とにかく自分は何もできないという思いがとてつもなく強く、それに抗うように周囲に『私こんなこともできる!』と自慢する面があった。恥ずかしいし痛すぎる。そういう奴です、私は。

39歳のハローワークの始まり

 ともかくそういうわけで、こんな生きづらい私でもどうにか経済的自立(=選択の自由)を手に入れたいと思い、私は37歳になった時に3ヵ年計画を立てることになる。
 40歳までにはきっと自分のやりたいことで自立できるように、37歳になった今から3年かけて準備しよう。そのラストイヤー、総まとめが39歳なのだ、ということで『39歳のハローワーク』という名をつけて一人でこそこそ色々やっていたのだ。

 それで3年間やってきて今もう40歳と半年になったのだけど、ここに書いているように私はまだこうして自己実現を果たせないでいる。3ヵ年計画の結果がこうしてひとつ出てしまっているのでそれまでと言ったらそれまでだが、「39歳のハローワーク」は「40歳のハローワーク」となってまだ継続中でもある(諦めていない)し、少なくとも今までのように受身としてではなく、前のめりに過ごしたこの3年間は、私にすごくたくさんのいろいろなことを教えてくれたと(というか、私、結構学んだなと)思う。

 もともとこれをひとつの私の物語としてまとめたいということは計画当初から思っていたので、とりあえず今が一つの転機だと思ってまずこの3年を振り返ってみようと、そう思ってnoteをあらためてひらいたわけです。

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