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不登校、離婚、ASD/HSP、それでも生き方は選べるのか

 世の中のひとって、一体どうやって仕事を続けているんだろうと思う。つまらない仕事、パワハラ上司、嫌味なお局、逃れられないカスハラ、少ない給料と休日、家庭との両立、、、
 そんなストレスに耐えながら、週5日、朝から晩まで、何年も、どうやって働き続けているんだろう。

 ひどい甘えだ、お前のようなお気楽主婦はいいよなぁ、と言われるだろう。

 甘えでもなんでもいいけれど、私はオーナーが怖いという理由でバイト先のカフェを辞めることにした。

底辺とか弱者とか

 ちなみに私は40歳女、不登校の小学生二人の子を抱え、子供の育て方をめぐって夫とは離婚秒読みという崖っぷちパート主婦なのである(しかも夫に親権まで奪われそうになっている)。
 そんな立場でそんなに軽くバイトを辞めるような人間は、この先、夫と別れて貧困まっしぐらかもしれないし子供たちを育てる能力もないのかもしれないと、自分でもすごく不安だ。底辺とか弱者とかいう言葉がすぐ隣にあるようにも感じる。
 しかしそんな自分でも生き方を選択する権利はあると思っている、絶対に、心から。

 今まで自分の持つ特性のおかげですごく生きづらい人生だった。言い訳とか甘えとかわがままとか言われようと、それでも一生懸命生きてきた。がんばってがんばってきたのに、『自分より強い立場の人』から力を振るわれると、自分を曲げるしかないという現実に、どうすることもできなかった。

不自由や生きづらさは自分が悪いのか問題

 バイト先のオーナーはパワハラをしておきながら今後も『おもしろおかしく働いて』いくというのに(実際求人を出すときにそう書いていた)、私は大事な収入源を失った。ついでにバイト仲間との楽しい時間まで失った。これはパワハラに屈した私の弱さパワハラを受けるほど能力のない私自身がいけないのだろうか?

 私はさらに、子供の不登校が心配で仕方がない夫から「子供が学校へ通えないのはお前のせいだ、育児放棄だ。家のことも何もしないのなら家のクレジットカードを置いて出ていけ」とも言われてしまった。
 ASDの子供が二人とも不登校になり、仕事も自分の時間も制限しての付き添い登校、車での毎日の送迎、スクールカウンセラーとの相談、校長教頭担任との面談、予約を取るだけで1ヶ月かかる児童精神科の受診など、できることはとにかくやって一生懸命子供と向き合ってきたというのに、、、それでもまだ子供が学校へ行かないのは私の怠慢なのだろうか?

40歳、これからはもう我慢したくない(切実に

 いや、そんなことはないはず。仮に私の行動が悪かったとして、それでポイと捨てられて黙って泣くしかできないというのは違うはずだ。
 そうとわかっているし、考え出すと相手の理不尽さに怒りが込み上げてもくるけれど、自分を否定されたり、不得意なことばかりやらなくてはいけないことが続くと、自信というものは目に見えて削られてくる
 すべては自分の能力が足りないからだという気持ちになってくる。嫌なことがあってもそつなく普通に働けていれば、子供の特性にももう少し上手く立ち回ることができていれば、こんな思いをしないで済むのにと不甲斐なさでいっぱいになる。
 けれどもう我慢するのは嫌。我慢して今まで何の徳があったのだろうか?正直、何もないと言い切れる。

 我慢しない=我儘と世間ではいうのかもしれない。こんな私にも、自分らしい働き方、生き方など選ぶことができるのだろうか。私はそれをまだまだ探している。

 というわけで続きます。

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